第46話 袁瑞、幸せを満喫し、彼女は煩悶す

更新三年の夏。

おりしも、朝夕の風が冷気を含み、秋の訪れを予告する日々。

人々はそろそろかと火鉢の薪を思い、越冬の支度に忙しない。


そんな折、北部諸州を天朝より委ねられし大官の日々も太陽と共に始まる。

輔国大将軍、使持節都督たる袁瑞将軍の朝もまた忙しない。

兵士らをたたき起こす銅鑼の音で寝床より起床。


朝餉の塩粥すらも、心安らかには愉しめない。

老忠僕が寄越す報告は、いくつも不穏な兆候を示している。

激務と心労に痛む胃に染み渡る滋味を味わう間もなく、流し込んで立ち上がれば仕事だ。


衣服を改め、堂々たる顕官としての装いを整えれば数多の陳情者・面会希望者を捌かねばならん。


陳情一つとっても、塞外の民と塞内の民では論理と慣習法が異なるのだ。

異なる条理で動く集団が、接触すれば揉め事もおのずと増える。

関市、茶馬市場が開かれる国境の邑に限らず、その周辺の集落から移動する集団についての陳情が相次ぐのもそれ故だ。


厄介なことに、これまで、塞外の民は緊朝にとって『仮想敵』であった。

袁瑞としてみれば、迷う必要は余りなかったのだ。


官軍に組み込んだ遊牧民は、官軍の軍律で。

それ以外の敵方、ないし中立程度の氏族は『我が法』を押し付ける。

やや強硬だが、この程度の判断でも事足りた。


ところが、と袁瑞は積みあがった苦情・陳情の書簡を前に苦笑する。


「……北庵公、となれば公の服属民だからな」


名目上は、緊朝の支配下に服する民。

しかして、遊牧諸氏族は蓮氏族の氏族法に従っている。

それを、今上帝がお認めになられた……以上、法の適用は酷く曖昧だ。


「とはいえ、やりがいがある」


戦の準備ではなく。

価値ある平和を保つという実感。

為政者として、これに勝る喜びはない。


小さく、ため息を呑み込み袁瑞は午前中一杯を全て面会に捧げる。

それとても、全てを処理するには余りにも微力かもしれない。

だが、確かな進歩が噛み締められるというのは決して……悪いものではないのだ。


「閣下」


忠僕の声に、袁瑞将軍は顔を上げる。

長い付き合いだ。

声色一つで、彼が持参した報告の内容にも察しが付く。


珍しいことに、それは、朗報だった、


「ほう!」


北庵公が寄越した1000騎。

輔国大将軍府北庵義従と仰々しい名前は付けてあったが、大方は、中原情勢を探索するための斥候だろうと目していた。

早い話、数合わせ。


戦意というか、マトモな軍務は期待していなかった。

なのだが、あにはからんや。


「輔国大将軍府北庵義従が、感状! 賊徒の捕縛と、伝令業務を完遂か」


袁家の手の者からもたらされた知らせは、本国に送り込んだ連中が『真面目』に勤労へ励んでいるという知らせだ。


「ふむ? ……官軍の一部隊として、文字通りに忠勇を奮うか」


気を揉んだが即座に鎮圧された叛乱後、主上は『秩序』の回復と治安維持を重視なさったらしい。


そして、その一環で蓮氏族の騎兵も使われた。

もっとも、最初はさほど期待もされていなかったようだが。

……道理だろう。誰でも、袁瑞だってそうする。


最初に与えられたのは、ごくごくつまらない糧秣の輸送。だが、蓮氏族の騎兵はこれを完璧にやり遂げた。


現地官軍も、騎兵の便利さを買ったのだろう。順次、距離と搬送量を増やし、最近に至っては流民救済のための物資搬送を大々的に任されるほどだ。


そして、北庵義従は律儀に輸送を完遂するという評判を勝ち取った。

中抜きで目減りするそれのが当たり前の救援物資が定数通りにきちんと届く。

それだけでも、心ある官であれば感嘆ものだ。


ところが、北庵義従は心憎いことに手土産まで手配する。

道中、賊徒は撃退し、山賊団を現地の官軍と共同歩調で討伐!

成果は山分けで、周囲のメンツもきちんと尊重だ。


「これが、彼らの総意であってほしいものだな」


蓮氏族の騎兵は強力な軽騎兵だ。相手どって会戦を挑んだこともあるが、相手もこちらを買ってくれた……と思いたい。


上手くいけば、と袁瑞将軍は明るい未来を夢見る。


「上手くやれば……塞外の安定も望める、か」


殊更に、気分を良くするに足る知らせ。

勿論、北庵義従を監視させているなどということを公言する訳にはいかぬ。

公然の秘密だろうとても、そこには信義の問題がある。


だから、それは、彼の中で秘された。




だが。

だけれども。

それでも。





彼女には、見えるものだ。

死人が半死人ぐらいに改善しているのだから、劇的な改善にたる理由があったのだ、と。


そして、だからこそ、彼女は訝しむ。


「不思議ですね」


北庵義従の知らせが朗報?


それは、彼女に分からない。

彼女の知る限り、愛おしい私のオトモダチは、きっと、きっと、きっと、叔父上の胃腸を締め上げることを断行したはず。


読める道では、そうだった。


……なのに、彼女の予想と違う道へ突き進んでいるかに見える。


「読みを外した、と認めましょう」


予想外のドキドキは、胸が苦しくて、胸が温かくて、そして、どうしようもなくココロがオドル。


こんなのは、知らない。


こんなのは、初めて。


オトモダチ。


私の、愛おしいオトモダチ。


貴方は、いま、何を。


何を、考えているのですか?


「なんて、なんと、もどかしいのかしら」


籠の鳥とても、天を仰ぐことはできた。

でも、愛おしいオトモダチ。


貴方の不思議を前にしては、この籠がどうにも窮屈です。


「オトモダチ、貴方は、いま、何をしているのですか?」


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