第23話 彼女と敗北‐或いは変態の勝利
北蓮会戦に際し、二人の軍師は対照的なアプローチを選択した。
『彼女』の策は正しく正統派のもの。
『策』の存在を相手が認識し、どれほど対策を練ろうとも『逃れきれない罠』を作り上げることに全精力を注ぎ込んだ。
ハッキリと言えば、人間という生き物の弱さを心から理解したうえでの狡知な罠。
人の弱さを徹底して利用するべく投じられたのは、富だった。
袁家という権門の権力・人脈・知識に加え、緊朝という統一国家の持つ膨大な富を惜しみなく富める者特有の無造作さと共に北辺へ注ぎ込む。
蓮氏族にとってかわらんとする諸氏族の野心を限りなく刺激し、背後の脅威として着実に育成。
なまじ、草原において急激に台頭していた蓮氏族は『元より』やっかみの対象たる素地が十二分にある。
そこへ、富と権力の匂いで刺激してやれば……『彼女』は狗に困らない。
対する蓮氏族の側にいる石峻の状況は……最悪に近い。
無論、有力な部族たる蓮氏族にも富はある。
多数の家畜、広大な放牧地、買い集めた軍馬、そして備蓄されている金穀。
けれども、緊朝や袁家のそれと真正面とどうしてぶつかることができようか。
なにしろ『賢く金の力でぶん殴れ作戦』である。
軍師がされたくないことランキング第一位を争うことで悪名高く、自分がやりたいことランキングでは常に上位に入る秘策だ。
これは、それほどまでに強力なのである。
どう対応するべきか、という点で石峻こと単軍師は単純かつ大胆な一手を選択する。
彼の選んだ策は、『僕らも変態になってしまえ大作戦』。
至極当たり前ながら、軍師と言う逸脱した化生ですら『それってどうなのよ』と首をかしげるような『革新的』アプローチである。
しかし、単軍師というやつの頭が沸いているとしか思えぬ妄言にも……一理はあったのだ。歴戦の戦士である蓮大人が、悩んだ末にせよ、『それ以外にはないだろうな』と納得してしまう程度には。
かくして、戦いが幕を開ける。
後世には北蓮会戦として知られる一大決戦。
二匹の軍師なる怪物の練り上げた策が牙をむくのだ。
正統派の埋伏計が決まるか。
とことん異端の奇策が逆転を決めるか。
勝者は、袁瑞将軍か、蓮大人か。
はたまた、『彼女』か、『彼』か。
答えは、人を惑わすに足るだろう。
『会戦』の勝者は『袁瑞将軍』である。
にも拘らず、『戦争』の勝者は『蓮大人』である。
そして、唯一の敗者こそは『彼女』であった。
更新2年のその日は、正当な会戦のセオリー通りに始まる。
左翼、中央、右翼の三固まりに分かれた両軍が、僅かな距離を保ちつつ対峙。
荒野で激突した両軍は、当初、騎兵戦力で優越する遊牧民が先手を獲得。波状攻撃を仕掛けるも、『部曲』の堅固な規律の壁の前に決定打を与えることなく体力を消耗していく。
これに対し、袁瑞将軍は受け身であるにもかかわらず歩兵戦列による押し上げを断行。
無論、数的優勢を確信すればこその暴挙であった。
この機を逃すことなく、蓮大人は隠していた半数の兵力を大々的に投入。
敵兵が倍になったことを悟ったのだ。
袁瑞将軍の驚愕は、無論の事、絶大だった。
数を見誤った。
故に、袁瑞将軍は臍を嚙む。
なんたる予想外、と。
けれども、対峙する蓮大人もまた同じように愕然としていた。
一瞬のうちに数で劣勢になったにも関わらず、『部曲』はその戦列を微動だにせず保持。
それぞれの卒が、訓練通りに怯えることなく即座に槍衾を形成する姿は歴戦の戦士である蓮大人をして恐怖させるにたるものだ。
歩兵の戦列が崩せない。
それは、遊牧騎兵にとって不毛な消耗戦を意味するものだ。
そして、この戦いにおける損益分岐点を考えれば『これ以上』は全く割に合わないという事実を蓮大人は悟るや……『変態大作戦』への移行をついに決する。
会戦直前、単軍師語って曰く、『変態になれ』。
もっとも、その内容は変態と言うよりは『悪辣』そのものだが。
なにしろ、と蓮大人は心中で苦笑する。
この策は、『敵の策』を逆手にとっての一手。なにしろ敢えて罠に飛び込み、違う奴を罠で縛り上げるという悪辣さ。
……具体的には、『先に裏切ってしまう』のである。
『右翼』、中央、左翼のうち、右翼に『疑わしい分子』を徹底して配備。
そして……攻勢が停滞するや、『彼らが裏切っているのだ』という事実を確定情報として各氏族に分配する。
総崩れとなる前に、敵の裏切りを見破ったと称する『風聞』は……悪魔の囁きが如き効能を発揮する。
『右翼』が裏切り者か、と問われれば間違いなくいるのは居る。
『本当の裏切者』もいるだろう。
数的には、決して小さくない。
これらが、劣勢の時に声を張り上げれば右翼全軍も確かに蓮氏を見限ったことだろう。けれども、その多くは蓮氏につくとも、袁氏につくとも決めかねていた日和見なのだ。
もちろん、中には無実の者もいただろう。
だが、『疑わしい連中』を端から右翼に集めておいたのだ。
……『疑わしい』と多くの人間が思えば、戦場の危急なのだ。
もはや、証拠など必要なし。
『裏切られる前に、やってしまえ』という感情が中央、左翼に充ちる中、いったん再編と称して蓮大人は『補給用陣地』への後退を諸隊に指示する。
ちなみに、真っ先に動けたのは『日和見』がちな部隊を多く抱えていたがために、引き揚げやすかった『右翼』の部隊である。
そして、これが『裏切りの決定的な証拠』と疑うものには信じられてしまう。
実際のところ、この疑心暗鬼は『彼女』が狙った軍の団結を阻害する要素足りえるのだが……戦場のごく限られた瞬間においては逆に作用する。
「やられる前に、やってしまえ」と誰かが口にする。
「奴らが、悪いんだ」と囁かれる。
そうして、「裏切者め」と吐き捨てれば躊躇などない。
そうして、都合のいいことにと言うべきか。
補給用の陣地には、可燃物がたくさんだ。
油が染み怒んだ多数のそれ。
かくして、喜劇ともいうべき事態が起こるのだ。
『遊牧民同士が相撃する』と事前に知らされている袁瑞将軍の前で、『予告通りの同士討ち』が勃発。
袁瑞将軍が『見誤る』のはむしろ当然といってもいい。
これで、勝てる。
総安堵した彼が、変事に気が付いたときには時すでに遅し。
火に飲まれ、劫火に消えていく右翼を別に、残りの遊牧騎兵はさっさと足の速さを活かして離脱してしまう。
結果、会戦の結果は確かに袁瑞将軍の上に勝者の称号を齎す。
会戦で、敵右翼を全滅させる大成果。
同時に、蓮大人は草原における圧倒的優勢を他氏族に対して確立する。
潜在的に、緊朝の手足となりえた遊牧民の多くは『戦士世代』を根こそぎ刈り取られ、蓮氏族の旗の元、『裏切者』とされた連中の富と空間を接収。
かくして、ここに北蓮会戦は幕を閉じる。
ハッキリしていることはただ一つだ。
『彼女』こそが、敗者であった。
他の誰でもない、『彼女』こそが知っている。
自分自身が、負け犬にさせられてしまった、と。
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