第15話 袁瑞、馬に蹴られる

袁家は外戚にして、強大な権門である。

当代の当主たる袁瑞自身の意図がどうであれ、それは、『権門』なのだ。

権力の論理を前には、当主でさえも儘ならない。


「馬鹿な!? 何故、独断で募兵など!?」


後事を託し、都に残して留守居役からの急報。

何か変事でも勃発かと飛び起き、密書を受け取るやの絶句。

……酷い眩暈と、どうしようもない喉の渇き。


諸州で、内密に一門郎党が募兵。

不正に武器を蓄えてもいるという。

袁家の権にものを言わせての逸脱だ。


露見すれば、ただではすむまい。

もみ消すにせよ、正当化するにせよ、厄介だ。

己に対する人臣の視線は険しくならざるを得ない。


緊朝内部の不和を高めるなど、己の本意ではないのに、どうして……?


強張った筋肉を和らげようと茶を求めかけ、ようやく自分が人払いを命じていたことに気が付き袁瑞自身で苦笑する。


「我ながら、随分と酷く……」


慌てたことだ、という一言は遮られる。

鈴の音かと思うほど澄み切って、凛とした甘い声によって。


「動揺していらっしゃる。お茶をお求めですよね?」


お持ちしましたよ、と彼女は微笑んでいた。

もっとも、叔父にとってみれば魅力的と言うよりは恐怖しかないのだが。


「なっ、な、何故ここに?」


「おはようございます、叔父上」


片手に持った翡翠の盆をゆっくりと机の上に置くや、彼女は首を軽く傾ける。


「茶事はお作法通りでないけれども、よろしいですよね?」


返答も聞くことなく、差し出される茶器。

柔らかな音と共に注がれるのは、ふんわりとした茉莉花茶。

香りが花開き、心を落ち着かせる芳香がいら立つ神経を慰める。


「さて、さて、さて。叔父上はお嘆きのようですね」


甘い毒交じりの言葉を聞き流し、袁瑞は茶に手を伸ばす。

軍師の甘言など、一々反駁するだけ心を病む。


「何故、勝手なことを、と」


軍師共が、心の痛いところを突いてくるというのは『経験済み』だ。


「良い家臣をお持ちではありませんか。羨ましい限りです」


軍師の言葉に耳を傾けるなという金言は、相応の理由あってのこと。

ただ、それでも本当に思わず。

袁瑞の口が反駁してしまう。


「……何を口にするかと思えば」


「叔父上が、兵乱を起こされるおつもりなのでしょう? そうでなくとも、緊朝に含むところがおあり。だから、部下が兵を集めて叔父上に馳走せんとなさる」


本当に、心から羨ましいとばかりに彼女は微笑む。

否、それは彼女の本心ですらあった。

名前を与えられることのない、『封じられた皇女』としての彼女は手足がない。


太祖の勅命である。軍師たる皇女に、手足を与えるな、と。

いっそ、彼女の四肢を文字通りにもぐべきかと太祖が悩んだというのも……袁瑞は事実だと知っているのだが。


「叔父上、馬鹿の真似事はおやめくださいな。ご存知なのでしょう?」


「……私は、緊朝の臣だ! 間違っても、何故進んで兵乱など求めねばならん!」


「叔父上は、そうでしょうとも」


にっこりと。

まるで、無垢な童女のように彼女は笑っていた。

手を合わせ、素敵というように微笑んですらいる。


「叔父上には、欲がない。叔父上には、悪意がない」


袁瑞の茶器に茉莉花茶を注ぎ直しつつ、彼女は結論を告げる。


「だから、人が分からぬのですよ」


ぽかん、とした袁瑞に向けられるのは心からの笑顔。

楽し気に、コロコロと嗤う声は先ほどまでと何一つ変わらない。

だというのに、なんと背筋をぞっとさせようか。


「もっと、上に行きたい。そう願うことを叔父上は、不遜と思われましょうね。ええ、ええ、列侯たる叔父上が上を望むのは『反逆』ですもの」


列侯の上には王侯のみ。


それは、緊朝において外戚すら望みえぬ地位。

皇帝の子孫のにみ許される特権。

望むなど、袁瑞自身夢想だにしたことがない。


「でも、ただ人が少し良い暮らしを望むのが、どうして許されないのですか?」


ああ、畜生め。なんと正論だ。

少しいい暮らしを。少し力を、少しの高望みを。

下の望みが、手に取る程にわかってしまう。


「……皇女殿下に、臣下の心を教わるというのは驚きだ」


「あら、そんなの単純です」


だって、と駄々をこねる子供のように。

だって、と道理を語る老賢者のように。

だって、と罪を告白する罪人のように。


彼女は、ぽろり、と言葉を零す。


「私だって、認めてほしいという渇望に苛まれていますもの。いかがです? 叔父上。そろそろ、『助言』など? 私も、お役に立てませんか?」


「……先帝の遺勅を奉じる身だ」


「我が父上とても、貴方の没落と破滅を望んではいなかったと思いますが」


ちらり、と視線を逸らす袁瑞に対して彼女は鷹揚な態度で言葉を紡ぐ。


「まぁ、亡き父上の心は貴方が一番よくご存知ではありますね」


袁瑞という男の葛藤は、正しく、先帝の心を知ればこそなのだ。


「真意が権門門閥を皆殺しにするつもりだったと叔父上がおっしゃるならば、何も申し上げることはありませんが」


「言葉を慎め。不遜が過ぎる」


手を振り、黙れ、と伝えるも反応は微笑。


「叔父上、別に私へ『全てを委ねよ』などとは申しません。ただ、一言、諮問していただければいいのですよ?」


「……それが、軍師の手口だ」


「あら、お気づきでしたか」


心を溶かし、毒を注ぎ込み、そうして喰らう。

怪物ことを知っていれば、その手には乗らない。


そもそも、と袁瑞は引き攣る頬を励まし言葉を紡ぐ。


「……こうなると、予見していたのだろう。ならば、私が、どうするかも予見し得ているはずだ」


「何もかもが予定調和というのも、つまらないものではあります。それに、叔父上個人に含むところは全くありませんし」


だから、と彼女は楽しそうな声色で謳う。


「私も、遊びの仲間に入れていただけませんか?」


「これは、国事だ。国家の大事を遊戯などに例えることそのものが良識に反するとは思わないか」


「変なことをおっしゃるのですね」


「国家の大事でもなければ、遊んで楽しくありませんよ? 何より、私の想い人が退屈しているに違いありませんもの」


「……想い人?」


ええ、と彼女は恥ずかし気に、年頃の乙女のように真っ赤な顔で頷く。


「仲間外れなんて、酷いです。混ぜてくださらないと、私、悪戯しちゃいますよ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る