第13話 袁瑞、北辺に武を轟かし、少女は恋に煩う

鎮北大将軍、使持節都督袁瑞将軍、動く!

その知らせは、諸州に轟き、軍勢が電光石火の如く進発したという噂で人々は持ちきりであった。

よもや、と世人は言うだろう。


北方鎮護、防備を固めると称し、数多の兵営を視察。

無数の陣を確かめ、城壁を高くし、人々に油断なく防備を備えさせた袁瑞将軍。

彼は『鎮北大将軍』である。北を守る将軍である。


にも拘らず、彼は、北の国境を越え、討伐軍を起こした。

率いるのは、左右軍の僅かに二軍。

兵数にしておおよそ一万弱。


多くの人々は、寡兵で使持節都督ともあろうものが越境したことに『勇』を見る。


「閣下、斥候が戻ってまいりました!」


「ご苦労。私自ら、聞く。すぐに此処へ!」


はっ、と動く兵士の動作は『年の割には機敏』なものだった。

老兵といには若いが、壮兵というには老いた兵。


……鎮北大将軍ともあろうものの軍隊にしては、随分とお粗末な内実だ。


けれども、自分が動かせるのは7軍の内僅かに2軍のみ。

禁軍も無理をすれば動かせたやもしれないが……北部の重しを欠けば、王林都督の二の舞になるという事実が袁瑞将軍を躊躇わせる。


だが、今すぐに動くしかなかった。

無理を押し通し、無理やりであろうとも……『軍師』が敵にいるのであれば。

なりふり構う余裕が袁瑞にはない。


北辺の駐屯地を飛び出し、蓮氏族を求めて一路北上。

連絡線の確保に神経をすり減らしつつ、入念な行軍速度の調整により歩兵主体の軍にしては異例の速度で北上を続けることにより『野営地』の存在を確認しうる次元にまで近寄っている。


数日中には、蓮氏族の斥候と前哨戦。

場合によっては、敵本隊との衝突すら想定しうる。

……その場合は、撤退あるのみだ。


だが、袁瑞将軍にとって『その程度だろうか』という疑念は拭えない。

敵軍師が想定の範疇に収まる行動をとってくれるか。

考えれば、考えるだけ、敵の陥穽に嵌るのは理解できる。


所詮は、士大夫の身である。

軍師などと言う理の外にいる化生の理屈は、理解し切れるとも思えない。

だが、将として袁瑞将軍は先行きを案じざるを得ないのだ。


敵は、何を考えているか、と。


そして、戻ってきたばかりの斥候の知らせを受け取るや……袁瑞将軍は北辺に吼える。


「馬鹿な!? 間違いないのか!?」


「は、はい。閣下。敵軍は……」


長駆し、疲れ果ててなお使命を忘れない騎兵たち。

彼らは袁瑞将軍へ向けて断言するのだ。


「敵の部族民は、慌ててふためき、逃げております!」




事態は予期せぬ展開だった。

敵が逃げる、というのは『言われてみればありうる』展開である。

騎兵、それも遊牧民の騎兵だ。


有利と見れば戦い、不利と見れば退くのは戦理に適う。

袁瑞将軍にとっては、しかし、敵の軍師が何を意図しているのか分からないのが不気味だった。


遊牧民が退くのは分かる。

だが、牧草地にしても、水にしても……無限ではない。

逃げるというのは簡単なようで、兵站上の悪夢が付きまとうもの。


「いや、或いはそれが目的か?」


補給線を狙っての攻撃。

糧道を断つのは、軍師たちが火の次ぐらいに好んだ手法だ。

……あの飢餓道を好む軍師たちは人の心がないのだろうが。


「となれば、私は空振りだが……敵も空振りか」


まず、まず、というところなのだろうか。

軍を動かし、北辺での地理事情もある程度まで軍が覚えつつある。

戦果に乏しいが、敵がこちらと衝突する意思がないということも分かったのは一つの収穫だろう。


農繁期ということもあるが、当分は、安心して兵士たちを屯田に集中させることもできそうだ。


「……やはり、万全の体制を整えなくてはな。秋が本番か」


徒に時間をかけたくはない。

けれども、時間をかけねば足腰も危うい。

軍とは、巨大なのだ。工夫せねば、兵を進めることすらおぼつかない。


ましてや、自分のような『外戚』が『遠方』で『使持節都督』という強大な『軍権』持ちである。

政治にも配慮が必要となることを折り込めば、物事は慎重に進めていくしかない。


「ままならんな。だが、やりとげてみせるとも」


小さな決意と主に、袁瑞は願う。

どうか、この平穏を守らせたまえ、と。


そして、『彼女』は小さく嗤う。


「叔父上は、やはり、父上の義弟でいらっしゃること」


本当に、よく似ていらっしゃる。

外見はなるほど、王者の父、武将の叔父と似ても似つかぬところもある。

精々、ヒゲが似ているぐらいか。


けれども、気質が陽にすぎる。

王者なのだ、二人とも。

根本において、陰の粘りを知らない。


或いは、太祖陛下こと父上は己の余命を悟って初めて『影』の存在に開眼したのかもしれないが……叔父上には、その『眼』もなし。


花の顔を綻ばせ、彼女は小さく首をかしげて自問する。


「叔父上は、叔父上は、どうして、どうして?」


お判りにならないのだろうか。

或いは、判らないふりをするのだろうか。

黙殺し、疑問を押し殺し、『そうであるはずだ』と願うのだろうか。


北部を固めた『外戚』が、『国境を越え武威を示し』、悠々と凱旋。

せめて、着任と同時に北伐すれば『非常時の対応』と言いえただろう。

北伐を敵の出撃に合わせていれば、『危機への対応』と言えただろう。


『自分から出兵し、敵を追い払った』は最悪だ。


「野心もないのに、まるで野心家気取り。……叔父上ったら、本当にしょうのないお方」


考えれば、判るだろうに。

外戚が北方を固め、遊牧民を示威し、兵迄集める。

こんな事態に、いくら皇帝こと愚弟が叔父上を知っていようが『意味』などないことを。


いや、今は、まだ、いい。


今は。


でも、敵に軍師がいる。


「きっと、私の出番ですね?」


それは、きっと運命だ。


私と、まだ見ぬ貴方との出会い。


どんな御仁だろうか?

どんな声だろうか?

どんな顔だろうか?


どんな心臓で、どんな血潮で、どんな悲鳴を聞かせてくれるのだろうか?


「ああ、まだ見ぬ貴方。貴方は、どんな、軍師なんでしょうか?」

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