エピソード・ゼロ 星の落ちる夜
僕達はきっと愚かだったのだろう。
いや、僕が愚かだったんだ。
だって、彼女はこの町で起きている事件など知らなかったし、強い種族なのだから親から色々と注意されたりすることなどなかったはずだ。
子供が子供だけで夜中にうろうろするなんて、良識ある居住地区の人々なら誰もが眉をひそめるような無謀だし、聞けば絶対に止めるはずだったことなのだから。
「ねえ」
と、ディアナが僕の服の袖を引いて、僕は危うくひっくり返りそうになった。
最近はディアナも他の種族に対する力加減を覚えて、乱暴な行為はしなくなったのだけど、僕は一般的な獣族に比べても力が弱いので、ちょくちょくこういったことがあった。
その度に泣きそうな顔で謝るディアナの顔を見ることができるので、僕としてはプラスマイナスゼロといった感じだ。
「どうしたの?」
「星が流れるのを一緒に見たい」
「ああ、うん」
そうだよな、今まで流れ星なんて知らなかったんだから、見たいよね、それは。
僕も教えた側としてそう言ってくれるのは嬉しかったし、一緒に見るということについては否やはなかった。
とは言え、家に戻るまでの道すがらだと住宅地になるんであまり空が広く見えない。
都会は夜でも明るくて全然星なんか見えないよと両親は言っていたけど、住宅街でも空が建物で切り取られているのでそうきれいに見える訳ではないんだ。
もちろん居住地区には広々とした公園や自然のままの山や川などがあるし、畑や放牧場もあるけれど、夜に行くような場所じゃない。
住宅地に一番近い広い場所と言えば河原だけど、あそこはとにかく寒いし、幻想種の気配の濃い場所なので夜は危険だった。
「イツキはもう帰っちゃうの?」
「あ、いや、今日うちの父さんも母さんも遅いんだ。その流星群のせいでさ」
ディアナは最初仲間たちと同じように僕をイッキと呼んでいたのだけど、やがていつの頃からかイツキと呼ぶようになった。
僕は実は自分の名前をけっこう気に入っていたので、ディアナがそう呼んでくれることが嬉しかったものだ。
「イツキだけ除け者にして二人で星を見るの?」
ディアナは少し怒ったように言った。
「あ、いや、違うんだ。仕事でね。なんでも父さんが設計して母さんがコーディネートしたスクリーン天井の建物でイベントがあってそこに招待されているんだって。深夜になるから子供は同伴出来ないんだって」
「イツキのお父さんとお母さんは建物を造る仕事なんだ」
「うん。まぁ母さんはちょっと違うけど、建築関係なのは間違いないね」
「へー、凄いね」
「う、うん、ありがとう」
聖堂の門の所から宵闇に沈もうとしている町並みがオレンジに染まって行くのを二人で眺めていると、一番星が沈む夕日のずっと上の方に輝くのが見えた。
「イッキ! ディアナちゃん、またね!」
「またね~」
家族が車で迎えに来た子や、一人で帰る子、兄妹で手を繋いで駆けていく子達、みんな陽が暮れない内に家に辿り着こうと急いでる。
僕はそんな友人達に「またね!」と返して手を振りながら、このまま帰ったらディアナと一緒に星が見えないなぁと思って、行先に迷っていた。
「ね」
ディアナが白い息を僕に吐きかけながら肩を寄せて囁く。
「え? なに?」
僕は不意をつかれてドギマギとしながらディアナを振り向いた。
「さっきのやろう」
「さっきの?」
「学校の屋上」
「あ」
メグにダメ出しを食らったかっちゃんの提案の話だ。
「でもディアナばっかりに無理をさせちゃうから」
メグの言うことは一理あった。
あの提案じゃディアナ一人が疲れてしまうし、大変な思いをする。
よくよく考えたらちょっとよくない案だった。
「大丈夫。私は平気。すごくやってみたい。それに私、学校に行ったことないし」
「屋上だから学校に入る訳じゃないけどね」
ディアナは平日の日中は僕らと遊べない。
国が違うのだから当然だけど、同じ学校で学ぶことができないからだ。
「それでもいい」
「そっか。じゃあ準備するからいったん家に帰るけど一緒に来る?」
「うん!」
ディアナはすごくいい笑顔で頷いた。
思えば学校の屋上どころではない。
僕の家にディアナを連れて行くことだって初めてなのだ。
ドキドキしながら僕はディアナと一緒に家まで帰った。
僕の家は聖堂や学校から八拍程度の距離だ。
本来なら一拍は100回心臓が動いた時間だけど、おそらくこの日は普段よりも僕の心臓はドキドキしていたはずなので、もっと時間がかかったに違いない。
とは言え、時間の計算は標準時間なので個体時間ではあまり考えないけど、人によって心臓の鼓動が違う分、時間の感じ方はそれぞれ違うという話だし、この夜は僕にとって長かったということでいいんじゃないかな?
でも実際にはいつもよりずっと早く家に辿り着いたように感じた。
不思議だな。
僕の家は二階建ての獣族の平均的な住宅だ。
残念ながら飛べる家族はいないので、上に入り口はない。
だからディアナにも地上の入り口から入ってもらうことになる。
でも、聞いたところでは、ディアナの家もそう大きくは変わらないぞうだ。
竜人は普段はあまり飛ばないんだって。
飛ぶと体がなまるとかで。
うん、なんていうか、本当に戦闘種族なんだな。
僕は持っていた鍵で玄関を開けると、中に入ってディアナを招き入れた。
「ようこそいらっしゃいませ」
「お、おじゃましま、す」
僕がいっぱいいっぱいで歓迎の言葉を告げると、なぜかディアナも焦りながら家におずおずと入る。
体の大きい人も訪れることがあるので入り口は普通に大きいけど、普段使いのドアは一般的な獣人サイズだ。
ドアは三層になっていて、大きい人のときには大きいドアを開けることができるようになっている。
玄関はホールになっていて、正面に暖炉があり、スイッチを入れれば冷えた体を暖めることができるようになっていた。
人が玄関をくぐると灯りが点く仕組みなのだけど、ディアナはその仕組みにちょっと驚いている。かわいい。
ディアナの家ではまだ命令が必要なのだそうだ。
僕は大慌てで暖炉のスイッチを入れて、ディアナにソファーに座って待つようにお願いした。
「暖炉、いいのに。またすぐ外に出る。それに私寒さに強い、よ」
「僕が寒かったんだよ」
遠慮するディアナをなんとか押し切って、寛いでもらうと、保存庫を開けてジュースの瓶を出し、それから慌ててカップを探して右往左往した。
ディアナはガラスのコップはすぐに割ってしまうので苦手らしい。それを考慮して金属のカップが欲しかったのだ。
やっと見つけたのは父さんのお酒用の記念カップだった。
使ってしまっていいのか迷った挙句に、後で謝ることにして包装を解いて洗い、ジュースを注ぐ。
「これ、飲んで。あったかいものじゃなくてごめん」
「うん。大丈夫」
ディアナがジュースを飲んでくつろいでいる間に、僕は部屋に行ってキャンプ用具を引っ張り出した。
ディアナは寒さに強いということだったけど、僕は寒さに弱い。
そこで防寒用のジャケットとキャンプ用の携帯アルコールストーブとキャンプの調理に使う軽い金属の携帯鍋をリュックに詰め込んだ。
水は学校の中庭に足洗い場があるのだけど、そこを使うのはためらわれて、大きめの金属水筒を用意する。
キャンプ用の軽い金属のカップのセットもリュックに突っ込んだ。
「あ、これ使えば良かったのか」
ディアナに出すカップにこれが使えたことに思い至ったけど、後の祭りである。
とりあえず父さんに怒られることは覚悟して、今夜のイベントに挑むことにした。
「えっと、燃料のアルコールは確かキッチンにあったっけ」
キッチンの床下収納から燃料用アルコールを探し出し、準備はOKだ。
「おまたせ!」
「あ、うん。じゃあこのカップ、洗うね」
「え、いいよ。食洗機に入れておくから」
どうやらディアナの家には食洗機も無いらしい。
よく考えたら竜人は険しい山の中に住んでいるんだから共用エネルギーも使えないんだよな。
色々不便なのは仕方がないのかもしれない。
僕達がすっかり準備を終えて外に出る頃には外はすっかり暗くなっていた。
夜遅くに子供だけで外出するのは不安があるけど、行き先は毎日通っている学校だし、隣には眠らずの聖堂もある。
さしたる不安も感じずに、僕達は学校の屋上へと向かった。
そもそも不安を感じることなどないぐらい僕は舞い上がっていたのだ。
ディアナは僕と僕の抱える荷物を全部まとめて抱え上げてもまるでその辺の小石を拾うように軽々と持ち上げて飛び、逆に僕が怖くなって、平気なふりをするのが大変だったぐらいだ。
小さなカンテラを持って外から教室を一つ一つ覗いては、ディアナにそこでの日常の解説をする。
「イツキの教室はどこ?」
「こっちだよ」
「ここ?」
「うん。僕は大体いつもあのへんに座るかな」
みんな授業中は好き勝手に座るのだけど、毎日のことだから大体みんないつも同じ席に座る。
僕のお決まりの席は窓に近い辺りで、ディアナはとてもうれしそうにそこを見ていた。
そんなこんなで空中でしばらくあちこち移動した挙句、ようやく屋上に降りた僕達はようやく夜空を見上げた。
星はびっしりと輝いていたけど、すぐには流れ星を見つけることはできなかった。
僕は試しに屋上から中へと入る扉を開けようとしてみることにした。
でも残念ながら鍵か封印がされているようで、全く開けることができない。
ディアナに学校を案内してあげたかったのだけど、それができずにがっかりすることとなった。
「いっぱい見たからいいよ!」
「うん。それならよかったけど……あっ!」
「えっ!」
「今流れた」
ディアナは僕の見つけた流れ星を見つけることはできなかったみたいだけど、見上げた星空に別の流れ星を発見することができたようだった。
「あ、こっちも! すごいすごい!」
僕達はそれははしゃいで流れ落ちる星を二人で探した。
逆にそんな僕達を見ていた人達がいるなんて、考えることもせずに。
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