エピソード2 【未来のためにできること】 その三
騒ぎの起こった客室に移動すると、そこでは二人の人物が騒ぎの中心となっていた。
両方とも牙ある者なので、牙なき者達はとっとと付近から姿を消している。
暴力沙汰に対する彼らの危機察知能力の高さは、中等部時代に散々味わった。
なにしろ周囲で騒ぎが起こって、ふと見るとその場に残っていたのは僕だけということが何度かあったのだ。
人類学で習ったけれど、現代まで生き残ってきた種族は必ず何かしら秀でた能力があるということだろう。
さて、騒ぎを起こした者達の詳細だけど、片方は同年代の少女で、もう片方はやっぱり同じぐらいの少年だ。
舟の進行方向から考えても同じ高等学生だろう。
これだけだと単なる痴話喧嘩か? とも思ってしまうけど、そんな親密な雰囲気ではない。
おそらくこの二人は本来他人同士だ。
「恥知らずにもほどがあるでしょう! 女性の尾に触れて謝りもせずに居直るとは、呆れてものも言えませんね」
「はぁ? てめえの邪魔くせえ床ぼうきなんか知るかよ!」
「礼儀を知らない貧民が」
「はっ! お高くとまりやがって、挙句に言いがかりかよ」
まずい両人とも暴発寸前だ。
そもそも牙ある者たちの沸騰しやすさは定評がある。
なにしろ「牙の男二人の目が合ったら退散せよ」という言葉が牙なき者たちの間にはあるぐらいだ。
どちらも「激昂」という名札を付けたいような表情になっている。
僕は誰の警戒心も呼び起こさないぐらいゆっくりと近づき、意識に上らないぐらい素早く二人の間に割り込んだ。
「確かに見事な尻尾ですね」
突然の横合いからの言葉に、言い争いをしていた当人たちはぎょっとしたように振り向いた。
「こんなに見事な尾はめったに見ませんからふらっと触りたくなっても無理もないでしょう」
少女は突然の話の展開にどう反応していいか迷っていた。
少年が猛然と僕に文句を言おうとした所を、間を外すように親しげに軽く胸を叩いて意識をそらす。
「でも素のままじゃあ彼の言った通り汚れてしまいますよ。どうしてカバーをしないのですか?」
畳み掛けられて少女の意識から怒りの比重が軽くなる。
少年のほうはなんだか戸惑っているようだ。
おそらく僕が知人かどうか思い出そうとしているのだろう。
「カ、カバーなど、いやらしい。下品ではないか?」
「え?」
少女の言葉に僕は虚を突かれて素で驚きを浮かべてしまった。
「そんなことありませんよ。結婚式の花嫁衣装でも裾の長い尻尾カバーは神秘的で美しいでしょう? 見たことありません?」
「そ、そう言えばそうか」
少し離れた所で様子を伺っていた虎種らしい少女が僕の言葉に同調するように頷いている。
彼女の尻尾は見事なレースとストーンを散りばめた尻尾カバーに納められていた。
あれだな、きっと少年を痴漢呼ばわりしていたこの見事な尻尾の少女は、どこかでいかがわしい尻尾カバーの動画か画像を観たに違いない。
思春期だからね。
騒ぎの元の少女の尻尾は、いわゆる筆型と呼ばれるふんわりと膨らんだタイプで、美しい金色だ。
どうやら自慢の尻尾らしく、よく手入れされてツヤツヤに輝いている。
でも大きすぎてこんな狭い場所では触るなというほうが無理というものだ。
それが故意かどうかなど傍から判断することなど出来ないしね。
「最近の流行では洋服に合わせて尻尾に編み込むタイプのデザインのものが人気のようですね。こう、体に巻きつけて天然のベルトやサッシュのように飾ると映えるんですよ。あ、あの人のがちょうど最先端のタイプじゃないですか?」
僕が水を向けると、先程の虎種の少女が服の上で尾を動かして見せた。
かなりオシャレに自信があるようだ。
「おお」
少年と言い争いをしていた少女も、その着こなしに心惹かれたのか視線が熱を帯びる。
「ねぇ君」
明らかに好奇心が強くておせっかいそうなその虎種の少女を巻き込むことにして、僕は彼女に呼び掛けた。
「え、なに?」
「よかったら彼女に尻尾カバーの流行について教えてあげてくれないかな? 男の僕じゃファッションはちょっとわからないし、それに僕、尻尾がないからね」
笑って言うと、虎種の少女もクスッと笑い、揉めていた少女に向き直る。
「実はずっと声掛けたかったんだ。貴女の尻尾すっごいきれいじゃない。私デザイナー目指しててさ。でも今時尻尾カバーなんて言わないんだよ。フラッグベルトって言うんだけどね……」
「う、うん。そうなんだ」
どうやらデザイナー志望だったらしい虎種の彼女の怒涛の売り込みを受けて、騒ぎの元となった少女の意識から、先程の少年とのトラブルはどこかに吹っ飛んだようだ。
女の子ってオシャレの話だと何かツボに入ったように夢中になるよね。
「さ、今の内に隣の客室に移動しよう」
僕は話に取り残されて怒りのやり場を失い、ポカーンとしていた少年を促して元の客室に戻った。
このままここにいたらまたトラブルに巻き込まれることは間違いないからね。
それにしても牙ある者たちはカッとしやすいけど、基本的に根に持たない人が多いからこいういう時にはありがたい。
僕の幼友達もほとんどが牙ある者だから、扱いには慣れているし。
「お、おい! さっきのはなんだ!」
移動して、落ち着いた途端に牙ある者の少年が僕に突っかかった。
黒い剛毛、大きな体格で、厳つい雰囲気の人だけど、服装は高いものじゃないけど清潔でシワもないきちんとしたものだし、授業に使う筆記用具や資料の入っているらしい重そうな鞄を抱えている。
案外と本来は知性派なんじゃないかな?
「ああ、女の子って自分の興味があることのほうが大事だから、きっともう怒ってないよ。それにカバーを着けてくれたら変な勘違いも起きにくいしね」
「いや、そうじゃなくって! 俺、お前に会ったことないよな?」
「そうだね。初対面だね。ああそうか。初めまして、僕は
「のっそりはねえだろ? 結局出る幕がなかったけどさ。俺はカイ・緑・タタラだ。よろしくな」
カイが大きな体を揺すって笑った。
こういう風に細かいことはあまり気にしないのがカイのいいところではある。
「あ、ああ俺はシンヤ黒岩って言うんだ……って違う! お前俺を助けたのか?」
「いや、別に。騒ぎを納めただけ」
「そ、そうか。そうだよな。わりぃついカッとなっちまって。あの女、デカイ尻尾をバッサバッサさせてやがったくせに俺がわざと触ったとか、痴漢扱いしやがって!」
思い出したら怒りがぶり返してきたらしい。
僕はそんなシンヤの胸、正確には肩甲骨の上辺りをトンと軽く叩いた。
さっきもやったね。
これは要するに気をそらす手段の一つで、れっきとした読気の技の一つだ。
「もういいだろ? 今から授業受けに行くんだよね。学科はどこ?」
「ああ、経済学部だ」
「へえ、実業家になるのかぁ」
「おお、金持ち候補生か! オゴレ!」
「お前ら……経済学んでる奴がみんな会社を創るとか思ってるだろ?」
カイのこのずうずうしさはいっそ羨ましいものがあるな。
とりあえずちょっとしたトラブルがありながらも僕はその日の講義を滞りなく受講した。
高等学校のある学園特区は、都会エリアの中でもモデル的に広範囲の緑化地帯となっている。
人工循環環境を創り出すのがその目的なのだそうだ。
僕は午前の授業が終わった後はこの緑地地帯でお弁当を食べることにしている。
そう、ディアナの手作り弁当だ。
ディアナは今まで料理やお菓子作りとは無縁の環境にいたからその反動なのか、異様にそういったものに凝りだしていた。
『場所は違っていても同じ時間に同じものを食べれば一緒にいる気分になれるから』
と、僕にお弁当を作って渡してくれるようになったのだ。
なんかヤバイ。
よく人は幸せすぎるとその反動を恐れるものだと言うけれど、僕はこの新婚さんごっこのような生活に段々と不安を覚えるようになった。
いや、新婚さんと言うには、まだまだ僕たちはぎこちない部分があるけど、他人から見ると僕が思っている以上にヤバイらしい。
師匠なんか終始僕らをからかったり、ディアナをうちの嫁とか呼んだりするので、共通の知り合いの誤解が怖い。
てか、僕は別に師匠の子どもじゃないからね。
指のリング状の端末で時間を確認して、ディアナとの約束の時間に合わせて弁当を食べるためにいつもの場所に向かった。
春も半ば、陽の高い時間は外が十分に温かい時期になったので、緑地帯の川の主流から分岐された支流の一つ、小さな小川のある草原地帯へと足を向けた。
伸び盛りの若葉は上等の絨毯のように気持ちがいいので最近はここが僕のお気に入りだ。
先輩に聞いたらこの一帯は初夏には星屑草の花が一面に咲いて、定番のデートコースになるらしい。
まだ今は人があまり訪れないのでゆっくりできるけど、花の時期にはここで弁当を食べるのは無理かもしれないな。
小川へと向かって斜面になっている場所を少し降りたところに、ふと気になるものを見つけて僕は近づいた。
低木の茂みの中に目立たないけどこんもりとした春告げ草の一群が白い花を咲かせている。
そこに、小さな卵を発見した。
「あれ? これって春卵?」
その卵の表面には、びっしりと濃淡の違うピンクとグリーンで描かれた群れ咲く花の模様があった。
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