エピソード2 【未来のためにできること】 その四

 春卵と言うのは春の始めの週末に行われる子どものためのお祭りに使われるアイテムだ。

 色々な模様が描かれた卵があちこちに隠され、それを子ども達が集めて聖堂に持っていくと、卵ごとにお菓子やおもちゃなどと交換してくれる。

 毎年、子ども達が楽しみにしている日を象徴するものなのだ。


 僕も子どもの頃は友達と一緒に、あちこち春卵を探して回った。

 この草むらに落ちていた卵もその内の一つなのだろう。

 もうお祭りの日はとうに過ぎているので、お菓子やおもちゃに引き換えることは出来ないけど、とても可愛らしいデザインだし欲しい人がいるかもしれない。

 春卵は幸運を運ぶと言われているので、お祭りの後に出来のいいものはインテリアなどに加工されることも多いのだ。


「聖堂に持っていくか」


 ディアナの作ってくれたお弁当を美味しくいただきながらその可愛らしい卵をしげしげと眺めていた僕は、そう思いついた。

 基本的に不用品や拾ったものは聖堂に持ち込むのが普通だ。

 祭壇に捧げたそれらの品々は、分類されてそれを必要とする人が自由にもらうことが出来る。

 もらえるのは一日一つだけ、自分で使わないものは貰えないことになっているけれど、都会ではそうもいかない部分もある。


 都会に住んでいる人達が暮らし向きと比べて身なりがいいのは、聖堂の存在のおかげと言っていいだろう。

 お金持ちは都会でイベントやパーティ、接待などのために高級な服を作って、必要なくなると聖堂に持ち込む。

 そのせいで暮らし向きは貧しくてもやたら上等の服を着ている人が多いのだ。

 もちろん貰った服はだいたい古着屋に売られてしまうのだけど、その辺は聖堂も目をつぶっているらしい。

 古着を買うために必要なお金よりも売値が安かったりすると、それはそのまま本人が着用するので、よほどいい服以外は活用されているし、そう問題はないのだそうだ。

 まぁドレスやタキシードで生活する訳にはいかないしね。


 高等部は小等部や中等部と違って学校に聖堂が付属していない。

 そのせいで小さい頃は毎日のように聖堂に行って神様にその日の出来事をこまごまと報告していたのに、今やすっかりご無沙汰となってしまった。

 神様から距離が出来ることを大人になることだと言う人もいるけれど、実際に物理的に距離が開いてしまうのだからそれも当然と言えるだろう。


 子どもの頃は僕の日常の他愛のない話を聞いて、ニコニコしている神様を想像して心を温かくしたものだけど、ああいった純粋さをいつまでも持ち続けることは困難なのかもしれないな。

 それでも、また、神様に少しだけ報告をしたい。

 ディアナのこととか、ね。


 神様、今僕は彼女と一緒に住んでいるんですよ。

 信じられますか? この間までは聖堂に行っても不安や泣き言ばかり言ってたのに、そんな僕でもちょっとだけ前向きになれるかもしれません。



「ただいま」

「あっ! お帰りなさい! ごめんなさい、今手が離せなくって!」

「いいよ、帰って来ただけのことなんだし」


 ディアナは僕よりも先に帰っていたらしく、何やら台所のほうから甘いいい匂いがしている。

 いよいよ本格的にお菓子作りにチャレンジを始めたようだ。


 荷物を部屋に置いて居間に行ってみると、テーブルにお菓子や料理の本が何冊か置いてあった。

 ディアナ、勉強大丈夫なのかな? ちょっと不安だ。

 あ、お菓子の本の下に参考書が隠れていた。

 勉強もちゃんとしているっぽい。


 師匠はまたどこかへふらっと出掛けたのか姿がないようだけど、どうせ食事の時間には戻ってくるので放っておいてもいいだろう。

 ディアナが住み始めてからは特に、師匠はあまり日中家に居着かなくなった。

 夜もたまにどこかに泊まって来ることが多い。

 ディアナは自分のせいで居心地が悪くなったのでは? と心配していたけど、そうじゃない。

 僕の面倒を見る必要が無くなったので、昔からの放浪癖がまた顔を出し始めたのだろう。

 僕が中等部の時代にも、半年ぐらいいきなり消えて、大変な思いをさせられたものだ。

 そもそも僕の修行もまだ完全に終わった訳じゃない。

 より多くの実践が一番の修行だとは言うけれど、師匠がこれまで積み重ねて来たものがあってこその技なのだ。


 そんなことを考えながら、僕は持ち帰った春卵を灯りにかざしてみた。


「ん?」


 卵の中身が見えない。

 ちゃんと重みのある卵なのにフェイク卵なのだろうか?

 もしそうだとしたらこれを作った人はかなりの腕前だな。

 すごく自然に出来ている。

 人工の灯りの下で見ても、卵の表面に描かれた模様はとても美しかった。

 花咲く草原をパターン化したようなデザインは、多くの人に好まれそうだ。

 僕はせっかくだからエッグスタンドを作ることにした。

 インテリアとして完成させたほうが欲しい人も増えるだろうと思ったのだ。


 春のイメージから、明るい金色の真鍮の針金を使うことにして、まずはぐるぐると卵に針金を巻いてスタンドのベースを作る。

 スタンドの中に光源を仕込んでちょっとしたムードランプのようにしたら綺麗だろうな。

 明るい時間に光を溜めて暗くなると光りだす光石を使うと、幻想的でちょうどいいかもしれない。


「あれ? それ妖魔の卵」

「え?」


 台所からプレートを持って現れたディアナが僕の手元を見て言った言葉に思わず集中が途切れる。

 振り向くと、僕の視線の先で、ちょっと照れたように赤くなったディアナがいた。

 広げていないときのディアナの羽は、薄いマントのように肩から背中を覆っているのだけど、その羽の先端がパタパタと小さく動いているのがとても可愛い。


「妖魔の卵?」

「うん。珍しいね。妖魔の卵は神力の濃い場所じゃないと生まれないと聞いていたけど、どこで見つけたの?」

「春卵じゃなくって?」

「春卵?」


 ふむ、これは二人とも知っていることと知らないことを互いに教え合う必要がありそうだ。

 とりあえず僕は雑然としていたテーブルの上を片付けて、ディアナが手に持ったプレートを置けるスペースを作った。


「あ、ありがとう」


 小さくお礼を言ったディアナが僕の前にプレートを置いてくれた。

 甘い香りが温もりと共に押し寄せる。

 これっていわゆるパンケーキってやつかな?


「お菓子作りならまずはこれから始めるのがいいって、教わって」

「へー、綺麗に焼けているね。美味しそうだ」

「う、うん。なんとか綺麗に焼けるようになったから、やっとイツキに出せると思って」


 えへへと笑うディアナが反則級に可愛い。

 これはあれだな、シナリオゲーム好きの友人がよく言うところのちょろい奴ってことだ。

 もちろん僕が。

 まぁずっと前から好きなんだから今更か。


 すでにパンケーキの上で半分溶けているバターを、添えられたフォークで全体に塗って、切らずにそのままひとくちかじった。


「うん。美味しい」

「ほんと?」

「うちの母さんさ、こういうおやつって年に数回しか作ってくれなかったから、手作りのおやつってすごく嬉しい。ありがとう、ディアナ」

「よかった!」


 ディアナは文字通り飛び上がって喜んだ。

 羽を少しだけ広げてふわっと浮き上がると、エプロンやスカートもふわっと広がってひきしまったふとももがちらっと覗く。

 なんだろう、今日僕誕生日だったっけ?

 ディアナはそのままパタパタと少し浮きながら台所に戻ると、慌ただしくお茶のセットを運んで来た。

 うん、お茶を出し忘れていたんだね。


 ディアナは僕に出す前にさんざん試作品を食べたからということで、パンケーキを一人で食べるのをディアナにじーっと見られるという、ちょっと羞恥プレイっぽい状態をなんとか乗り切り、お茶のおかわりを飲みながら卵の話に戻る。


「妖魔って確か幻想種の元になるって言われているものだよね。動物みたいな」

「そう。人があまりいない山奥とかで時々見つかるの」

「でもこれ、学校の近くの草っぱらの中にあったんだよ。ただの春卵じゃないかな?」

「春卵って確か春のお祭りに使うやつだよね? 普通の卵にペイントして飾るんだっけ?」

「うん」


 ちょっと違うけど、その辺は後で修正すればいいか。


「でも少しだけど魔力を感じるよ」

「えっ、本当に?」


 魔力というのは実のところ神力と同じものなんだけど、神力は付帯、付随型のエネルギーで魔力は動的エネルギーとして分けて考えられている。

 なぜなら魔力の発動には魔核という媒介が必要だからだ。

 魔核を持つのは妖魔や幻想種、そして幻想種族だけで、幻想種族が幻想種から進化したという根拠にもなっている。

 竜人は幻想種族だから魔核を持っているのでディアナは魔力を感知出来る。

 そもそも竜人が空を飛べるのは魔力を使っているからだしね。


「妖魔の卵は周囲の環境を写すから、この卵はきっと花の気配の濃い場所で生まれたんだと思う」

「ああうん、確かに」

「都会って循環の力が働かないって聞いていたけど、そうでもないんだね」

「学園特区はかなり頑張って循環環境を作ってるらしいからね。そっかじゃあこの卵戻した方がいい?」


 途中まで作ったスタンドは残念だけど、せっかくならちゃんと生まれる環境に返したほうがいいだろう。


「う~ん。妖魔の卵が孵るには魔力の供給が必要なの。だから妖魔か幻想種が近くにいない環境だと孵らないまま石化するかも」

「それじゃ元に戻すのはかえって悪手か」

「ね。よかったら、その卵、私達で孵さない?」

「でも僕に魔力はないよ」

「魔力は私が供給するけど、妖魔の姿や性質は周囲の環境の影響を強く受けるの。だから私達が優しくしてあげたら優しい妖魔が生まれるよ」

「それは、素敵だね」

「えへへ、実は私、妖魔を飼うのあこがれていたんだ。集落に妖魔と一緒に狩りをする人がいて、とても格好いいんだよ」

「へぇ」


 格好いいって、そいつ男なのかな? ディアナのあこがれの人なんだ。

 いやいや、何嫉妬しているんだ、見苦しいぞ。


 僕は湧き上がりそうになった見苦しい気持ちをぐっと押さえつけると、ディアナに向かって微笑んだ。


「わかった。一緒にこの卵を孵そう」


 結局その妖魔の卵は僕の作ったスタンドにセットされ、夜には光石の放つ光に包まれ、普通のインテリアのように居間の窓際に置かれた。

 毎朝僕とディアナはその卵に触れて、色々と話し掛けて出掛け、帰ってきたらただいまと言って触れ続けた。

 なんとなく子どもが生まれるのを待っている父親ってこんな気持ちなんだろうかなどと考えて、自分のことながら恥ずかしい奴とか思ってしまったり。

 ともかく共通の楽しみがあるのは僕とディアナにとっていいことだった。

 僕たちはおずおずと近づいたり離れたりを繰り返し、少しだけ自然に、昔のようなつながりを取り戻せた。


 そして春も過ぎて夏になる頃に、その卵は孵った。

 驚いたのは、孵るときに卵の殻を割るのではなく、卵そのものがまるで溶けるように姿を変えたことだ。

 世界というのは驚きに満ちているというけれど、本当だね。


「キュー?」


 僕たち二人の目の前でコテンと小首をかしげる仕草を披露したその妖魔は、伝説のドラゴンをデフォルメしたぬいぐるみのような姿をしていたのだった。

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