エピソード 1.5 【午後のティータイム】

 ディアナは樹希と住んでいる家からしばらく歩いた場所にある塾に通っている。

 この国では学校は基本的に繰り上がり制で、よほど成績が悪いか、何か問題がある子どもでない限り、上の学校に上がれないということはない。

 そのため、学校以外で勉強する場所というのは、特別いい学校に行く子どもや、逆に同学年の学習スピードについていけない子ども、そしてディアナのように他国からの帰化などの理由で、就学資格を未取得の子どもなどの、特別な事情の子ども達のためのものだ。


 その中で、ディアナはいい学校に行くためのバリバリの試験対策塾ではなく、学校の授業の理解の手助けをするための塾を選んで通っていた。


 ディアナは特に国語や歴史などの苦手な科目は基礎学習から学んでいるので、自然と同じ教室には年下の子どもばかりとなってしまい、かなり浮いている状態だった。

 とは言え、本人はさして気にしていないらしい。


「……酷い」


 そして今、知らなかった歴史を知って、小さい子ども達と一緒に胸中に怒りを感じながら講師の話を聞いていた。


「暗黒時代はどの種族も試練の時だったと言っていいだろう。今も述べたように、現在はひと種族で大国を成している角なし鬼族も、かつては、ほぼ奴隷としてのみ生き延びていた。彼らは思慮深く、器用な種族だが、いかんせん攻撃能力に劣っていた。逆にその思慮深さや器用さが奴隷としての価値を高めたと言っていい。一握りの貴族によって国が民を支配していた時代には、貴族の館には必ず角なし鬼族の家令がいたと言われるほどだ。しかも角なし鬼族との混血では必ず優秀な子どもが生まれることもすでによく知られていたから、なおさら奴隷としての人気が高かったのだね」


 ディアナは講師の話を聞きながら、ワナワナと手元が震えるのを止められなかった。

 彼女が大切に想うイツキもまた角なしだ。

 もし彼が暗黒時代に生まれていたら、奴隷として人権を認められない生活をしていたかもしれないのだ。


「しかし、そんな角なし鬼族の中にも勇者が出現する。かの五人の王のうちの一人だな。五王についてはただ名前を丸暗記するよりもこういった時代の背景をきちんと覚えることで、より深くそれぞれの人物像を理解することができるぞ」


 ディアナはほっと息を吐く。

 ディアナは争い事はあまり好まない性質だったが、英雄譚は好きだった。

 特に暗黒時代を終わりに導いた英雄たちの物語は、多くの少年少女のあこがれでもある。

 この時代をテーマにした物語やドラマが多いのも当然だ。


 五人の王、同盟世界では五王と呼ばれている彼らは、竜人の部族では八英雄と呼ばれていた。

 と言うのも、竜人の英雄は王にならなかったので、五王の中に入っていないのだ。

 竜人種族としては当然ながら自分達の先祖を称える必要があるので、八英雄としてのほうが通りがいいのである。


 そんな英雄達を、今まで物語の中の遠い存在のように感じていたディアナだったが、今は深い感謝と共に思い描くこととなった。

 イツキが今自由に生きていられるのは英雄たちのおかげなのだ。

 歴史というのは決して今と無関係ではないのだと初めて理解出来たのである。

 

 授業が終わると、ディアナはリングで時間を確認してこれからの予定を頭の中で組み立てた。

 イツキが戻るのはもう少し後になる。

 本日の料理当番はイツキなので、ディアナはこの日は夕食の買い物をする必要がなかった。


「もう少し上の学年向けの参考書と人名百科が欲しいかな」


 そこで余った時間で勉強をしようと、少し先の予習が出来る参考書などを購入することにする。

 そうやって時間を確かめるためにリングを見たディアナは、少し口元がゆるむのを感じた。

 このリングと言うのは、色々な機能を持つ端末で、この国ではほとんどの人が標準で装備している。

 形は指輪タイプ、腕輪タイプ、ネックレスタイプと様々で、買い物の料金の支払いや広域ネットに接続しての情報の確認などに使われていた。


 元々よそ者だったディアナはこのリングを持っていなかった。

 そこでイツキが選んでプレゼントしてくれたのである。

 ただ、イツキのリングは指輪型だが、ディアナのリングは腕輪タイプだ。

 ディアナとしては本当は同じものがよかったのだけれど、指輪型は壊れやすいということで、力が強く、皮膚も堅いディアナは、仕方なく腕輪タイプにしたのである。

 しかしベースデザインはイツキのリングと合わせて選んだので、無理やりペアと言い張ることも出来た。

 と言うか、ディアナはペアだと思っている。


 イツキのものが深い緑で、ディアナのものが茜色、夕暮れの空の色だ。

 イツキはセンスがいいので、とてもオシャレでありながらも普段着のときも、ちょっと着飾った場合でも浮くことのない、素敵なデザインのリングを選んでくれた。

 当然ながらディアナにとって、それはお気に入りのリングとなっていた。


 そうやっていつものようにイツキのことを考えていたディアナだったが、ふと、不穏な気配を感じて足を止めた。

 イツキのように気を読む訳ではないが、ディアナも戦いを生活の中心に据えた一族で育った竜人である。

 争い事の気配はなんとなくわかる。


 しかもなにやらニヤついた男達が連れ立って路地に入っていくのだから、あまり穏当なことではなさそうだとディアナは感じた。

 そこで気配を消した状態で、ディアナは男達の入った路地を進んだ。


 街中の路地は案外と入り組んでいて、裏通りからそのまま私有地に繋がる場合も多い。

 ディアナはイツキからはあまり大通りからは外れないようにと言われていた。

 ただ、ディアナならいざとなったら飛べばいいので、迷子になって戻れなくなるなどといった事態になるとはイツキも思ってはいない。

 イツキははっきり言うのを避けていたが、都会の路地裏から繋がる場所には不法占拠された居住地区などがあって、けっこう物騒なのである。

 とは言え、ディアナが迷い込んだ場合、襲われたほうと襲ったほうのどちらにとって不幸なのかははっきりしているが。


 案の定、人の気配を辿って路地を進むと、行き着いた先には廃墟同然のビルがあった。

 男達はそのビルの前の狭い駐車スペースだったのだろうと思われる場所に集まっている。


「なぁ! いいじゃんか! 今はお前だってシーズンで体が疼いてるんだろ?」

「お願いです。私にかまわないでください!」

「ひょっ、震えているじゃねえか。寒いのか? あっためてやるぜぇ」

「やめて!」


 とてもわかりやすい状況だった。


「どこからどう聞いても恋のささやきには聞こえないけど、それはもしかして紳士的に女の子にアプローチをしているつもりなんですか?」


 ディアナは言いながら一歩を踏み出す。

 男達はぎょっとしたようにディアナを見た。

 人数は六人。

 全て牙あるものだ。

 体格もいいし、鍛えているのだろう。

 ただ年齢は全員まだかなり若い。

 それこそ初めてのシーズンか、せいぜい二度目というところだろう。


 恋の季節シーズンを春に迎える種族は多い。

 穏当に結ばれるカップルはいいが、この時期には無理やり女性を襲う男が増えるとされていて、女性はあまり一人で外出しないようにと言われる季節でもある。

 とは言え、ディアナはそんな現場をその目で見るのは初めてだ。


 ちらりと見えた囲まれている少女は、ふわふわの白い毛皮が柔らかそうな小柄な子だ。

 パステル調の、ディアナには絶対に似合わないだろう可愛らしい服を着ていて、少しだけ羨ましくディアナは思った。


「へっ、女か。なんだ、てめぇも仲間に入れてほしいのかよ!」


 威勢のいい、男達のボスらしい男の言葉に、ディアナはその男に視線を合わせると、たたんでいた背中の羽を広げる。


「えっ! 吸血族? いや、あの顔はまさか竜人か!」


 ざわりと、集団が怯んだ。

 竜人種族の強さは、有名なデュエリストを多く輩出していることで広く知られている。

 さすがに牙持つものとは言え、一瞬弱気になったのだ。


「ちっ、竜人とは言え、そいつまだ若い女だぞ、この人数差だ、ビビるんじゃねぇ!」


 リーダーがそんな仲間に活を入れた。

 一方でディアナは、彼らを無視して囲まれている少女に確認する。


「この人達を追い払ってほしい?」

「お、お願いします!」


 少女の柔らかい声が必死の叫びを上げた。

 ディアナは一つうなずくと、羽を更に大きく広げる。

 キン! と空気がまるで硬質化したような衝撃が走った。


「グッ!」


 金属が焦げたような独特の臭気と天地がひっくり返った視界。

 男達が感じたのはそれだけだった。

 彼らが次に気づいたときには、地面に伏していたのだ。


「うん。上手に手加減が出来た」


 ディアナは一人うなずくと、一人ぽつんと立っている少女の手を取った。


「行こう」

「は、はい」


 ややぽかんとした少女の手をディアナは引いて、元の大通りに戻る。


「大丈夫だった? シーズン中は気をつけないと駄目」

「はい。ありがとうございました。このところずっと注意はしていたんですけど、待ち構えられていて、逃げている内にあそこに追い込まれてしまって」

「あー、群れる人達はハンティングに慣れているから」


 改めて少女を見たディアナは、そのあまりの可愛らしさに驚愕した。

 ふわっふわの白い毛皮に長い耳、つぶらな黒い瞳は憂いを帯びているかのように潤んでいる。


(これはアレ、確かコケティッシュというタイプの容姿)


 男達が夢中になるのもなっとくの可愛らしさだ。

 女であるディアナですら、抱きしめて撫で回したくなる。


 イツキがこの少女に出会ったら、もしかしたら一目惚れしてしまうかも? と想像して、ディアナは泣きたい気持ちになった。


「あの、なにか」

「ううん」


 少女には何の責任もないことで嫌な気分にさせる訳にはいかない。

 ディアナは自分の考えを吹っ切って微笑みかけた。


「あの、よかったらお礼にお茶でもいかがですか?」

「えっ?」

「あ、私、リリカ・イズミです。近くにすっごく美味しい紅茶とケーキのお店があるんですよ」

「……ケーキ」


 ディアナはこの国に来て、初めてケーキという存在と出会った。

 まるで宝石のようなその食べ物は、ふわふわと柔らかくてとても甘いという驚くべき存在で、たちまちディアナを虜にしたのだ。


「わ、私は、ディアナ・炎・ブラッククロー」


 ディアナは名乗り返しながらも、自分のゴツい名前を口にするのに嫌気がさす。

 竜人の里では、強さが全てなので、名前もまるでデュエリストネームのような、派手なものばかりなのだ。

 リリカ・イズミ、名前まで可愛い少女に大きな敗北感を覚える。


「うわあ、名前もカッコイイのね!」

「リリカは名前も可愛くていいね」

「可愛いほうがよかったの?」

「うん」

「でもディアナって名前、月の中で眠る精霊の名前でしょう。とてもロマンチックじゃないかな」

「そ、そうかな?」


 自分の名前を褒めてくれたリリカの言葉をディアナは素直に嬉しいと感じた。

 とは言え、その精霊の伝説は実のところあまりロマンチックとは言えないものだ。

 何しろソレが目覚めたら世界が終わるのだから。

 

「じゃあお礼にお茶、奢らせてね」

「うん」


 逆らえない。

 いや、逆らいたくないと、ディアナは思った。

 樹希はディアナにとって大切な相手ではあるけれど、やはりどうしても男の子だ。

 お菓子や可愛いものの話で盛り上がるには難しいものがある。

 ディアナとしてもそういった話をすることの出来る相手に飢えていたのかもしれない。


 こうして、ディアナにこの街で初めての女友達が出来たのだった。

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