エピソード6 【魔王の宴】その四

 男の姿がふいに影に溶ける。

 あの不思議な魔法を使った移動をするつもりだ。

 このままでは間に合わない。


「ディアナ、僕を離して! 両手が空いていればやれることが増える」


 僕はとっさにディアナに言った。

 このスピードだ。

 放り出された形になればかなりの衝撃だけど、事前にわかっていれば受け身を取ってある程度衝撃を殺せる。

 現在ディアナは僕を抱える形で飛んでいるせいで、スピードも抑えめだし、取れる手段が少なくなっているのだ。

 手が空けば突っ込みながらあの女の子を確保することもできる。

 これまでのあの男の移動を見ていると、あの影に溶けるためには少しだけ時間が必要なことがわかった。

 ディアナのトップスピードならギリギリ間に合うかもしれない。


「ダメ!」

「ディアナ?」

「ダメ!」


 ディアナは僕を前にも増してギュッと抱きしめるように包み込むと、飛ぶ速度を上げた。

 男が長耳種の女の子の横の木陰に突然出現したのが見える。

 女の子は驚きのあまり固まった。

 男の手が素早く伸びて、彼女の肩を抱き寄せ、口を塞ぐ。

 まずい。

 トイレの建物に突っ込みかねない速度でディアナがそこへ到達する。

 男はこちらに気づくと、ギョッとしたように女の子を抱えたままその場を飛び離れた。

 ディアナはトイレの壁を蹴ってくるりと宙返りして着地、僕をそっと離して男に突進する。

 それはまるで流れるような見事な動きだった。

 僕を抱えているために生じるタイムラグなど感じさせない素早さだ。

 しかし、相手の男にとって、それは十分な時間だったらしい。

 その姿が影のなかに溶けるように消えていく。

 どうやっているのか、捉えた女の子も一緒だ。

 女の子の目がディアナを見て、一瞬すがるような感情を閃かせるのが見えた。


「サクラちゃん!」


 やっぱりさっきのは聞き間違いじゃなかったんだ。

 あの女の子、ディアナの友人か。

 男が消えた場所を探るも、何の痕跡も僕には見つからない。

 なんてことだ。


「どうした?」

「ハク先輩!」


 そこで白先輩がふわりと飛び込んで来た。

 ちょうど男が消えた辺りを視線がなぞっている。

 やっぱり何か見えるのか。

 僕は白先輩に男の移動先がわかるかどうか確認しようとした。が、それよりも早く、ディアナがひどく激高した声で白先輩に問い掛けた。


「あなたは、あの人さらいの仲間?」


 僕ですらゾッと震え上がるような、殺気のこもった声だった。

 もしかしたらディアナのそんな声を初めて聞いたかもしれない。


「……おそらくは、敵、かな」


 白先輩はディアナの激高を恐れる風もなく、でも、どこかためらうようにそう答える。

 敵、そうか、先輩には敵がいるのか。

 そう考えれば、今までの先輩の、どこかなるべく目立たないように行動しようとして失敗している感じの立ち回りがだいたい納得出来る。

 魔人種などほとんど見掛けないようなこの国へと亡命して来たという先輩の事情も、その敵とやらのせいなのかな。

 一方でディアナは勢い込んで追求するつもりだった所を、その怒りの向け先を逸らされた形となった。

 そして、結局、その怒りは自分へと向かう。


「ディアナ、間に合わなかったのは僕がいたから」

「違う、違うから」

「お前たち、その人さらいとやらを追うんじゃないのか? ぐずぐずしていると気配が途切れるぞ」


 落ち込み始めたディアナを慰めようとして、なおさら落ち込ませるというダメ人間っぷりを発揮していた僕に、白先輩がそう言った。


「追えるんですか?」

「これまで私が何を追って来たと思っているのだ?」


 そう言えば魔力痕がどうとか言っていたっけ。


「まぁ私はこのまま追跡するが、お前たちはおとなしく避難しておくほうが賢い選択だとは思うがな」


 ばさりと羽を広げた白先輩を見て、ディアナが僕を抱え込んで飛び立つ。


「ディアナ、僕は地上から二人を追うから」


 正直いざ戦闘となったら邪魔にしかならないことがはっきりとした僕はディアナにとってお荷物でしかない。

 別行動をしたほうがディアナは動きやすいはずだ。


「こんな危険な場所にイツキを放り出して行けない」


 まぁ確かに危険人物はあの影に溶ける魔法使いだけという訳じゃないだろう。

 何しろカフェエリアでは派手な戦闘行為が始まっているらしいし、別働隊が一人というのもおかしな話だ。

 それにしても僕もけっこう頑張ってきたつもりだけど、戦闘能力的に実際はあんまり役立ちそうもなくて悲しくなる。

 こんなんで、将来バウンティハンターとしてやっていけるのだろうか。

 そんなことを考えている間にも、白先輩は凄い勢いで移動していて、注視しているのに何度か見失いそうになった。

 なんか、あんまり速すぎてコマ撮り撮影の映像でも観ている気分だ。


「ありがとう、ディアナ。今はとにかく先輩を追うことを優先しよう」

「そうだね」


 さすがのディアナもついていくのがやっとだ。

 あ、先輩が地上に向かった。

 そこは学園特区と商業地区の境目付近にあたる少し大きめの道路だ。

 朝の登校時間にはやたらと混むその道路も、今は閑散としている。いや、どうも治安部隊の検問があるみたいだ。

 そのずっと手前、外部用の宿泊施設が固まっている付近に大きな車が停まっていて、白先輩はその車が停まっている手前の建物の屋上に降りて下を見ている。


「先輩」


 やっと追いついて白先輩の背後にディアナが降り立つ。

 

「あの車ですか?」

「ああ……」


 また先輩の歯切れが悪い。


「お前たち、そこの治安部隊を呼んであの車を調べさせるんだ。無駄かもしれないがやらないよりはマシだろう」

「無駄かもしれないって?」

「いざとなれば車ごと飛ぶだろうからな」

「飛ぶって、空を?」

「いや」


 白先輩は問い掛けた僕を見て、思わずといった風に笑うと、答えた。


「空間を、だ」

「それってさっきの影に溶けたやつですか?」

「そうだ」


 それじゃあ治安部隊でも防げない。

 あの車にさらわれた人たちが乗っているのに、また、助けられないのか?


「そんな、何か方法は? 魔法は万能でどうしたって助けられない、何をしても無駄ってことですか?」


 自分でも思ってもみなかったような、泣きそうな声が白先輩に向けてなじるように放たれた。

 情けない。

 でも、そうだ、僕はずっと、あの子ども時代から変わらずに情けないままだ。


「魔法は万能ではない。少し集中を乱してやれば使えなくなる」


 そんな僕の言いがかりのような言葉に、白先輩は落ち着いた声で答えた。

 集中を乱す。

 相手が思ってもみなかったようなことが起これば魔法が使えなくなるってことか。


「わかった」


 ディアナはそう言うと、すっくと立ち上がり、すばやく宙に身を投げ出す。

 止める間もなく、ディアナは停まっている車の運転手席部分の屋根に突っ込んだ。

 バキバキバキッと、堅い金属が折れる音が響いて、車の屋根が変形する。

 穴があかなかったのが不思議なぐらいの勢いだった。

 白先輩は大きなため息を吐くと、手を突き出してその手に力を込めるように握り込み、ぐいっとひねった。

 途端に、先程より派手な音を立てて、車が分解した。


「えっ?」


 僕は車と白先輩を交互に見て、少しの間ポカンとしてしまった。

 ディアナですら、突然の車の惨状に一瞬次の行動に移るのが遅れたほどだ。

 ましてや、車に乗っていた人間にとっては、その驚きは僕たち程度ではなかった。

 全員が何が起こったのか全くわからない風で、固まっている。

 そう、そこにいたのは既に車に乗っている人たちではない。

 何か元の形もわからないような、金属の残骸の中に埋もれている人たちだった。


 そんな中、五人ほどの学生らしき男女が拘束されて身動きのとれない状態になっているのが見える。

 拉致された人たちだろう。

 周囲にいる大人は例の男の他、頭を押さえて倒れている運転手だったらしい男と、大柄な、金と黒の毛皮を持つ男、見えている太い腕が鱗でびっしりと覆われている男の三人。

 この全部で四人の男がカフェエリアの襲撃犯の仲間ということだろう。

 運転手はのたうち回っているけど、戦力としては省いていいのかな?

 ともあれ、すぐに意識を切り替えたらしいディアナは、やっかいな魔人種の男にまず突っ込んだ。


「ハク先輩ありがとうございます!」


 何かわからないけど、明らかに白先輩が助勢してくれたのだろうと理解した僕は、そうお礼を言うと、建物の外壁伝いに地上に降りる。

 配管や窓枠などに体重を乗せすぎないように手や足をかけて、無事に地上に降りきると、ディアナに気を取られている相手の隙を覗いながら、拘束されている人たちに接触した。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る