エピソード5 【ユタカ】 その三
「食器はその右の棚の中、カトラリーはその下の引き出し。お湯はそっちの蛇口に付属している温度設定で、ポットはトレーと一緒に水場の下の棚、お茶とお菓子……は持参のがあるのか。うん、ありがとう。砂糖、ミルクは保存庫の中ね」
ユタカはお茶の準備のために次々と指示を出す。
これが見舞客に対するユタカのスタイルだ。
なにしろ自分はほとんど動くことが出来ないので、お客をもてなせないのである。
ただ、もてなすのに何が必要かは理解しているので、指示は的確だ。
客が自分でうろうろ探し回るよりもずっと準備が楽なのは確かだろう。
ディアナは他所の家(病室だけど)のキッチン周りが物珍しいのか、なんとなく楽しそうだ。
「コンロとかはないんですね」
ディアナが不思議そうに尋ねる。
「僕の羽が引火するかもしれないからね。一応浮遊しないように湿度は上げてあるんだけど、僕の羽は燃えやすいみたいなんだ」
「そうなんですね。変なこと聞いてごめんなさい」
「謝るのは無しだよ。疑問を感じたら聞くのは当たり前だろ?」
「あ、そうですね。ええっと、教えてくださってありがとう」
「そうそうその調子。さすが樹希の彼女だよね。あとはそのちょっと堅い態度と口調をもっと友達らしく砕けたものにしてくれると嬉しいな。まぁまだ初対面だしいきなりは無理かな? 慣れたらちゃんと友達になってくれるよね?」
「えっ! 彼女、ですか。あ、ええっと、私もユタカと友達になりたいです」
ユタカはほんと遠慮しないよね。
いきなり僕の彼女とか、すごいダイレクトな指摘をありがとうございます。
てか、僕、言ったよね。
僕の一方的な片想いに近いって。
「お、やった! ディアナは今日から僕と樹希の共通の友人だね。あ、樹希がやきもちを焼くかな?」
「僕はディアナにはたくさん友達を作ってほしいから焼きもちなんて焼きません」
「ほう、心の広い彼氏だな。よかったねディアナ」
「えっ、えっ」
ディアナ真っ赤になってるぞ。
あ、お茶の葉、ポットに入れすぎてますよ。
「ディアナ、お茶が」
「あっ、きゃあ!」
「大丈夫落ち着いて。余分な葉っぱはそこの棚にあるガーゼの上に出して、後で足す分にすればいいよ」
「ごめんなさい。ありがとう」
「いや、僕がからかったのが悪かったから。つい、嬉しくってさ」
「嬉しいって?」
「うん。樹希が楽しそうなのと、僕が異種族カップルが好きだから、ね。僕の個人的な趣味で悪いけど」
だからまだ僕らまだ正式に恋人同士じゃないんだよ。
そりゃあ僕もちゃんと付き合いたいとは思っているけどさ。
ディアナは僕にやさしくされると、ときどき辛そうにしているんだ。
僕も自分がディアナの傍にいることに吐き気を覚えることがある。
この状態じゃ、すごくギクシャクして、とんでもない落とし穴に落ち込んでしまいそうな気がするんだよね。
本当はユタカに会いに来たのも、僕らの問題を解決する糸口を見つけられるかもと思ったからだ。
生きることに貪欲で前向きで、正直な我が親友どのは、全然違う視点から僕らを見ているからね。
「しゅ、趣味なんだ」
ディアナがあわあわしてる。
「うん。僕自身異種族間に生まれただろ? たまたま僕は苦しい形に出ちゃったけど、これって命の可能性じゃないか」
「命の可能性」
ユタカの凄いところは、常に全身に激痛を抱えるような体に生まれたことを全然悪いことだと思っていないところだと思う。
「神の見守りしこの世界は、異なる根源の力が交わったり衝突したりすることで豊かに成長し続けている。異種族婚というのはそんな交わりの中でも、最も美しい形なんだと思うんだ。それは最も根源に近づく祝福された行いだ。そういう意味では樹希の種族は完成された者とも言えるよね」
「人類学者の仮説かぁ。でもあれってまだ議論中で承認受けてないよね」
「僕は正しいと思っているから。樹希を見ていると確信するよ」
「それって僕をおだててるつもり?」
「持ち上げて落とすのもまた一興」
「落とすのかよ!」
ディアナが蒸らしたお茶をカップに注ぎながら、僕たちの野放図な会話になんとかついて行こうと、話に参加する。
「それって、あの、角なしと結婚すると優秀な子どもが生まれるという噂のこと?」
あ、ディアナも知っていたんだ、その噂。
「それは噂じゃなくってほとんど事実だからね。異なる種族間の子どもは両親の特徴をどう受け継ぐかはっきりしなくて、たまに悪いほうに特徴が出ることがある。僕のようにね。でも角なしとの間にだけは、必ず相手の種族の高い能力を発現させた形で子どもが生まれるんだ。だから種族を越えた婚姻は嫌われる傾向にあるけど、角なしだけはどの種族でも血統に取り入れたがる。その特性に注目した人類学者が、角なしは究極のハイブリッドだって研究発表を近年行ってね」
「すごく専門的なことを知っているんだ」
「ここ、医療関係や生物学関係の専門書は山ほどあるからね」
「環境的に当たり前だけど」
病院のライブラリーを利用すると、その手の最新の専門雑誌が揃っているもんな。
「究極のハイブリッドって?」
「全ての種族が混ざった末に生まれた存在が角なしなんじゃないかってこと」
「確かにイツキは凄いよね」
「ディアナは僕を買いかぶりすぎているけどね」
「でも、僕にとっても樹希は希望でもある。母さんも父さんも間違ってなんかいないんだって胸を張って言えるからね」
ユタカの両親はユタカに対して罪悪感を持っている。
ユタカにとってただ一つ許せないことがそれなんだ。
この世に生まれ出たことに対して、両親がその子どもに向かって謝る。しかも父親はそのことに耐えられなくて出奔してしまった。そんなこと考えただけで辛いことだ。
ユタカは自分の体の痛みを癒やすことよりも先に、その両親の気持ちを変えたいと思っていると言っていた。
その甲斐あって、母親のほうはずいぶん明るくなったらしい。
「まぁそういう風に生まれたってだけなんだから。それは別に特別なことじゃないよね」
僕の種族もユタカの体も、最初からそうなっていたものだ。
自分で何かをして得たものでも、罰を受けたのでもない。
「生きる環境なんてみんな違うんだし。そういったものの一つにすぎないからね。そこからどう生きるのかが大事だし」
ユタカが僕の言葉に答えるようにそう言うと、ニヤッと笑ってみせた。
「それで、最近その成果が少し出たんだけど見る? まぁ見るよね。さあ、刮目して見よ!」
「ブハッ、やめろユタカ、急に変なこと言い出すな。お茶にむせるだろうが!」
「ふふん」
また何をやりだしたのかと思って、僕はユタカを見た。
以前は暇だったからと魔力で糸を操ることを覚えて、いろいろな模様を作ったり、弦楽器みたいに演奏したりして見せてくれたものだけど、今度は何を覚えたんだろう。
そう考えながらユタカを見ると、
「お、おい、浮いてる?」
「お、驚いた? 驚いた?」
「え? 翼がないのに飛べるの?」
ユタカは半分翼人なのだけど、羽毛は生えてきても翼は持たない。
翼人の『飛ぶ』力というのは翼と連動しているので、翼がない翼人は飛ぶことが出来ない。というのが常識だった。
しかし、ユタカはほんの少しだけどハンモックの椅子から体を浮かせていた。
「先生が言うにはさ、僕は人並み以上に魔力の循環能力はあるんだって。で、それが羽毛が生えて割れた鱗を無駄に修復しようとする力として働いているから余分に痛みが激しいということなんだ。そこでその余計なことに使われている魔力をどうにかして翼人の浮遊能力として発現出来ないかな? と思って、頑張った」
「え? だって翼がないと浮く感覚が掴めないって、前に言ってたよね。なんか内臓を自分で動かせるのなら出来るっていうぐらいの問題らしいとか言ってなかった?」
「そうなんだけど、最初からあきらめるのも癪だし、飛ぶんじゃないからなんとかなるかもと思って毎日試行錯誤をしてだね。僕の飽くなき挑戦の末にこうやって成果となったという訳なんだな」
ユタカは決して飛んでいると表現出来るほど自在に空中を移動したりしてはいない。
でも、確かにその体はどこにも触れていなかった。
「見えない筋肉を使ってるみたいで疲れるんだけどさ。これやっている間はほとんど痛みがないんだ。ちょうどお風呂やプールに入っているときみたいな感じ」
「そっか、じゃあどんどん訓練したら、もしかしたら普通に外出したり出来るようになるかもしれないんだ」
「うん」
ユタカは、……親友はちょっとはにかんだように笑った。
なんだこいつ。
僕がディアナを連れて来てサプライズを仕掛けたのに、僕がサプライズを仕掛けられたみたいになってるじゃないか。
「よかったな」
「うん」
「おめでとう」
「ディアナもありがとう」
なんだこいつ。
本当に凄い奴だな。
全然諦めないんだ。
こいつの体をいじくり回している先生達なんか、ユタカは一生普通の生活は出来ないって言ってた。
それどころか、成長期を越えられずいつかショック死するんじゃないかって話していたのを知っている。
痛み止めの効果が段々無くなっていったからだ。
ユタカが一人の時に、体中を真っ赤にして痛みで泣き叫んでいるのを入り口から入れない状態で聞いたこともある。
ちぇ、これじゃあ僕も、ディアナのことで弱音なんて吐けないよな。
こいつよりも、もっと、諦めの悪い人間にならないと、差をつけられたままじゃあいられない。
負けられないと思う。
膝を抱えたまま、死にたいと願っていた僕が、自分を恥じたのもこいつに会ったからだった。
ユタカには負けたくない。
だって親友として、男として格好悪いからな。
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