エピソード・ゼロ 闇と光

 子供たちの悲痛な悲鳴を伴う檻の移動が終わると、小鬼種の男達が残った檻をいじり始めた。

 マスクと手袋を装着して掃除機に似たものを抱えている。

 

(何か引き出して掃除をしている?)


 見ている内にそれが何か理解できた。

 檻の下部分が引き出せるトレー状になっていて、そこに溜まった汚物を機械で吸い取っているのだ。


「ったく汚えな。垂れ流しやがって」

「本当だぜ、三日ぐらい我慢できねえのか! この糞ガキ共が!」


 ガン! と激しい音がして僕の入った檻も大きく揺れる。

 倒れるかもしれないという恐怖に身がすくんだ。

 そんな風に脅しつけられても、子供たちの泣き声は今はもうすすり泣きに変わっていて悲鳴は聞こえない。

 そしてそのすすり泣きもか細いものとなっていた。

 僕は男達の身勝手な言葉に腹が立ったが、だからと言って何かができるわけでもない。

 だけど、その言葉に腹を立てたのは僕だけではなかった。


「貴様ら!」


 今まで聞いたこともないような激しい罵倒の声が上がり、ガキン! と硬いものが折れる音が響いた。


「人でなしめ! 悪党共!」

「ディアナ!」


 そう、それはディアナだった。

 いつの間にか目を覚ましていたらしいディアナが、僕と同じように男達の言葉を耳にして憤りを感じたのだろう。

 僕と違ってそれを直接相手にぶつけたのだ。

 右斜め下の方にディアナの腕が見えた。

 おそらく檻の格子の一本ぐらい折ったに違いない。

 さすがの力だった。


「げっ! こいつ!」

「旦那! 緊急事態だ!」


 男の一人が腕輪に向かって叫ぶ。

 やばい、あれはきっと通信機だ。

 その間にもピシッという音が響き。

 ディアナを閉じ込める檻が破壊されているのがわかった。


「いそいでディアナ! 仲間が来る!」


 僕の声にさらに破壊は加速する。

 男達が逃げ出した頃には、体のほとんどを外に出すことに成功していた。

 ディアナは上に積んである檻に視線を彷徨わせると、僕を見つけて笑みを浮かべる。


「ディアナ! 逃げて! 逃げて警察の人を連れてきて! 誰か大人の人にここのことを知らせるんだ!」


 僕がそう言うと、ディアナの笑みがたちまち陰った。


「駄目! イツキを助ける!」

「相手は大勢だ! 大鬼種オーガもいた。大きな獣族の人もいたよ! ディアナ一人じゃまた捕まっちゃうよ!」

「いや! 駄目!」


 ディアナはそう叫ぶと、地面を蹴って僕のところまで飛ぼうとした。

 しかしもがくように羽と足を動かしただけでうまく飛べないようだ。

 僕は男達が薬がどうのと言っていたのを思い出す。

 ディアナは本調子ではないのだ。

 ますます勝率は下がってしまう。


「どっちにしろこの人数が全員無事に逃げるのは無理だ! 助けを呼んで来るんだ!」

「おー泣けるねぇ」


 僕の声にかぶさるように大人の男の声が響く。


「あ……」


 やばい。

 僕の頭は真っ白になった。

 ディアナはまるで獣のようなうめき声を上げると、その男の方へ向き直る。

 その瞬間、ディアナの足元にバシュウ! と何かが破裂したような音が響き、白い煙と赤い線が浮かんだ。


「よう、竜人のお嬢さん。これが何かわかるかな? 光銃と言ってわりと新しめの武器なんだ。今見てもらったように床に溝を作るぐらいの威力がある。でもまぁあんたの体に通用するかどうかはちょっとわからないんだがな。そこでだ」


 男は床からディアナそしてもっと上へと、その光銃というものの先端を上げていく。


「こうしよう。お嬢さんは試しに逃げてみるといい。今引いたその線から足を踏み出して走り出すんだ。少々薬が残っているが、うまくすると逃げ出せるかもしれないな。んで、俺はお嬢さんがその線を越えたらお嬢さんのお友達をこの銃で撃つ」


 思わず喉が引き攣れて変な声が漏れた。

 男の手の中の小型の銃は、確かに僕を狙っている。

 同時に赤い光が僕の体の上に灯った。

 なんだっけ、ドラマで見たことがあるような気がする。

 確か捜査官ものか何かだ。

 赤い光で撃つ場所を決めて正確に狙いをつける仕組みなんだっけ?

 またぶり返して来た震えで檻を揺らしながら、僕はぼんやりとそんなことを考える。


「ぐうぅう」


 唸り声。

 ディアナが男を睨みつけている。

 僕の位置からはディアナの頭の後ろしか見えないけれど、はっきりとわかる。


「なんだ、逃げないのか?」


 男はニヤニヤ笑うと一緒にいる別の大鬼種の男をちらりと見る。

 大鬼種の男が動くとガチャリと音が鳴った。

 何か太い鎖のようなものを手にしている。


「どうもお嬢さんには檻は上品すぎたらしい」


 動けないでいるディアナの両腕に鎖の付いた手枷のようなものがはめられた。


「それは強力な幻想種を繋ぐための鎖で作られたものだ。竜人の力の根源の一つである神力を封じる効果があるのさ。さて、お嬢さん、純粋な筋力だけでその鎖を切れるかな?」


 大鬼種の男が鎖を引っ張ると、ディアナが転んで引きずられた。


「やめろ!」


 僕の声に振り向いた銃を持った男が嫌な笑みを浮かべる。

 男はすらりとした筋肉質の獣族で、その声と顔に見覚えがあった。

 あの、道を聞いて来た男だ。

 笑みに歪んだ口元から鋭い牙が覗いている。


「やれやれ。やはり子供というものは教育が行き届いていないとルールを守れないのですね。いいでしょう。私があなた方の駄目な親の代わりにきちんとしつけてあげます」


 天井に取り付けられたアームが下に降りて、ディアナの鎖はそこに引っ掛けられた。

 別のアームが動いて、僕の檻の方へと来たのが見える。

 ガタン! という振動と共に檻が宙に浮き、移動した。

 そのまま床に降ろされた檻から僕は男達によって引っ張り出される。


「な、なにを」

「君は昨夜から水を一滴も飲んでいないでしょう? さぞかし喉が乾いていることでしょうね?」


 男の言葉に思わず喉を鳴らす。

 確かに僕は酷く喉が乾いていた。

 もっと言えばお腹も空いていたのだけど、あまり食欲はわかない。

 ただ、乾きは酷く、唇がカサカサに感じるほどだ。

 おそらく緊張と恐怖のせいで、普段よりツバが出なくなっているからだろう。


 男はニコニコと笑いながら横にある大きな水槽を示した。


「これは掃除用に水を溜める水槽でね。どうです、いっぱい水が溜まっているでしょう?」


 確かに水はいっぱい溜まっている。

 でも、お世辞にもきれいな水とは言えない。


「イツキを離せ!」


 ディアナが叫ぶ。

 声に振り向くと、ディアナはなんと天井のアームによって半分宙吊りにされていた。

 羽を動かしてもまったく浮き上がれずにだらりと体は下へと垂れていて、全ての体重が両手にかかっているのがわかる。


「ディアナ!」

「はいはい、坊やは他人の心配どころじゃないですよ」

「え?」


 男の言葉に意識を向けたその途端、僕の頭は水の中にあった。

 必死に頭を上げようとするが、がっしりとした強い力で押さえつけられていて身動きが取れない。

 息ができない。

 手足をバタバタと必死で動かしてもぴくりとも体は動かなかった。

 何の準備もできずに水に突っ込まれて、ただひたすらに水を飲み、空気を求めて暴れる。

 頭がガンガンと痛みを訴え、もうなにもかもを手放したいと思った瞬間に、今度は強い力で水から引きずり出された。


「イツキィ!」


 どこか遠くに少女の泣き叫ぶ声が響いている。

 息を吸う。

 これで助かった。

 そう思った瞬間、また水中に沈んだ。

 それから何度も何度も、水を飲み、空気を貪り、もはや自分が何を求めているのかすら分からなくなるぐらい繰り返されて、気づいたらまた檻の中にいた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 どこからか知っているはずの少女の声が聞こえてくる。

 なんだろう? 大事な何かだった気がする。

 でも今は何も考えられない。

 僕は何度も水を吐き出し、体を痙攣させながら意識を手放した。


 次の日もディアナは吊り下げられたまま、僕は檻から引きずり出されると、今度は頭から糞尿をぶっかけられ、ついでとばかりに男達からしょんべんをひっかけられ、蹴られて殴られ、踏まれてさらに水をぶっかけられた。

 男達はひどく楽しそうだった。

 おそらくは日頃の鬱憤を僕をいたぶることで晴らしていたのだろう。


「もうやめて、お願いだから、お願いします」

「おいおい、竜人のお嬢さんが俺らなんかに謝っているぜ」

「強いんだろ? 謝ってないでこの坊やを助けたらどうだ? ああ、そっか、自分は頑丈だから平気なのに、この坊やは男のくせに情けないって思ってるんだろ? ひでえな」

「いいねぇ彼氏が身代わりになってくれて。さすが竜人さまは違うよ」


 ゲラゲラと笑い声が響く。

 僕は何も考えられずに、されるがままだった。

 早く、何もかも終わればいいのに。

 苦しいのも痛いのももう嫌だ。

 頭にあるのはそれだけだった。


「イツキ、イツキ……」


 誰かが僕の名前を呼んでいた。

 それが酷く煩わしい。

 どうせ僕はおまけで、死んでもよくって、必要なのはディアナだけなのだ。

 小さな子供を平気でもののように扱うこいつらが僕を助けてくれるはずもない。


(あの時ディアナが逃げていれば)


 僕の心を熱くその言葉が灼く。


(あの時ディアナが逃げていればよかったのに)


「君のせいだ」


 近くて遠い場所にいる少女が息を飲む。


「君のせいで僕は……」


 ずっと吊り下げられていて、体中の血の気が引いたように青白く見える少女の顔が、まるで今から殺されるかのような恐怖を浮かべている。

 その僕らを男どもがニヤニヤ笑いを浮かべて見ていた。


 この瞬間のこの場面の記憶は、ずっと僕の中に焼き付いて残り続けることになる。

 いくら後悔しても決して消えることない罪として。


 そしてまるで運命のいたずらのように、まさにその時に、全てが終わった。

 直後、僕達が囚われていた建物は、入り口の天井から轟音と共に崩壊したのだ。


 たった二日ぶりに見たはずの日の光は、恐ろしくなるほどに眩しいものとして僕の目を焼いた。

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