エピソード・ゼロ 闇のなかのバケモノ

 薄暗い檻の中から外を見ても闇の濃い所と薄い所しか判別できない。

 周囲からは絶えずすすり泣きとうめき声が聞こえて来る。そしてひどく寒かった。

 腕をさすって、ようやく僕はそれに気がついた。

 服を着ていない。

 僕は裸で檻の中にいた。

 同時に、酷い臭いにも気づく。

 鼻の曲がるような臭気というのはこのことだろう。

 むしろ今の今まで気づかなかったことが不思議でならない。


 金属で出来た檻の床は、闇に慣れて来た目でよく見ると、すのこ状になっているようだった。

 檻の中には他に何も入っていない。

 体を温められるような物も、当然食べ物も水もなかった。

 虐待された動物でさえ僕のこの状態よりマシだろう。

 

 しばらくするとガタン! という音と共にかすかに光が灯った。

 途端に小さな泣き声やうめき声が止まる。


「どれが竜人の娘だ?」

「へい、こっちです」


 どうやら僕達を捕まえた連中の仲間のようだった。

 まぁ当たり前だろう。

 早々に助けが来るなんて奇跡、望むほうが間違っているのだ。


「ちっ、臭いがひでえな。商品に臭いが染み付いたらどうする。ちゃんと洗っとけ」

「まぁ垂れ流しですからね。早々に出荷するんで回転はいいんですが、ガキ共は恐怖で漏らしやがるんで」

「病気になって毛艶が悪くなったら価値が下がるんだぞ? 下っ端連中にやらせとけ」

「へい」


 なんだか嫌な言葉がいくつか聞こえて、僕の耳にカチカチというカスタネットを叩くような音が響く。

 うるさい、静かにしてくれ! と考えて、それが自分の中で響いている音だということに気づいた。

 僕の歯が激しく打ち合わされている。

 自分の意思で止めることもできなかった。


 強い光が周辺を彷徨い、僕の右斜め下辺りで留まる。


「こいつでさ」

「ほう、本当に竜人だな。珍しいもんだ。薬を使ってるのか?」

「へい。捕まえる時も大の大人をふっ飛ばしやがって。念のために」

「だがこいつは生きたまま売るつもりなんだろ? かわぁ剥がすよりもそっちのほうが高くうれっからな」

「竜人ですからね」

「ん?」


 光が僕の方へとやって来た。

 ビクリと体が震えて、膝を抱えた僕はさらに檻の隅へと縮こまる。


「おいおい、なんで角なしなんか仕入れたんだ? まぁ臓器か薬としてなら売れなくはないが加工が面倒だぞ。子種として売るにはまだガキで役に立たんだろ」

「ああ、そのガキは竜人と一緒にいて、人質に使ったんですよ。ほっぽっとく訳にもいかないし持って来たんです」

「ほう、竜人のつがいか?」

「いやいや旦那、いくらなんでもまだはええでしょう」


 ゲラゲラとその冗談に男たちが笑う。

 僕は彼らが何を言っているのかあまりよく飲み込めなかった。

 臓器? 加工? 売る?

 まるで狩りの獲物を吟味するような口ぶりじゃないか。

 彼らはいったい何を言っているのだろう?


 さらわれた子供たちの行方について推測している番組を見たことがあったが、そこで語られていたのは人身売買の話だった。

 連合に所属していない国家群の中には未だ自分達以外の種族を奴隷としている国があって、おそらくはそこに売られているのではないか? という意見が多かったのだ。

 でもこの男達が口にしたのはそれよりももっと恐ろしいことのようだった。

 僕はちゃんと考えようと努めたが、思考がうまくまとまらず、とにかく恐ろしい気持ちで一杯だった。

 彼らの声以外子供たちの声は全く聞こえなくなっている。

 その静寂がたまらなく恐ろしい。


「薬はあんまり強いのは使うなよ。竜人の本来の能力が低下したら価値が下がっちまうぞ。まぁつがいじゃないにしてもそのガキが使えそうならうまいことやっとけ」

「へい」


 光が移動して、僕は心底ホッとした。


「次の出荷は赤系だな。ちゃんと檻はまとめといたか?」

「まだ移動が終わってなくて。すんません」

「早くしとけ、今夜積み込みだぞ。仕入れたら早めに処理しねえと、毛艶が悪くなってからじゃもったいねえからな」


 話し声と足音が遠ざかる。

 結局彼らは僕らに一言も話しかけることもしなかった。

 きっと同じ人間と思っていないのだ。


 ガタン! とまた音がして一瞬の光が消えて闇が戻る。

 途端に、さっきよりも大きなすすり泣きが始まった。

 まだ五、六才の子供たちばかりのはずだ。

 この子達があの大人達の会話の全てを理解した訳じゃないだろうけど、何か恐ろしいことをされるのだということははっきりと気づいているのだ。

 僕はと言えば、情けないことに周囲の子供たちのことを思いやる余裕もなかった。

 必死にガタガタと鉄格子を揺すってみるけれど、びくともしない。

 きっとこの鉄格子の基準は獣族の子供達なのだろうから、僕ごときがどうにかできるはずもなかった。


「たすけて、おかあさん……」


 どこからか小さな声が聞こえて来て、そのあまりにも哀しい声に僕まで涙があふれる。

 こんなこと、人間がやることだろうか?

 聖典では人は欲望に惑うことがあるから自らを律して生きなければ罪を犯すと説かれている。

 でも、これはもはや罪人の所業を越えている。

 この世には神に背き破滅を呼び込む背信者という存在がいると聞いたことがあった。

 大人はこの名を決して子供の前では口にしないし、声を潜めて話すのだけれど、子供たちは隠されたことを嗅ぎつける嗅覚の鋭さを持っている。

 怖い話の定番に背信者の名前はよく使われていた。

 子供達のイメージの中では、背信者は恐ろしい闇の化物だ。

 だけど、この人間の姿をした者達のほうが、そんな空想の化物よりもずっと恐ろしかった。


 ……なんとかして逃げないと。


「ディアナ、ディアナ!」


 それにはやっぱりディアナの力が必要なように僕は思った。

 大人を吹き飛ばす力があれば、なんとか逃げ出せるに違いない。

 さっきの男たちが示していた場所に向けて、僕は必死に声を掛ける。


「……ん。イ…ツ」


 かすかに声が聞こえた。


「ディアナ起きて、早く!」


 だけどそんな僕の呼びかけも虚しく、再びガタン! という音と共に人の気配が入って来た。

 またぴたりとすすり泣きが止まる。

 僕も凍りついたように口を閉ざした。


 今度は人数が多かった。

 どやどやとやって来た男達は半分以上が獣族だったけれど、数人は大鬼種や小鬼種が混ざっていた。

 そして、僕と同じ角なしもいた。

 驚くようなことじゃないのかもしれない。

 僕の住んでいる周囲には少ないけれど、世界的に言えば角なしを始めとした鬼族は数が多い。

 だけど、家族以外の同族をあまり知らなかった僕にとって、この背信者の中にその姿を見つけたのはとてもショックだったのだ。


「で、ご注文は赤毛か。ん? そっちの赤毛で毛が薄いのはなんだ?」

「ああ、それは例の竜人だ。今回は放っておけ」

「へえ。しかしまぁ珍しいな」

「お前日頃から毛むくじゃら相手じゃ欲情しねえって言ってたじゃねえか。竜人の女はどうよ?」

「ああ? 見てみろよ。男だ女だ言えるような体か? しかも腹が白ぽくて背中のほうが赤黒いって、まんまトカゲじゃねえか。気持ちわりい。やっぱ竜人なんてバケモンだな。それならこっちの猫っ子のほうがマシだぜ」

「ああ、マジだ。この娘っ子かわいいな。大人になったらさぞ美人になっただろうになぁ。残念」

「なんならやっとくか? ガキだけど」

「ケッ、てめえらのようにいつでもヤレル連中と一緒にすんな。俺たちは上品な種族なんでね。時期外れには気分になれねえのさ」

「ちっ、クマ公風情がいい気になるなよ」

「ああん?」


 男達は互いに罵り合うようにしながらも流れ作業のように檻を一つ一つ移動している。

 動かされる檻からは悲鳴のような泣き声がした。


「どうして!」


 僕は思わず叫んだ。


「どうして平気なの! その子達をどうするつもりなの!」


 男達は叫んだ僕を見てニマニマ笑っている。

 僕の問いに対して答えたのは僕と同じ角なしの男だった。

 赤っぽい金髪の男だ。


「さすが角なしは好奇心がつええな。こんなとこに閉じ込められてどうして? だとさ」


 男の言葉に周囲が口笛を吹いたり囃し立てたりする。


「そうだな。坊やの好奇心に敬意を表してお兄さんが特別に教えてあげよう」

「お前も大概だな。ったく、角なしってやつはしょうがねえな」


 周囲の他の男達が呆れたように舌打ちするのを無視して、角なしの男は続けた。


「どうするって出荷するのさ。ほら、あれだよ。家畜を出荷してお肉にするだろ? あれと一緒さ」


 男の言葉に、小さな子供たちが泣き叫んだ。


「まぁもっとも肉はせいぜい家畜の餌であんまり価値はないんだが、毛皮が大事なんだ。野生の動物よりも獲りやすくて手入れの行き届いた上等な毛皮をいっぱい取れるだろ? 金持ち連中が喜んでそれで服を仕立てて着飾るって寸法だ」


 子供たちの助けを求める声を聞きながら、僕はめまいと吐き気を感じた。

 いや、実際に吐いた。

 吐瀉物はすのこ状の床をわずかに汚してその下に溜まる。


「いやあ、坊やも残酷だなぁ。この子どもたちだって、何も知らなきゃその時まで希望を持てたかもしれないのに。真実を知りたがって絶望を与えるなんて、酷い子だ」


 こいつらはいったい何を言っているんだろう?

 ディアナをバケモノと呼んだこいつらは、いったい何なんだろう?

 こいつらこそが恐ろしいバケモノだ。

 同じ人間で言葉も通じるのに、その考えが理解できない。

 

 僕は怒りよりも恐怖のあまり、体が前よりも激しく震えるのを止めることができなかった。

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