エピソード・ゼロ 僕が彼女と再会するのに必要なこと

 目を開けると真っ暗だった。

 なんだか酷い違和感がある。

 それに体の感覚がない。

 しばらく考えて違和感の正体に思い至った。

 臭いがしない。

 あの痛みすら感じるぐらいの悪臭が跡形もなく消えていた。


(ああそうか、僕は死んでしまったんだ)


 そう考えて涙が出る。

 僕は、なんて酷いことを最期にしてしまったのだろう。

 ディアナがあいつらに捕まったのは僕のせいだったのに、僕がいなければディアナは悠々と逃げられただろうに、僕は、彼女に君のせいだと言った。

 なんであんなことを言ったのだろう。

 こんな風に死んでしまってもう言い訳もできないなんて、あまりにも酷すぎる。


「僕は……」


 そう呟いた時、ふっと周囲が明るくなった。


「樹希!」「樹希くん!」

「あれ? 父さん、母さん?」


 部屋の扉が開いて僕の父さんと母さんが駆け寄って来た。

 なんで?

 まさか父さんと母さんもあいつらに捕まったの? と、恐怖に心が支配されそうになる。


「大丈夫、もう大丈夫よ。ここは病院なの」

「あ、え?」


 よくわからない。

 ついさっきまで僕は悪臭に満ちた場所に檻に詰め込まれた子供たちと、天井に吊り下げられたディアナと一緒にいたのだ。


「あ! ディアナ! ディアナは?」


 一瞬母さんが困ったような顔をする。


「ディアナというのは竜人の女の子のことね? 同じ一族の人が連れて帰ったと聞いているわ。あんまり詳しいことはわからないけど」

「どういうこと?」

「私達も捜査員の方から聞いたことと、報道されていることしか知らないんで、あまり詳しくはないんだが。どうやらお前たちの救出に竜人の、そのディアナという子の家族が関係しているらしい」

「ディアナの家族が助けてくれたってこと?」

「ああ、うん」


 父さんは困ったような顔をして頷いた。

 なんだかはっきりしないけど、ディアナは彼女の家族が助け出したということなのだろう。

 そうか、やっぱりディアナの家族はディアナのことをどうでもいいなんて思っていなかったんだ。

 よかった。

 そのことに心からほっとする。


「あ、他の子どもたちは?」


 僕の言葉に父さんと母さんの顔が少し暗くなった。


「ええ、大丈夫。一緒に助けられたわよ」

「最初に国境の検問で数人の子供たちが保護されて、そこからお前達のいる場所がわかったんだそうだよ」

「そうか、よかった」

「だから安心して、もう少し眠っていていいのよ」

「うん」


 父さんと母さんは僕の頭を撫でて病室を出て行く。

 僕の腕には何か管が繋がっていて、全身には包帯が巻かれていた。

 このせいで感覚がなかったんだろうか?

 そうか、ディアナは家に帰ってしまったんだ。

 そうだよね、この街に来て酷い目に遭ったんだから、家族だっていつまでも置いておきたくはないだろう。

 それに……。


 僕ははっきりと思い出す。

 僕が「君のせいだ」と言った時に、ディアナが酷く傷ついた、哀しそうな顔をしたことを。

 僕は最低だ。

 最低な人間だった。


 しばらくして、一人で寝起きができるようになって、僕は改めて事件のことを詳しく自分で調べることができた。

 報道されていることを信じるなら、誘拐された子どもたちは、その全員が戻っては来なかったらしい。

 もう既に命を落としていて助けられなかった子達が何人もいたのだ。

 竜人の活躍についても少し触れられていたのだけど、攫われた竜人の子供を取り返すためにその親が越境して捜査員に協力をしたとだけ報じていた。

 この頃の僕にはよくわからなかったのだけど、ディアナとその家族はこの国の民ではないので、越境者扱いになっていて、本当ならそれもまた犯罪だったらしい。

 ただ、攫われた子供を取り返すために特別に捜査に協力したということでその辺りの問題を収めたようだ。


 あの、倉庫のような、僕達が閉じ込められた場所を破壊したのがそのディアナの家族の竜人だったということで、そのあまりにも乱暴なやり方が捕まっていた子どもたちに対しても危険があったと、それを止めることができなかった警察が非難されたりもした。

 僕が気を失ったのは、その倉庫が破壊された時のことらしい。


 そういったことを調べつつも、僕はと言えば、あまり順調に回復とはいかなかった。

 夜眠ると夢を見る。


 たくさんの檻の中に小さな子供たちがぐったりと閉じ込められていて、僕はその檻を必死で壊そうとするのだけどびくともしない。

 真っ赤な毛皮の少女が小さな手を差し伸べて「お母さん、たすけて……」と呟いて冷たくなっていく。

 僕はディアナを探す。

 ディアナなら檻を破れるかもしれないと考えたからだ。

 だけど、ディアナは天井からぶら下がる赤黒い固まりになっていた。

 あの牙の男がゲラゲラと笑いながら「お前のせいだ!」と、僕をなじった。


 そんな夢を毎晩のように見て飛び起きる。

 そしてお腹は空くのに、食べ物を食べることができなくなった。

 口に入れてもすぐに吐いてしまう。

 父さんも母さんも仕事にも行かずに僕をなんとかしようとしてくれていた。

 僕もそれがわかるだけに申し訳なく思ったのだけど、自分でもどうしようもなかった。

 カウンセリングの先生が、僕には何の責任もないのだと言うと酷く腹が立つ。

 そしてカウンセリングの先生から逃げ隠れしてしまうようになった。

 あの頃、日に日に衰弱していく僕に、両親がどれだけ心を痛めていたかと思うと、ひどく申し訳ない気持ちがこみ上げて来る。


「お願いだから何か食べて頂戴」


 ある日母さんが泣きながら僕を抱きしめてそう言った。

 点滴のおかげで最悪の状態は免れてはいたけれど、僕はきっと酷い様子だったのだろう。

 鏡など見なかったけど、両親の辛そうな顔を見ればそれぐらいわかる。

 

「何かしてほしいことはないか? 父さんがなんとかしてやる。そうだ、竜人の子に会いたいんじゃないか?」

「父さん、僕、お願いがある」


 やっとまともに口を利いた僕に、両親はひどく嬉しそうだった。


「なんだ? なんでも言ってくれ」

「僕、強くなりたい」

「え?」

「すごく強くなりたい。竜人より強くなりたい」


 僕の言葉に両親は困惑したようだった。

 それはそうだろう。

 なにしろ僕達の種族は下から数えたほうがいいくらい強さとは縁のない種族だ。

 知的方面や交渉ごとなどに強い種族としては知られていたけど、戦いに向いた種族では決してなかった。


「わかった。父さんに少し心当たりがある。なんとかしてみよう。だから、お前はちゃんとご飯を食べるんだ。母さんに心配かけるような男は強くなれるはずもないからな」

「うん、わかった」


 子供との約束なんていい加減なものでごまかしてしまう大人も多いだろうけど、僕の父さんは本気で約束を守った。

 それから数日後、少しずつ食べる努力をしていた僕に、父さんが引き合わせたい人がいると言ったのが、その約束の相手だった。


「どんな人なの?」


 僕は父さんに尋ねた。

 父さんはまた困ったような顔をして答える。


「その人は俺たちと同じ角なしなんだけど、デュエルで負けたことがないんだ」

「えっ! すごいね」


 僕はびっくりした。

 デュエルで負けなしというのは凄いことだった。

 でも、そんな角なしの人がいたら凄い有名人のはずだ。

 僕はそんな角なしの人の噂を聞いたことがなかった。


「本当なの?」

「ああ、負けたことがないのは本当だ。ただ、強いかと言われるとなんともわからないのだよ」


 僕は眉を寄せる。

 強くならなければ意味がないのに、強いかどうかわからない人に会っても仕方がないのだ。

 僕の顔を見て、父さんは慌てたように言った。


「只者ではないのは確かだ。どんな乱暴者や腕自慢でも軽く相手をして、ケガ一つしないんだ。きっと父さんには凄さがわからないだけだと思う」


 なんだかよくわからないまま、僕はその相手と引き合わされた。

 第一印象はなんだか優しそうな人だなというものだった。

 しかもかなりのお年寄りだ。

 僕はますます困惑した。


「ふむ、この子か。少し二人っきりにしてもらえるかね?」

「あ、はい。よろしくお願いします」


 父さんが出ていって、小さな応接間のような所でそのお爺さんと二人きりになった。


「ふむ、そうか。なるほどな」


 はっと気づくと、そのお爺さんは間近で僕の目を覗き込んでいた。

 普通、そんなに接近されるまで気づかないはずがない。それなのにまったく気づかなかった僕は慌てた。


「あ、あのっ!」

「憎しみでも恨みでもない。しかし強い意思を感じる。そうか、強くなりたいか」


 その言葉に、僕の困惑が吹き飛んだ。


「はい! 強くなりたいです! 強くなって彼女を、ディアナを守れるぐらいに!」

「ほう、おなごのためか。その年でたいしたものだなぁ」


 ふわっとした微笑みでその人は僕を見つめた。

 子供の言葉だと馬鹿にした風でも、大言壮語だと笑う風でもない、心にすっと染みるような笑顔だ。


「わしら角なしには優れた筋力も神力もない。しかしな、一つだけ他の種族では及ばぬ部分がある」

「ええっと、知力ですか?」

「ほほっ、自分の種族に誇りを持つのはいいが違うな。知力は個々人の問題よ。まぁ角なしは集中力はあるほうではあるが、特別優れていはいない」

「交渉能力ですか?」

「ふむ、近いが、それは結果的にそうであるというだけだな。なんでも偉い学者によると、我ら角なしは全ての種族の混血の末に生まれた種族であるという。これは聞いたことがあるかな?」

「あ、はい。少し」


 その仮説は、実際に証明された訳ではなかったけど、かなり有力な仮説と言われている。

 なぜなら、角なしには一つ大きな特性があるからだ。


「角なしと他の種族の間に子供ができると、その子はその相手の種族特性を強く持つ子供になるのが、その根拠の一つとされているな」

「はい」


 そう、それこそが角なしという種族が他の種族に広く受け入れられている理由でもあった。

 血を強くするとして、異種族婚の中でも角なしとの婚姻は歓迎される傾向にあったのだ。


「わしも我らは全ての種族と繋がりがあると思っているが、その根拠は少々違う」

「?」


 僕は相手の言葉に段々と引き込まれつつあった。

 悪夢を振り払いたい、強くなりたいという気持ちで余裕がなかった僕だったけど、不思議とそのお爺さんの言葉を聞いている内に、心が平穏になって行くのを感じていた。


「それは『気』だ。よく気が合う、気が合わないと言うだろう? 角なしはどの種族とも気を合わせやすいのだ」

「『気』ですか?」

「わしの使う武術はな。その気を使うものだ。魂の波長と言ってもいいだろう」

「魂の波長?」

「うむ。それで言えば、お前は実にその武術に向いている。特別美しくも醜くもない。だが、人に愛されやすい見た目をしている。性格もそうだ。他人をすぐに否定しない。他人を理解しようと努力をすることができる。まさかこの年になって、自分の作り上げて来たものを継がせる相手に巡り合うとは思わなかったが、これも神のお導きか」


 触れると巌のように硬く、でも、とても温かい手が僕の手を押し包む。


「わしから強さを学ぶか?」

「はい!」


 迷うはずもなく僕はそう答えた。

 僕は大それたことに、竜人であるディアナを守れるぐらいの力を欲していた。

 それ以外、悪夢を払う方法を思いつかなかったのだ。

 そうして僕は僕の人生を大きく変える師匠との出会いを果たしたのだ。

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