エピソード1 【再会】 その一
僕は師匠の弟子として住み込みでその武術を習うこととなった。
両親は非常に心配したが、きちんと連絡を入れることを条件に説得を成功させたのだ。
おそらくそれまでの僕の状態があまりに酷かったので、少しでも僕が前向きになるのならと、そんな想いもあったのだろう。
本当に、両親には心配を掛けてしまった。
そして自動的に僕は学校を転校することとなった。
師匠は都会のど真ん中で暮らしていたのだ。
実のところ、都会で生活している子どもは僕が思っていたよりも多かった。
そのほとんどは低所得家庭の子どもで、しかも金銭的な問題を抜きにしても、かなり生活が荒れている子どもが多かった。
都会の学校に通い始めて、元の学校との差に愕然としたものだ。
その背景には、やはり石棺病の原因となった、循環の力がうまく作用していないという点があるらしい。
都会にも緑地や公園などが積極的に取り入れられているのだけど、やっぱり生命の循環路としてはあまり機能していないのだそうだ。
流れの繋がっていない沼が汚濁を溜め込むように、循環の中に身を置かないと人間も体内に澱を溜め込んでしまう。
結果として心身が汚染され、あちこちにほころびが生じるのだということだった。
でも師匠はそんな都会だからこそ武術「読気」の修行には最適だと言った。
「わしの武術は対人でのみ力を発揮する。大勢の人が集まり、複雑で荒れた心の者が多い都会は最高の修行の場なのだ」
初期の修行の基本は師匠の武術とはあまり関係がないと思える体力作りと筋肉の動かし方の習得に費やされた。
朝から晩まで体の各所の筋肉を意識して鍛え上げ、それらを連動して動かすというのが修行の骨子だ。
自分の体の隅々までを自分の意思で正確に動かすということができなければ、そもそも師匠の武術は会得できないらしい。
そんな修行の合間に、僕は人混みをゆっくりと歩くという修行も行った。
人混みの中の一人一人の人間が何を考え、何をしようとしているかを読み取る訓練だ。
正直、どっちの訓練も僕にとっては最初の取っ掛かりさえわからないようなきついものだったのだけれど、僕は全く師匠に「良し」と言われなくても、諦めることだけはしなかった。
実際、その修業に打ち込んでいなければ、おそらく僕は生きることすらおぼつかなかっただろう。
あの悪夢から逃れるように、必死で修行するしかなかったのだ。
あの後、元の学校の友人たちにも連絡を入れた。
みんなとても心配していて、急な転校に怒ったり、励ましてくれたりもした。
みんなに聞いてみたけれど、ディアナはあの後一度も姿を現していないとのことだった。
そうやって話してみて確信したことがある。
僕はもう、あの優しい場所には戻れないということだ。
ただ、ディアナにはどうしても会わなければならなかった。
彼女をむざむざと捕らえさせ、あまつさえその原因となったくせに逆に彼女を責めた償いをしなければならない。
謝って足りなければ命を捧げてもいい。
彼女にだけは僕をどれほどなじってもかまわない権利があった。
聖堂に彼女宛の伝言を残しているのだけれど、返事は全く返って来なかった。
それほどの怒りなのだろうか? 一言の伝言、一度会うことも厭うほどの憎しみを彼女は僕に抱いているのかもしれない。
そう考えると辛かった。
そんな痛みを抱えながら五年が過ぎた。
都会での中等部時代はとてもバイオレンスで、実りの多いものだった。
師匠から課された修行で、僕は中等部の中で起こる争いの方向性をコントロールして一つの形にまとめることに成功した。
それがスポーツゲームによるグループ対抗戦だ。
それまでずっと警察の一部隊が常駐するようなデンジャラスな場所だった学校から殺傷事件が減って、先生たちはその奇跡に感謝していた。
とは言っても、僕の行ったことなど些細なことだ。
元々物事の決着をつけるのに三種の方法が世界の常識としてあったから、無法な争いよりもゲームでの勝利のほうが自分達の矜恃が満たされると、みんなが気づいただけのことなのだ。
デュエル、ゲーム、ウォーという、同盟社会で定められた物事を決着させる方法は、それぞれ個人の、チームの、国の誇りと正当性を掛けたものだ。
無軌道な争いで無駄に血を流しても、相手に自分達を認めさせることはできないということにさえ気づけば、不良と言われる子供たちも馬鹿ではない。
自分達の誇りを賭けての正当な勝負で決着をつける道を選んだだけの話なのだ。
師匠はこの武術は戦いが起きる前にそれを制するのが最善手であると僕に教えた。
そんな武術を本当に武術と呼んでいいのかどうか、僕は少々疑わしく思ったが、師匠が堂々と武術であると主張するのだからそうなのだろう。
まぁ実際に組手とかもあって、近接戦闘の型も教わっているので、あえて反論はしない。
昔父さんが師匠が強いかどうかがはっきりわからないと言った理由がなんとなく察せられた。
僕は今年で高等部に上がる。
十五才になったのだ。
そして同時に、遂に、僕の願いが叶う時が訪れた。
毎月、ディアナへの伝言を残し、僕への伝言を確認しに通っていた聖堂に、返事が届けられていた。
真っ白な封筒に記された名前に僕は胸が締め付けられるような気持ちになった。
封を開くまでに長い長い時間を費やして、ようやく中身を確認する。
今時の転写版ではない、手書きの文字だ。
そう言えば、僕はディアナの書いた文字を見るのはこれが初めてだと気づく。
けっこう長い間一緒に遊んだと思っていたのに、知らないことがとても多い。
手紙にはこう書かれていた。
『冬季明けの日に中央駅で』
とても短い文面だ。
やっぱり、五年を経過してもディアナの僕への怒りは消えていないのだと、それがはっきりと突き付けられたような気がした。
僕はどこかで、あのはにかんだ笑顔で僕を許してくれるディアナを期待していたのかもしれない。
人というのは自分の都合のいいように世界を捉えてしまうものだと僕は師匠との修行で学んだ。
僕はきっと許されたいと思ってしまっているのだ。
その愚かさがとても恥ずかしい。
それにしても駅か。
ディアナももう小さな子どもではない。
さすがに越境して飛んで来るという訳にはいかないのだろう。
羽を広げて大空を舞う彼女の姿をまた見たかった。
そんな風に思ってしまって自己嫌悪する。
唇を噛み締めて、手紙をギュッと抱きしめた。
火を灯した炭のような赤混じりの黒炭色の羽と髪、そして漆黒の深い瞳。
ひとときも彼女のことは忘れたことが無かった。
修行も勉強も、いつか彼女に会って償いをするための糧とするために頑張ったのだ。
待ち遠しいような、恐ろしいようなその日、その時が、ついに訪れて、僕は駅の広々としたホールに佇んでいた。
冬季明けの日という区切りの日だけあって、多くの人が行き交っている。
立派な角を持つ父親に連れられた枝角の家族が楽しそうに行き過ぎる。
おとなしげな巻角の少女がキョロキョロと周囲を見回しながら歩いて行く。
立派なスーツに身を包んで堂々を胸を張って歩く狼種の男性に、銀色の毛並みの女性が寄り添っている。
僕はつい癖で、それぞれの動きや目的などを推測しながら一人一人を眺めていた。
だけど、そのまどろむような時間は一瞬で鮮やかに切り替わる。
駅の階段を降りてきた一人の少女がいた。
豊かな朱混じりの黒髪は背に流され、羽は閉じられている。
白く浮き上がった顔はこわばったように硬く。
唇は一文字に引き結ばれている。
ゆっくりと、ごくゆっくりと、彼女は僕のほうへと近づいて来ていた。
階段を降りきってホールを突っ切り、彼女の視線は僕に固定されていて決して逸らされない。
その目はキツく釣り上げられ、かすかに赤みを帯びているようだ。
お互いの距離が近くなるほどに、彼女の強い感情が伝わって来る。
怒り、緊張、苦痛、吐き出したい強い感情に彩られた瞳にひたすらに僕を捉えている。
あと数歩という所で、彼女は両の羽を大きく広げた。
青白いほどに白かった顔に赤味が差し、飛んだことで巻き上がった風に髪が乱れる。
震える拳がギュッと握り込まれているのがわかった。
あの拳で殴られるのかな?
竜人である彼女に全力で殴られたら僕はきっとそのまま命を終えるだろう。
それは嫌だな。
せめて一言だけでも彼女に謝りたい。
その後なら、彼女の気が済むまで僕を殴ってくれて構わないのだけど。
ああでも、君が僕をその手で殴って、それで気持ちを晴らすことができるのなら、別にいいか。
僕の脳は色々なことを一瞬で考え、そしてその全てを放棄した。
ただ、両手を広げて彼女を迎える。
次の瞬間、僕の腕の中に熱く重い塊が飛び込んで来た。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
彼女の声はあのころのまま、少しトーンを変えていたけど、ほとんど変わっていなかった。
だからこそ、その言葉は僕にとっての悪夢になる。
「なんで!」
僕はディアナを抱きしめた。
「なんで君が謝るんだ? 謝るのは僕だろう! 君を苦しめたのに、君を責めてしまった、弱い僕が全部悪かったんだ!」
「違う。全部私の弱さのせい。私が弱かったからイツキを巻き込んで苦しめた。私が弱かったから誰も助けられなかった! 全部全部私のせい!」
僕は腕の中で震えるディアナを引き剥がしてその顔を覗き込んだ。
涙でぐしゃぐしゃの顔は、まだまだ子供だった頃の彼女の面影を強く残している。
僕はポケットから取り出したハンカチでその顔を拭いた。
「僕がいなかったらそもそもディアナは捕まりもしなかっただろ。全部僕のせいだよ」
「違う! 私が強かったらそもそもあいつらを全員叩きのめして警察に突き出すことが出来た。イツキが酷い目に遭ったのは全部私が悪かったの」
「頑固だな」
「イツキこそ」
こつんと二人の額が合わさる。
お互いの熱がそれぞれの中へと入っていく感覚が気持ちいい。
「会いたかった。ディアナ」
「私も、会いたかったよ、イツキ」
両目が熱い。
お互いの熱が額から全身に巡っていくように熱が体を支配する。
そうやって、僕達はやっと、あの星の流れる夜に止まってしまった時間を再び進め始めることができたのだ。
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