エピソード8 【目覚めの日】その五

 どこからか子どもの泣き声が聞こえる。

 やめろ……、やめてくれ。

 僕はもう、聞きたくない。

 こぼれ落ちていく哀しい声なんか……。


 ふと気づくと、僕はどこか暗いところに立っていた。

 子どもの泣き声は少し前のほうから聞こえて来る。

 いけない! 急がないと!

 僕は走った。

 そうしないといけない気がしたんだ。

 それまで暗いなかでもぼんやりと物が見えていたのに、そこだけ真っ黒く塗り潰された空間に出た。

 子どもたちはそこにいた。


 まるで頭からヘドロを被ったみたいに、真っ黒に汚れている。


「どうしたの? 沼にでも落ちた?」


 僕が問い掛けるけれど、子どもたちは首を横に振るばかりで泣き止まない。


「泥だらけだとお家の人に怒られるんだろ? いいよ、洗ってあげるよ」


 僕はそう言って、シャワーヘッドを手にする。

 ん? ここ、お風呂場だったっけ?

 まぁいいや、細かいことは気にしてられないし。

 子どもたちはたくさんいて、みんなてんでにバラバラの方向を向いて泣きじゃくっているのだ。

 僕は一人一人をシャワーの前に連れて来ると、丁寧にお湯をかけて体の泥を落としてあげた。

 きれいになった子どもは、一人一人笑顔になって帰って行く。

 最後の一人が終わって、僕はふうと息を吐いた。


「あれ?」


 最後の一人、この子だけが女の子だったのだけど、その子だけが泣き止まない。

 僕はオロオロとしながら、膝を地面につくと、彼女の顔を覗き込んだ。


「もう大丈夫だよ。泥は全部落としたから」


 だけど女の子は泣きながら首を振り続けた。

 今更ながらに気づいたけど、子どもたちはみんな角から羽まで真っ白だ。

 まるで○○○のようだ。


「わたしが悪かったの」


 女の子が言う。


「わたしのせいなの」


 女の子の涙が止まらない。

 僕はその子の背中をそっと撫でた。

 昔いた治療施設で、癇癪を起こした小さな子は、こうやって背中を撫でてあげると落ち着いたものだ。

 懐かしいな。


「大丈夫、大丈夫、もうみんなきれいになったから、誰も君を怒らないよ」


 女の子はそれでもしばらくしゃくりあげながら泣き続けたけれど、背中をなで続けていたら段々とその体の震えが収まって来た。


「ほんとうに? もう帰っても大丈夫なの?」

「帰らないとお父さんとお母さんが心配するよ」

「……うっ、えっ、おとうさん、おかあさん」


 あ、しまった。やっと収まったのにまた泣き出してしまった。

 しばらくなだめて、ようやくその子は泣き止んだ。


「わたしね、おうちに帰る」

「うん。気をつけてね」

「おにいちゃん、ありがとう。バイバイ」

「ばいばい」


 手を振る。

 ああ、よかった。

 この子たちは帰れたんだ。

 小さな望みを叶えることなく、消えてしまったあの子たちとは違う。

 僕は少しだけ微笑むことが出来た。



「う……ん?」


 頭がぼうっとしている。

 寝ている状態から体を起こそうとすると、周囲が回り出すような感覚があった。

 風邪でもひいたか?

 額に触れて、目が若干熱いことに気づいて閉じた目に触れる。

 あれ? 僕、どうして、泣いていた?

 そう言えば、何か夢を見ていたような気がする。

 思い出そうとすればするほど、その夢の記憶は儚く消えて、僕は溜め息を吐いて諦めた。

 まぁいいか、忘れてしまう夢はそのままにしておくものだって昔母さんも言っていたし。


「イツキ、起きてる?」


 コンコンと、部屋の扉が叩かれて、ディアナの声が聞こえた。

 部屋の扉?

 改めて目を開けて周囲を見回すと、見慣れた自分の部屋だった。

 んん? あれ、僕確か、山河さんのところにいたよね。

 どうして自分の部屋で寝ているんだろう?


「ああうん、今起きたところだよ」


 答えると、ガラッと部屋の扉が開いて、師匠がズカズカと入って来た。


「バカモン!」


 一喝される。

 うお! 師匠に怒られるのは久しぶりだな。


「未熟者めが! あれほど読気の本質について口をすっぱくして言っておったのに、全く愚かで未熟で駄目な弟子だな」


 おおう、けちょんけちょんだな。


「あの、師匠、何が?」

「よいか! 読気の本質は、相手にそうと気づかせず、自らそう思い、動いたと感じさせるところにあるのだ。そうであるからこそ、他人の気に触れても大きな反発が無いのだぞ! それを真っ向から他人の気を操ろうなどと、神にでもなったつもりか!」


 あ、白先輩のこと、バレてる。

 師匠の後ろに控えているディアナが、まるで自分のほうこそが怒られているかのように縮こまっていた。

 いや、ディアナは悪くないから。


「すみません」

「ああっ! なんで謝る? 悪いと思っていたのにやったのか!」

「いえ、悪くはなかったと思います。でも、未熟ではありました」


 そうだ、僕は未熟だった。

 本当にギリギリの危ない綱渡りのようなやり方だったのだ。

 失敗していたら先輩を死なせて、ディアナに深い罪悪感を抱かせたというのに、なんたるザマだろう。


「はっ、その顔なら自分の愚かさがわかってはいるようだな。バカ弟子には本日は謹慎を申し渡す。一歩も部屋から出るな! ったく、そんなに気を乱しおって。下手したら狂人になっていたかもしれないのだぞ? 反省しろ! いや、反省なら誰でもできる。もっと気を練れ。話はそれからだ」

「はい。承りました」


 僕はベッドの上で姿勢を正すと深く頭を下げた。

 世界が歪むように感じて気持ちが悪いが、そのぐらいは我慢出来る。


「お師匠さま! イツキは人助けをしたの! 悪くない!」


 ディアナが焦ったように言う。


「キュー! キュウキュウ!」


 その頭の上でいつものハルが同じように抗議している。

 あれ? 確かハル大きくなっていたような。記憶が混乱しているのかな?


「ディアナちゃんは修練に口を出すでない。こやつの邪魔になるだけだぞ」

「う~……」


 たしなめられて口をムッとしたようにつぐんで唸っているディアナがあまりにかわいいので、僕は謹慎中の身でありながら、遺憾なことに和んでしまった。

 白先輩、どうなったんだろう、気になる。

 でも謹慎中は余計なことは考えてはいけないので、とりあえずベッドの上で足を組んで気を練ることにした。

 そうすると、それまで気持ち悪かった頭や内臓が、徐々に落ち着くのを感じる。

 ああ、気が乱れてたんだ。やばかったんだなぁ僕。

 自分の内に目を転じて、ようやく自分のやったことの危うさを本当の意味で実感する。


「キュウ!」


 ハルがそんな僕の膝の上に乗って、くわえていた花を僕の手に落とした。

 真っ白なレースのような華やかな花びらをまとった、優しい香りの花だ。


「ありがとう」


 その香りは、僕の体にすっと染み込み、溜め込んだ澱をきれいにしてくれるような気がした。

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