エピソード4 【古の詩】 その一

「気づいたんだけど。家に飾った切り花が全然枯れない」


 ディアナが朝食の席でそんなことを僕に教えてくれた。


「全然ってどのくらい?」

「もう十日は経つ」

「それは凄いね」


 話題の花瓶の中に生けられているのは、小ぶりの花を房状に付けて香り高く咲く、透き通るような初夏の花である紫丁香花だ。

 樹木の花なので長持ちしそうだけど、実は逆に花が散ってしまいやすいらしい。

 ディアナがこの花を友達からもらって来た時、花瓶に冷たい水を入れてあげるのが長くきれいに咲いてもらうコツだと聞いたって言っていたっけ。

 今は花好きなハルが嬉しそうにその傍らで尻尾を振っている。


「ディアナが毎日水を換えてあげていたからなんじゃ?」

「そろそろ暑い時期だからそんなに持たないって言ってた」


 僕の言葉をディアナは頭を振って否定した。

 ふむ。

 おそらくは、ディアナはもう答えに辿り着いている。

 そして僕もなんとなくその答えがわかったように思った。


「ハルか」

「ハルね」


 二人の声がハモる。

 ディアナがすごく嬉しそうににこにこしてみせた。


「花を長生きさせられるって平和的で素敵な力だな」

「単純に花だけに作用している訳じゃないみたい。ためしに毎日水を換えるのを止めてみたけど、数日経っても花瓶の水はひんやりとしていてきれいなの。しかもほんのりと花の香りがする」

「不思議だな。そもそもハル自体が不思議な子だからね」

「うん」


 今日のハル当番は僕なので、ハルのお気に入りのリュックを背負う。

 荷物を入れてもハルの入るスペースがなくなることがないというのがとても不思議だ。

 妖魔というのは本当に不思議な存在だなと改めて思う。

 妖魔は幻想種に近い存在だ。

 幻想種は命の根源の種族であり、僕達人間の祖先でもあると言われている。

 神の産みし三つの根源の力が交わって生まれた、最も神に近いものが人間であると聖堂では教えていたけれど、僕は幻想種こそが一番神に近い存在なのではないかと思うことがあった。

 なぜなら神には定まった形が無いと言われているからだ。


「今日、夕の七にクラブハウスにだよね?」

「うん」


 約束の時間を確認するディアナの言葉に答えながら、僕は少し困ってもいた。

 僕個人としては、探検クラブは居心地のいい場所なのだけど、ディアナをなし崩し的にそこに入れてしまうような展開になりつつあることが心苦しくもあったのだ。

 高等部になれば、人は自分の向き不向きを理解して、その多彩な才能を伸ばすために互いに切磋琢磨できる集団に所属しようとする。

 そのためのサークル活動なのだ。

 だからこそ自分に合うサークルを探すこともなく、入学前から探検クラブ一本に決めてしまうのは、ディアナにとって良くないことだと思う。

 とは言え、今更関わり合うなとも言えない。


 僕達は、先日都市の住人の顔役である山河さんから縁あって依頼を受けた。

 それを果たすべく、探検クラブとして活動を行う予定となっている。

 今日はその最初の打ち合わせの日だ。

 授業が終わった後、探検クラブの定例会で、そのための話し合いを行う。

 問題の裏市場の事件の場に立ち会ったことから、ディアナはその依頼達成のための活動に参加することを宣言した。

 部長も快く認めて、受け入れている。

 というよりも、むしろ僕的には部長に嵌められたような気がしてならないのだけど。

 もちろん、あの事件自体は部長が起こした訳ではないし、むしろ解決のヒントをくれたのが部長だった。

 でも、ディアナは一日体験入部するだけだった予定なんだよなぁ。


 正直、少し得体の知れないところのある部長とディアナとを深く関わらせるのは不安がある。

 いや、ヤキモチじゃないから。


 そんなことを考えながら授業を受けた僕は、クラブハウスでの定例会の前に一度図書館に寄ってみることにした。

 高等部の大図書館は、高等生なら誰でも自由に利用することのできる場所で、専門書から一般文芸書まで、広く揃っている。

 我が探検クラブの誇るライブラリーもかなりのものだけど、やはりそこはほぼ部長個人の収蔵である悲しさ、公共機関であるこの大図書館には比べるべくもないのだ。

 一部では大図書館を迷宮呼ばわりする学生もいるぐらい、広大な敷地と本棚と蔵書がある。

 僕も勉強や、最近ではハルに関する調べもの、その前はディアナの滞在手続きの方法についてなど、いろいろと便利に利用させてもらっていた。


 白い真珠色の外装と石積みの、重厚で歴史を感じさせる貫禄がある建物だ。

 実はこの図書館、旧王国時代のお城の建物を利用して作られているらしい。

 そのため、ここにはさまざまな噂がある。

 まぁいわゆる神秘の謎というやつだ。

 図書館のどこかに地下深くどこまでも降りていく階段に続く扉があるとか、深夜にさまよう人影を見たとか、百一番目の棚の九十九冊目の本には人の魂が封じられているとか、そういう感じのものである。

 古い建物には必ずこういった噂があるものだ。


 建物の壁とか自体は古いのだけど、設備は最新のものとなっていて、一歩中へ入ると古さを感じることはない。

 やたら高い天井や、壁の彫刻などが、昔の名残をとどめているぐらいだ。


「ハル、ここでは静かにするんだぞ?」

「キュウ!」


 僕の言いつけに、ハルはとても真剣な表情で重々しく頷いた。

 やっぱり頭がいいよね、うちのハルは。


 入り口のゲートで学生証を翳して入場する。

 学生しか入れないので学生証がないとゲートは開かない。

 つまり残念ながらディアナにはここの探索はできないということだ。

 図書館の玄関ホールにはいくつものソファーとテーブルが並んでいて、ここでノートを広げて勉強している学生や、読書をしている学生、リングを接続した映像デバイスを装着している学生がすでにいる。

 閲覧室は別にあるので、ここは単なる休憩場所だ。

 持ち出し禁止の本などはここでは読むことは出来ない。


 少し進むと建物の真ん中に吹き抜けの中を上へと昇る幅広の螺旋階段がある。

 行先を決めている場合には一階ホールの左右にある転送台を使って移動するほうが早いけど、図書館全体を見て回りたいなら階段を使ったほうがいい。

 僕は迷わず階段を昇る。

 行き交う人の中には階段の縁を蹴るように飛んで上の階へ行く人や、手すりの横に設置された補助椅子に腰掛けてゆったりと上に昇る人もいた。

 賑わっているのだけど、街中の雑踏との違いとして、みんな静かに周囲の空気を騒がせないように注意している点がある。

 学生が大勢いるのに、空気が静謐で、音がほとんど聞こえない。


 二階にある大扉の閲覧室の入り口は、お城の時代のものを残してあって、重厚な木彫りのものだ。

 開館時間内はいつも開いているので、これが閉じた姿を僕はまだ見たことがない。

 扉の内側にはセンサーがあって、本の持ち出しがチェックされている。

 とは言え、見た目としては自由に出入り可能だ。

 壁際の造り付けの書架以外は広々としたホールにテーブルの並ぶ、一見、食堂のような見掛けになっている。

 この閲覧室では目当ての本がある場合には、読みたいジャンルの棚のところへ行って、端末を接続して呼び出すことが出来るのだ。


 本格的に自分の足と目で本を探したい人は、書庫に行く必要があるのだけど、この場合、手続きが必要となる。


「あの」


 僕は受付兼案内所であるカウンターにいる係の人に声を掛けた。


「はい、なんでしょう?」


 図書館職員の女性が、にこやかに受け答えをしてくれる。


「古い稀少本などの閲覧をしたい場合にはどうしたらいいんでしょうか?」

「その場合には学部の先生の許可書を添えて申請書を提出していただければ、審査の後通知が届くようになっています」

「わかりました。ありがとうございます」


 やっぱり貴重な本の場合は探すのに手間が掛かりそうだ。

 探している理由を正直に先生に打ち明けて申請を出すという方法が一番穏便そうだけど、さて、部長はどうするつもりだろう?


 上下三層になっている閲覧室の一番下の床に降り、民話・伝承の類が揃っている書架に赴く。

 リングを端末と接続して古詩で検索をかけた。


「神話とか英雄譚とかが多いな。あ、この英雄王の凱旋、昔読んだことがある。懐かしいな。あ、古詩と魔法の関連性とかそれらしい本もあるんだ」


 タイトルを読み上げるだけで、結構楽しめるな。

 そう思いながら眺めていた僕の背後にふと、誰かの気配を感じた。


「ん?」


 振り返ってみたけど、誰もいない。

 おかしい、僕が人の気配を間違えるはずがないのに。

 そのとき、視界の端に何か緑色のものがよぎった気がして、そちらへと視線を向ける。

 しかしやはり誰の姿もそこにはなかったのだった。

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