エピソード3.5 【女の子の時間】

 ビルとビルの間にあるせいでみすぼらしく見えるのだが、樹希達が暮らしている「ケイマ道場」はそれなりに敷地面積は広い。

 多くの種族が暮らすこの国では、居住空間の考え方として、体格差が大きい他種族の訪れを考慮に入れる必要がある。そのため、基本的にスペースを大きく切り取って設計されていた。

 簡単に言うと、家というものは大きいのが普通なのである。


 さらに樹希の師匠であるケイマの家は、「ケイマ道場」との看板の通り、敷地の三分の一を道場が占めていた。その分、余計にスペースが大きい。

 残った面積の更に五分の三ほどが居住空間であり、五分の二が屋外の稽古場と庭となっていた。

 稽古場と庭は一体化していて、樹木や小さな池、水道を利用した湧き水風の仕立てのせせらぎなどもあり、そこにはさながら自然の山野の一画を切り取ったような風景が現出している。


 その中の、夏場には木立の緑で陽が遮られ、冬場には葉が散って日光が届きやすくなる場所に、小さな花壇が作られていた。

 自然石によって縁取られた茶色い土の中に、申し訳程度の緑が覗いている。

 まだ小さな苗がいくつか並んでいるだけで、その見栄えはあまりいいとは言えなかった。

 しかし、その緑をスンスンと嗅ぐ小さなぬいぐるみのような竜にとっては、その花壇の中の緑は特別らしい。

 周囲をぐるぐる回って楽しそうにしていた。


「ハル、行くよ?」


 呼びかけられて、その妖魔、ハルはスイッと宙に舞い上がり、屋敷のほうへと移動した。

 その動きは、筋肉を使う動物とは全く違う、どこか不思議で、コミカルな動きだ。

 呼ばれたハルの移動先には、背中の羽を思いっきり伸ばしてバサリと広げながら背伸びをしている少女がいる。

 部屋着姿のディアナだった。

 ディアナはハルを庭で遊ばせておいて、屋外の稽古場で軽く体を動かしていたのである。

 この道場の屋外修練場は自然の中でその環境を利用した行動が出来るようにという趣旨の元、立体的な空中での動きもシミュレートしやすく、ディアナにとっても使いやすい運動場となっていた。


 ハルを回収したディアナは部屋着の上にエプロンを装着して朝ごはんの用意を始める。

 樹希とその師匠であるケイマ師は道場のほうでまだ鍛錬を行っていた。

 それもあと少し、すぐに樹希も学校に登校する。

 ケイマ師は二人が見ていない間毎日なにをやっているのか樹希さえ知らないが、いつの間にかいなくなって、いつの間にか帰っているので気にするだけ無駄だ。

 ディアナも最初は戸惑っていたが、今ではすっかり慣れてしまっていた。


 ディアナはフライパンでベーコンを軽く焼くと、卵を二つ割り入れ、ベーコンエッグを作る。

 傍らの鍋で野菜を軽く茹でているのは温野菜サラダの分だ。

 サラダを盛り付けると、すでに出来上がっていったん火から下ろしていたスープと入れ替え温め直す。

 そうやって出来た順から料理をトレーにきれいに並べていくのである。

 見た目もきれいに、というのが、ディアナのこだわりだ。


 ディアナは里では野菜を食べることが少なかったのだが、こちらに来てから栄養バランスについて勉強して、野菜や果物を食事に組み込むことに使命感を抱くようになっていた。

 樹希に健康で丈夫な体でいてほしいという想いからだ。

 親友となったふわふわ美少女のリリカから、女が男を護るための実質的な方法として、食生活や環境管理は、ときに戦いに強いことよりも有用なのだと教えて貰ったということもある。


 ディアナの故郷の里では食事と言えば基本肉だったが、この国の食環境はとても多彩だ。

 主食となるのが雑穀などの穀物類。

 ダシ汁で煮込んだり、粉にして焼いたりして食べるのが一般的だ。

 今朝ディアナが用意したのは、赤瓜と共に煮込んだ雑穀を、白羽葉に包んだものである。

 穀物類は単独種のものより雑穀としてまとめて売られているもののほうが安価なので、一般家庭では雑穀料理が一番普通に食べられているらしい。

 雑多な種類の規格外れの穀物が混ざっていて、本来なら調理時間が難しいのだが、圧力を掛けて煮込むことで、柔らかく食べやすい主食となるのだ。


「おお、うまそうだな。ディアナちゃんもすっかり料理上手になって。もういつでもお嫁さんになれるんじゃないか?」

「師匠。そういうこと言うと女の子に嫌われるらしいですよ。オヤジっぽいって」

「誰がオヤジだ! わしは独身で男の色気ムンムンのお年頃だわい」

「はいはい」


 稽古を終えたケイマ師と樹希が食堂に姿を現すと、ディアナの料理の様子をおとなしく見物していたハルが「キュ、キュー!」と何事か話しかけながら樹希の頭に乗っかる。

 そして髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら自分の居心地のいいように整えると、そこに座り込むのだ。

 この調子なので、樹希は時々、「僕の髪大丈夫かな?」と不安そうにしている。

 

 賑やかな朝食を食べ終わると、最近の習慣で樹希とディアナとハルは連れ立って家を出た。

 行き先は違っても、一緒に家を出るほうがなんとなく楽しいのだ。

 駅まで樹希を送ったディアナはハルを伴って塾へ行く。

 そしてこれも最近、塾の後に立ち寄る場所が出来た。


「こんにちは」


 ディアナが挨拶をすると、広いスペースを確保していた少女達が手を振って迎え入れてくれる。

 以前知り合って、いつの間にか親友になったリリカとその学友達だ。

 話している内に自分達が同じ学年であると気づいたリリカが、自分の友達を紹介して、勉強とお茶会を一緒にするようになったのである。


 かわいらしいリリカは、機転が利いていろんなことを知っているという、まさにディアナの憧れる女の子像そのものだったが、一方であまり勉強が得意ではなく、高等部進級のための追テストの必要があるらしい。

 ある意味ディアナと同じ立場なのだ。

 とはいえ、彼女達は現在現役の中等生なので、基本は学校の勉強の復習である。

 塾とは違って、試験対策のための学習というよりは、学校の勉強をより深く理解することをメインにしていた。

 そこでお互い教え合いっこをすることで、より血肉になる学習ができるのでは? と、ディアナ達は考えた訳だ。


「ディアナちゃん、今日の服、似合ってるね」

「ほんと、茶系に黒のラインカラーかぁ、私が着ると地味になっちゃうんだよね。ディアナちゃんは容姿や雰囲気が鮮やかだから逆に華やかな感じになっていいなぁ」

「ハルちゃんもそのポシェットかわいい」


 とはいえ、女の子が集まると、勉強よりもおしゃべりがメインになるのはどの人種でも同じようだ。

 街の図書館の学習室で大テーブルを占拠した少女達は、ノートや教科書を広げながらも、ついつい度を越して賑やかになり、ときどき係員に注意されつつ勉強を進めるのがお決まりのコースとなっていた。


「ところでディアナちゃん、リリに聞いたんだけど、男の子と同棲しているってホント?」


 リリカと同じ長耳種だけど、リリカと違って淡い茶色の短毛が活発な印象のある、グループの中のしっかりものの少女が、いかにも好奇心いっぱいという、キラキラした目で尋ねた。

 どうやらその話を聞きたくてたまらなかったようだ。

 他の少女達も耳をピクピク動かしてディアナを注目している。


「えっ、同棲っていうか同じ家に住まわしてもらっているだけ。イツキの先生のお家」

「同じ家に住んでるんなら同棲だよ。それで、それで、チュウとかした?」

「チュウ?」


 きょとんとしたディアナに、薄茶の女の子が更に煽るように言い募る。


「シーズン前でも、いいなと思う人と一緒にいると、こう、ドキドキするよね?」

「いやいや、それはお前だけだって、マセてるんだから」


 メガネを掛けた巻き角の少女が少し乱暴な言葉でため息を吐きつつ暴走気味の薄茶の少女をたしなめた。

 巻き角の少女はディアナに学校の教科書と塾の参考書との違いを説明しつつ、塾では早足で駆け抜けた試験に出ないとされる部分を丁寧に説明していた。

 試験に出る部分は、そもそも試験に出ない部分を下敷きにしてあるので、先にこっちを理解してからのほうがわかりやすいと、勉強を理解するための流れを説明していたのだ。

 そして今はどうやら自分の勉強の説明中に横槍を入れられたのが嫌だったらしい。


「えーそんなことないよ! シーズンには一緒にいたいって相手、みんないるよね!」

「コホン!」


 薄茶の毛並みの少女の叫びに、係員の男性が咳払いをしてみせる。

 全員でその係員へ頭を下げつつボリュームを落とした。


「いない。少なくとも今はまだそういう気分じゃないよ」

「え~リリは?」

「ん~、何人か気になる人はいるかな?」

「何人かいるんだ……」


 それはそれで薄茶の少女にとってはイマイチだったらしい。

 再びディアナにキラキラした目を向けた。


「小さい頃に好きになって、忘れられなくて駆け落ちしたんだよね?」

「ちょっと違う」


 ディアナはその内容を否定する。


「で、真相はいかに?」

「とても大切な人。迷惑かけて申し訳ないと思ってる」

「えっノロケ? ノロケなの?」

「サクラうるさい。ディアナちゃんが困ってるでしょ? ほら、ハルくんも相手にしてもらえなくて拗ねてるじゃない」

「ハルくん、かわいい」

「使い魔さんなんだよね。すっごい珍しいよね」


 ディアナが勉強をしている邪魔をしないようにとの気持ちはあるのだろうが、退屈になったハルはくるりと丸まると、テーブルの上をごろごろ転がって遊びはじめていた。

 恋バナに盛り上がりかけていた少女達の意識は、今度はハルに切り替わる。


「うん。登録終わった」

「使い魔登録って術式で契約するんだっけ? 首輪とかしなくていいの?」

「プレートを携帯していればいいと言われたので、その、ポーチに付けている」


 ハルがずっと大事そうに抱え込んでいるショルダーポーチを指したディアナ。

 全員の目がそのポーチに向けられると、ハルはますます大事そうにポーチを抱え込んだ。


「ポーチにプレートつけるって初めて聞いた。普通は首輪とかじゃない?」

「イツキが首輪とか窮屈そうだからかわいそうだって、ポーチを買ってあげた。自分の持ち物を入れるものも必要だろうし、って」

「いやーん、やさしい! いいね、ディアナの彼氏さん」


 サクラと呼ばれた薄茶の毛並みの少女が再び恋バナに戻る。

 かくしてディアナは、何度となく同じ時間をループしているような錯覚に陥りながら勉強に精を出すのであった。

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