エピソード4 【古の詩】 その七

 図書館の閲覧室は元は大ホールだったということで、びっくりするほど広い。

 広々とした天井の高い空間で、両端に二階席が設けられていた。

 この立体的な構造のせいで、元々の広さよりもずっと広く感じられる。

 一番広い真ん中のホールには長い据え付けのテーブルが配置され、そこに検索用端末と大きめのディスプレイが設置してあり、その周辺を囲むように丸テーブルがゆとりを持って配置されていた。

 昼間の照明があるときなら、椅子やテーブルの間隔も広いこの空間で物にぶつかるということもあまりないのだけど、今は真っ暗で、僕たちそれぞれのヘッドライトがわずかな範囲を照らすのみだ。

 ゆっくりとした移動ならともかく、急いで移動しようとすれば当然あちこちにぶつかった。


「ハル!」


 声を掛けたが、飛び出したハルは戻る様子がない。

 焦ったディアナが飛ぼうとするのを僕は抑えた。


「暗い室内で飛ぶのは無茶すぎる」


 たしかこのホールにはシャンデリアがあったはずだ。

 うっかりぶつかったら危ない。


「でも、ハルが」

「ハルは楽しそうだし、あまり危険はないんじゃないかな? まぁでも、心配だけどね」


 僕は見えないとわかっていながら少し微笑んでみせてディアナを安心させるように言葉をかけた。

 僕とディアナはそれぞれハルと契約を交わしている。

 そのため、ハルの気持ちが大雑把ながらある程度理解できるのだ。

 その感覚からすると、ハルは楽しげで、怖がったり怒ったりはしていない。

 お気に入りのおもちゃを見つけたときの反応に似ているぐらいだ。

 とは言え、ハルがそう思っているからと言って、ハルが追っかけたものが安全なものとは限らない。

 焦りすぎてはいけないけど、楽観してもだめだろう。


「どうした?」


 どうやら部長たちは僕たちがなんで急に急いで移動しているのかわかっていないみたいだ。

 あの光を見なかったのかな?


「さっき向こうの階段のところに光が見えて、うちのハルがそれを追いかけて行きました」

「ほう、光か。妖魔を誘うということは妖精辺りの幻想種かな? 古い建造物だからいてもおかしくないが」


 妖精は幻想種の中でもどこにでもいるとされる種族だ。

 あまり大きな力は持っていないが、気まぐれでいたずら好きなので、ときどき厄介事を引き起こす。

 人間と積極的に関わらないものと、逆に人間と積極的に関わるものがいて、人家に出没するタイプは人間と積極的に関わる種類が多い。

 生体が発する魔力が歳月によって溜まった場所に生まれると言われていて、特に古い家にはだいたいいるとされていた。

 とは言え、彼らは見られるのはあまり好きではないらしくて、目撃情報自体は少ない。


「妖精は面倒ですね。ミルクとか持ってきてないし」

「あ、私、クッキーを持ってきている」


 僕のぼやきにディアナが答えた。

 おお、ディアナ、女子力高いな。


「ふむ。もし家妖精だとしたら、ここの秘密をよく知っているはずだ。追いかけてみてくれ。まぁ君たちに万が一ということもないと思うが、無茶はしないようにな。僕たちは問題の、隠された書庫とやらを探してみる。リングの拍数(心臓が100回鼓動する平均時間で標準時間単位)を確認しておいて、十五拍経ったら一度連絡を入れるように」

「はい。先輩達も気をつけて。カイ、ないとは思うけど、何かあったら先輩たちをよろしく」

「おう!」


 僕の言葉とカイの返事にエイジ先輩たちが苦笑いする気配が伝わってきた。

 いやだって、うちのサークルで荒事に対処できるのって一年組の僕とカイと、未就学のディアナだけなんだよね。

 エイジ先輩やマサ先輩、それに部長や美空先輩が決して弱いわけじゃないけど、明らかに実戦の経験がない。

 全員郊外住みか外国から高等部に入った人たちだから、暴力沙汰に慣れていないのは仕方ない話だ。

 それぞれやれることが違うのは当然だし、別に暴力に強いことが偉いわけじゃないから気にしなくていいのにな。

 とは言え、同じ男として、遠回しに弱いと言われるともやもやするのはわかる。


「先輩たちには行動指示を出してもらいたいので、あまり危ないことはしないでくださいね」


 なので指揮を執る立場であることを強調してみた。

 部長が声を殺して笑っているところをみると、僕のこざかしい考えはさすがにバレているようだけど。


「お前らこそ、そこそこ強いからって気を抜くんじゃねえぞ? 幻想種の怖いところは悪意がなくても人を殺せるってとこだからな」

「はい。注意しておきます」


 幻想種はちょっとした気まぐれで人を害してしまうことがちょくちょくある存在だ。

 とは言え、僕たちの魂は幻想種から受け継がれたものと言われているから、極端にものの感じ方が違うわけではない。

 肉体がない分、彼らは死を知らないだけなのだ。


 僕とディアナは注意深く障害物を避けながら階段に進むと、五、六人はすれ違えるほどの大きな階段を上る。


「ハル!」「ハル、おいで」


 ディアナは階段の手摺部分を足場に、一気に上層のフロアに上がった。


「キュ~♪」


 楽しげなハルの声が聞こえる。

 どうやら危険なこともなく、本人はいたってのんきに遊んでいるようだ。


「イツキ、あれって精霊じゃない?」

「えっ?」


 ディアナの言葉に僕は思わずハルの戯れている光をマジマジと見る。

 それは、近づいてみれば光というよりも人に近い姿をした存在だった。

 幻想種は強い力を持つほど人に近い見掛けとなる。

 それこそが人は最も神に近いものであるとする聖職者の主張の根拠となる事実だ。

 まぁ神様を実際に見た人はいないのだからその主張の真偽を確かめられるはずもないのだけど。


 近づくとよりいっそうはっきりとしたのだけど、二階フロアの奥の書架の前で、ハルにまとわりつかれて困ったように佇んでいたのは、緑色の女性っぽいシルエットの精霊だった。

 これはすごくおかしな話だ。

 精霊は神力からしか生まれない。

 そのため、人間や動物の少ない山奥とか、水の中とかで生まれる存在なのだ。

 ハルも神力溜まりから生まれる妖魔だから似た感じだけど、まだ妖魔は精霊よりは魔力と神力の区別をしない。

 言ってしまえば両方が混ざっていても気にしないのだ。

 精霊は混ざってしまうと精霊にならない。

 と言うか、言ってしまえば精霊のなりそこないが妖魔ということになるんだろうな。


 なるほど、ハルがあんなになついているのは、言うなれば同胞に近い存在だからか。


「あの」


 いろいろ考えて行動をためらっても仕方がないので、僕はそのままその精霊に声を掛けた。

 ぴくりと精霊が反応する。

 やっぱり女性格の精霊だな。

 ということは、精霊の中でも好戦的ではないタイプということなので、いきなり攻撃はしてこないはず。


「人間……久しぶりです」

「えっ!」


 僕は驚きの声を上げた。

 この精霊、記憶がある?


「ええっと、失礼ですが、あなたは昔の記憶があるのですか?」

「はい。この塩の塊の奥に私の依代があります。本来の私の依代はツタですが、主がツタの形をした鉱物を依代にして、この塩の塊全体の内部に広げているのです。おかげでこの塩の結晶自体も準依代として記憶の保存に使えます」

「それは、すごいですね」


 本来幻想種は刹那を生きる存在で、見かけ上は同じ姿形をしていても記憶は長く引き継がれない。

 肉体がないからだ。

 言ってみれば短い間に何度も生まれ変わっているような感じの存在と言える。

 だけど、ごくまれに依代を持つ精霊がいて、そういったタイプの精霊は依代に記憶を託して何百年もの記憶を保持している場合もあるらしい。

 ここの元の王様は、それを人工的に行ったということか。

 いわゆる人工精霊と言うものだろう。

 あ、いや、本来は自然の精霊だったらしいから改造精霊ということなのかな?

 今のところ、人工精霊としては感情を持たないけどプログラムされた通りの行動をする電子妖精という存在がいるぐらいと聞いている。

 この精霊は明らかに古いモノだ。

 昔にすでに準人造精霊が生み出されていたということになる。

 そうか、魔術ってこんなことまで出来るのか、驚きだな。


「あの、ここがお城だった頃からいらっしゃるのですよね?」

「はい。管理と保存、継承と導きが私の役目です」

「僕たち、実は古の詩バラッドを探しているのですけど、心当たりありませんか?」


 僕の問いに、どこか人間との会話に弾んだ風だった精霊が押し黙った。

 もしかして禁止事項とかかな? そうだよね、魔法だし。


「それはどのようなものですか?」


 あ、なんなのかわからなかっただけか。


「あ、はい。確か広範囲の守りの魔法とか聞いています」

「そうですか」


 どこかホッとした風に、緑に光る精霊は応えた。

 少し微笑んだようにも見える。


「主から、民が助けを求めたときにはそれに応えるようにと言われています。守りの魔法ということは助けが必要なのですか?」

「多くの人を病から守るための魔法を欲している人がいるのです」


 実際、山河さんからこの魔法を何に使うかということは聞いていない。

 だけど、ほぼ間違いなく、石棺病に対するためのものだろう。

 ただ、守りの魔法の「守り」というのがどういったものなのかわからないので、効果があるかどうかがはっきりしないけど。


「病なのに薬ではなく魔法なのですか?」

「この病気は病とは言っていますが、病原菌やウイルスのような体内に異物が侵入して問題が発生するタイプの病気ではないのです。人間の体が循環のことわりから外れてしまったせいで起こっている障りと言われています」

ことわりから外れては命は力を失いますよ?」

「人間が増えすぎて、循環の理と両立できなくなってしまったんです。今、その両立を目指している途中なのですが、それまでの間に犠牲者は増え続けるでしょう」


 ツタの精霊は少し首をかしげたが、うなずいてみせた。


「私には判断出来ない部分もありますが、争いに使われる訳ではないことは理解しました。そのようなものが存在するか記憶を探ってみましょう」

「よろしくお願いします」


 僕は胸に手をあてて礼をした。

 そんな僕を精霊は困ったように見つめている。

 ん? なんだろう?


「キュウ!」

「この子をなんとかしてもらえますか?」


 うっかりハルのことを忘れていた!

 よくよく見ると、ハルは精霊の姿を形作っている緑の光をかじっているようだった。


「あわわ、ハル、だめですよ!」


 僕の後ろで話を聞いていたディアナが慌ててハルを捕獲する。

 あわわって、……ディアナ可愛すぎだろ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る