エピソード2 【未来のためにできること】 その一

「いってきます!」

「いってらっしゃい!」


 僕が玄関ドアを開けて声を掛けると、ディアナが少し照れたような様子で、でも元気に送り出してくれる。

 なんだかこれってあれだね、新婚さんみたいだね。


「若いもんはいいのぅ」


 僕らが戸惑いと嬉しさのないまぜになった気持ちで交わした挨拶を、ニヤニヤと揶揄して来るのは僕の武術の師匠だ。

 途端に少しほんわかとしていた雰囲気が崩れて現実が押し寄せて来る。


 さて、なんでこんなカオスなことになっているかというと、ディアナの住居についての問題の解決手段が他になかったからだ。

 その上、こっちに住んで学校で勉強したいというディアナの希望を叶えるために様々な手続きをしていく中で判明したとある事実に、僕が何度目かわからない驚愕を覚えたことも大きな要因と言えるだろう。

 それはディアナがこちらで生活するための資金が、彼女の一族の里の運営資金そのものだったということだ。

 彼女のための私的財産と、竜人の里の財産が同一なのである。


「え? でも年間予算で分けるんじゃないの?」

「うちでは必要なお金を必要な時に必要なだけ使うの。事前に決めた通りには絶対にならないから」

「でもほら、公的な費用で絶対に必要なものってあるよね? それが必要なときに足りなかったりすると大変じゃないか?」

「そんなことはまずないけど、もしそうなったら出稼ぎ組から徴収する」

「おおう」


 すごいどんぶり勘定だ。

 いや、彼女の里は百戸もないような集落らしいので、それで大丈夫だったのだろう。

 それに一流のデュエリストの稼ぎ出す金額はとんでもないと聞く。

 成人のほとんどがデュエリストとして稼いでるという竜人の集落なのだ。

 予算が足りないという経験がないに違いない。


 それを聞いた僕は、途端に彼女の私的財産を使うのが恐ろしくなった。

 いや、きっとそれを気にすることに意味は無いのだろうとは理解できる。

 竜人の社会がそういう風にできているのなら、きっとそれが彼らの世界では正しいのだ。

 でも、僕には気にしないというのは無理な話だった。


 それでも学費や生活費などはある意味必要な投資だ。

 なにしろ族長であるディアナの教育や生活は竜人の里にとって大事なことに違いない。

 問題は住居だ。

 都会は生活の場として考えられていないので、そこに住む人間は郊外に家を用意できない貧困層がほとんどとなっている。

 ようするに都会で住居を考える場合、劣悪で格安か、高級宿泊施設を定宿にするかの二択になってしまうのだ。

 高級宿泊施設を定宿にするっていうのは言うなれば富豪とか国賓とか、ちょっと想像の外にある世界となる。

 いくら竜人の里の予算でも無理があるだろう。

 でも僕としては劣悪な環境に彼女を置くことは承知できない。

 一般的に都会で働く人達と同じように、郊外の住宅地にアパートメントを借りてそこから通えば、いい環境で常識的な家賃で生活が送れる。


「私、どんな所でも平気。イツキの傍で暮らしたい。どうしても心配ならホテルの部屋を借り切ってもなんとかなると思う」


 そんな風に言うディアナの気持ちは嬉しいし、僕も男として感じることが無いわけじゃないけれど、ディアナを酷い場所で暮らさせるのも、ディアナの都会暮らしのために竜人の里の予算が切迫するのもどう考えても無理だった。

 この話し合いは平行線をたどると思われたのだけど、とりあえずの宿泊場所として連れ帰った師匠の家で、師匠が「それならうちで暮せばいいじゃないか。部屋は余っているんだし」と言ったことで決着したのだ。


 元々弟子を取って武術を教えていた師匠の家は、部屋が多い。

 男所帯ということを除けば確かに悪くはない話だった。

 

「でも、彼女は弟子になるわけじゃないんですけど」

「は? 女の子が困っておったら助けるのは当たり前だろうが」


 師匠と一緒に暮らして五年になるけど、僕の師匠への理解はまだまだだなと思う。

 なんというか、師匠は柔らかくて堅い人だ。

 人当たりはいいが、自分のルールを決して曲げないところがある。

 だから僕はまさか師匠がディアナを受け入れるとは思いもしなかった。

 だって、師匠ときたら、普段は特別女性に甘いという訳でもなく、逆に常々「いいか、この世でもっとも強敵は女だぞ。ゆめゆめ油断するなよ」と教えているぐらいだったのである。

 本当に予想外で、ちょっと僕は困惑したぐらいだ。

 ディアナは単純に「やさしいお師匠さまだね」って喜んでいたけどね。


 そんな訳で、僕らは現在同じ家に住んでいる。

 いや、一緒に住んでいるからって毎日いちゃいちゃして暮らしている訳じゃない。

 なにしろ師匠が一緒にいるし、僕もそして何よりディアナには勉強がある。

 やはり極端に偏った教育を受けていたディアナが、高等部に編入するための試験に合格するにはかなりの矯正が必要であることが判明したのだ。

 語学とか歴史とか地理とか一部科学とかが基礎段階からすっぽり抜けていたのである。

 ただ、体術とか運動生理学とかが得意なのは当然としても、意外なことに経済学とか物理学とかはかなり専門的な分野に及んでいた。

 経済学を大事にしていてあの予算管理なのはどうしてなのか、責任者に問い詰めたい。って、今の責任者はディアナなんだな、う~ん。


 そんなこんなで始まったディアナとの共同生活なのだけど、僕は一緒に暮らすにあたって、彼女に確認しておきたかったことがある。

 それはディアナの将来への展望だ。

 僕への罪悪感を取り除いた、純粋な希望を知りたかった。


「ディアナはさ、将来何になりたいの? やっぱりデュエリスト?」


 小さい頃は確か彼女は里のみんながそうだからとデュエリストを目指していたはずだ。

 本人はあまり乗り気ではなかったけど。


「ううん。私、デュエリストにはならない」


 ディアナの言葉に僕はホッとした。

 強さはともかく、性格的に彼女には戦いは向いていないと思ったからだ。

 だが、それは甘い考えだった。


「私、バウンティハンターになろうと思うの」

「え?」

「だって、デュエルって結局は強い人のためのものでしょう? それに犯罪者を裁くことはできても犯罪を防ぐことはできない」

「で、でもバウンティハンターってかなり過酷な仕事だって聞くよ。生活も安定しないし」

「それはデュエリストだって同じだよ」

「でもデュエルはルールの元で行われるからある程度の安全は保証されているだろ?」

「うん。でも、私ね。自由に動けて、弱い人を助けるのに何が一番いいのか考えたの。それでこの仕事がいいかなって。イツキのことも護りながら仕事もできるようになりたいし」


 その時僕が受けた衝撃は、おそらく他の誰にも理解できない類のものだろう。

 僕達は五年間全く会うことをしなかった。

 それなのに……。


「イツキはインテリアデザイナーになりたいんだっけ?」

「あ、ううん、今は違うんだ」

「でも、デザイン関係のお仕事だよね? ご両親のお仕事を尊敬していたから。イツキ、絵がすごく上手だし、アクセサリーとか作ってたし」

「……」


 結局僕達は同じ結論に辿り着いた。


 そう、僕もあの五年前の事件の後、大きく未来への展望を変化させていたのだ。

 両親の仕事にあこがれてデザイン関係の仕事を希望していた子どもの僕は、あの事件で消え去った。

 最初は捜査官になるつもりだったのだけど、やがて、捜査官では事件を未然に防ぐことはできないことに気づいた。

 事件を未然に防ぎ弱い立場の人間を守るには、ある程度の自由裁量と、危険を覚悟の上で動ける立場が必要だ。


 この世界は循環のことわりの元、弱肉強食の掟に従って全ては定められている。

 人間は理性を持った生き物だし、かつての英雄たちの働きもあって世界には法が定められ、むやみやたらに強者が弱者を一方的に蹂躙したりはできなくなっているけれど、それでも、弱い者は生き辛い。


 僕の耳の奥には、あの小さな子どもの声が響き続けていて、弱いがゆえにもたらされる悲劇を止めなければならないという衝動に駆られる。

 そして、僕が選んだ未来の居場所は、バウンティハンター、依頼によって悲劇と戦うことのできる仕事だった。

 そのための勉強を今行っている。


 奇しくも同じ結論に至った僕たちなのだけど、実の所、僕は未だにそのことをディアナに言い出せずにいるのだった。

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