エピソード1 【再会】 その三
僕に呼びかけて駆け寄って来たのは確か中等部の後輩だ。
弟妹が多くいて、家族のために業者向けのメッセンジャーの仕事をしている有名人なので、僕も彼を覚えていた。
とても足が早いのだ。
「こんなところでイッキさまと会えるなんて、今日はラッキーデーですね!」
すごく大げさだけど、これは牙無きもの達の本能のようなもので、認めた相手にはとことん腰が低くなるのである。
別に僕がすごい訳ではない。
「この方がお兄ちゃんがいつも言っているイッキさま?」
ものすごくそっくりで、ひと目で妹とわかる女の子が少し兄の後ろに隠れるように僕を見ていた。
「なんか変な話を広めてないよね?」
「まさか!」
後輩くんはぴょんと飛び上がった。
もふもふの毛並みと長いたれ耳がぴょこんとゆれて、見ているだけでほのぼのしてくる。
「いつも言い聞かせているだけですよ。イッキさまのおかげで僕ら牙無きもの達が学校でむやみに怯える必要がなくなったって」
「いやいや、それ、僕のおかげじゃないからね? 各グループのリーダーが協議して取り決めたルールのおかげだよね」
「あいつらに話し合いなんて考えは存在しませんよ!」
後輩くんは熱く言った。
てか通路に立ったままで熱弁するのは止めようよ。
仕方ないから同席を勧めようかな?
そう思った矢先、「じゃまだ! ガキ!」という怒鳴り声と共に、ガシャン! という金属音が響いた。
あっと思ったときにはすでに遅かった。
僕もディアナに再会してどこか緩んでいたんだろう。
気づいたときには後輩くんの妹が、鳥かごの金網に叩きつけられていたのだ。
「メイ!」
後輩くんの声が響く。
同時にすぐ傍で強い殺気が膨れ上がった。
ディアナだ。
赤混じりの黒髪が炎をはらんだ石炭のように広がる。
だが、ディアナが飛びかかるよりも、僕が相手の腕に触れるほうが早かった。
相手は硬化した肌を持つ牙あるものの男だ。
女連れで自分を強者に見せるために尊大に振るまう。
弱者に辛く当たるよくいるタイプだ。
それだけ見て取って僕は相手に声をかけた。
「やめたほうがいいですよ」
「うおっ! なんだ? お前!」
驚き方が大げさなのは、おそらく僕の接近に気づかなかったせいだろう。
ディアナも怒りはそのままだが少し驚いている。
人の意識が向かない場所を移動しただけの話なんだけどね。
「知らないんですか? 石棺病」
「はぁ? 何言ってんだ。俺は郊外に立派な家があるんだよ。お前ら貧乏人とは違ってな!」
ディアナの殺気がまた強くなる。
大丈夫だから、ちょっと抑えて。
「石棺病は循環から外れることで発症する。つまり道理に外れた行いで発病する病気です。大人の男が子どもに暴力を振るうのもまた道理を外れたこと、その反動は体に蓄積されるんですよ。そう、まるで『呪い』のように」
言葉の内容はそう重要じゃない。
声にリズムをつけてわずかな強弱で強調する言葉を選ぶ。
相手の記憶にその言葉を強い印象と共に潜り込ませるのだ。
たとえば誰もが恐れる「石棺病」と不吉な言葉である「呪い」が組み合わさって記憶に残ればいい。
後は引き金を作るだけ。
「な、何言ってるんだ? けったくそ悪いガキだな! いい加減にしやがれ!」
男は僕を殴ろうと触れられた腕を動かそうとする。
だが、ぴくりとも動かない。
「な?」
「もう症状が出たんですか?」
「ば、馬鹿を言うな!」
「でも、腕が痺れて動かないんじゃないんですか? それって今女の子を払い除けた腕ですよね?」
男の顔色が悪くなる。
もしかしたら? と思った証拠だ。
「そ、そんな話、聞いたこともねえぞ!」
「じゃあ、女子どもに暴力をふるった人で体を壊した知り合いとかいないのですか?」
暴力的な男の多くは酒呑みで体を壊しやすい。
さらに喧嘩っ早い男は大体暴力沙汰で体のどこかを欠損していることも多いのだ。
このタイプで五体満足に年を重ねることは逆に難しいだろう。
「う、あ」
「呪いは少しづつ体に積み重なって生きる力を奪うのです。子どもに暴力をふるうのはやめたほうがいいですよ」
「馬鹿馬鹿しい!」
そう、信じる必要はない。
ありえない、信じないと思うたびにこの男は今日の僕の言葉を思い出す。
その記憶こそが彼の精神に暗示をかけるのだ。
師匠から習った読気の術と、カウンセリングの経験から、僕はその誘導の方法を会得した。
僕は男に向かって優しく微笑んでみせる。
子どもを苦しめるカイブツは滅びるべきなのだ。
まぁ、今後ずっと子どもに酷いことをしなければなんにも起きはしないんだけどね。
男の後ろで眉をしかめている女に視線を移す。
この女、さっき子どもが暴力を振るわれたときに眉ひとつ動かさなかったな。
「お姉さんも、気をつけたほうがいいですよ」
僕の言葉にその女はビクリとした。
どうやら完全に自分には関係のない話と思っていたらしい。
この二人、恋人同士と見えて、そんなに親しくないのかもしれない。
「な、なによ」
「自制心の働かない男性は危険です。いつ彼の暴力があなたに向くかわかりませんよ?」
元々そういった思いはあったのか、その女は男から少し距離を取った。
うん。乱暴な男を見るたびに、そうやってよくわからない恐怖を感じるようになるといいよ。
まぁでもこれは彼女にとってはいいことなのかもしれないけど。
「てめえ! 言わせておけば!」
動かない右手の代わりに左手を伸ばして僕を捕まえようと男が動く。
僕は少し困ったような顔でその男の挙動を見つめた。
と、
「今、体の一部を永遠に失うことになってみるか?」
牙を覗かせ、両の瞳に少し赤味を帯びたディアナが男のごっつい腕を握っていた。
単純に対比すると大人と子どもほどの体格差があるのだけど、ディアナの放つ殺気が物理現象を生じるほどになっていた。
具体的に言うと、周囲のテーブルがカタカタと小刻みに震えている。
「ディアナ暴力はだめだよ」
この国は法治国家だ。
揉め事をルールを定めない暴力で解決することは許されていない。
やるならデュアルを申し込む必要があった。
相手の男は一瞬、若い女だと見くびって払いのけようとしたが、自分の腕がぴくりともしないことで、改めてディアナの姿を見て、竜人だと気づいたらしい。
てか右手、まだ動かないのか。
そんなに強く止めたつもりはなかったんだけど、子どもに暴力を振るう相手には加減を忘れることがあるんだよな。
こんなことじゃまた師匠に怒られてしまうな。
「ちぃ! 気分が悪い! おい、場所を移すぞ! ……? おい!」
どうやら連れの女性が見当たらないようだ。
男は慌てて僕らを振り向くこともなく店を出て行った。
「ディアナ、大丈夫?」
「あんな木偶の坊に何ができる? それより、イツキ、びっくりした」
厳しい顔で男の背を見送っていたディアナは、一転僕に泣きそうな顔を向ける。
あう、不意打ちは止めてほしい。
僕はオロオロしてしまった。
「危ないよ? 無茶して、ケガしたらどうするの?」
「大丈夫だよ。僕だってこう見えても体術の使い手なんだよ?」
「本当に? でも!」
「大丈夫だから、とにかく席に戻ろうよ。お店にも迷惑だし、ね?」
僕がなだめると、ディアナの潤んだ瞳が少し落ち着く。
泣かれたらどうしたらいいかわからなくなってしまう。
危ないところだった。
「かっこいい!」
「お?」
「おねえちゃんかっこいい!」
長耳の少女がぴょんぴょんと跳ねてディアナを憧れの目で見つめていた。
お兄ちゃんよりももふもふの毛並みが柔らかそうだ。
かわいいな。
「こ、こらメイ、失礼だろ! あ、イッキさま、デートだったんですね。お邪魔して申し訳ありません! それと、妹のために怒ってくださってありがとうございました!」
「あ、いや。それより妹さんケガしなかった?」
おおう、後輩くん。まだデートは早いよ! ディアナがびっくりするだろ。
僕は思わず真っ赤になりながら咳払いする。
「ここの網、柔らかかったからケガとかしなかったみたいです。ホッとしました」
鳥かごを覆っている網は柔らかい繊維状になっていて、弾力がある造りのようだ。
よかった。
「普段危険に敏感なのに、油断していたね」
「はい。これが本格的な暴力沙汰だったらとゾッとしますよ。やっぱり四六時中気を張っているのは厳しいんですよね。だからこそ、学校が少しでも安全になったのはとても大きいんです。妹ももうすぐ中等部ですし、ずっと不安だったんで、今のこともですけど、本当にイッキさまには頭が上がりません」
「いや、僕、基本何もしてないよ。学校でも今も、ちょっと注意しただけだし、今の人みたいに全然聞く耳持たない人は何を言っても無駄だけど、学校のみんなは話を聞いてくれて、話し合いが行われただろ。本当は根っから悪いってわけじゃなかったってことだと思うよ」
「でも、僕らみんな、イッキさまがいてくれたからだって思ってますよ。絶対忘れません。あ、長々お邪魔しちゃってごめんなさい。あの、彼女さんも失礼しました。それと彼女さんも妹のために怒ってくださってありがとうございました」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんありがとう!」
バイバイとふわふわの妹ちゃんが手を振ってお兄ちゃんと一緒に別の小さいかわいいテーブルに座った。
トレーをまとめてお兄ちゃんが持っていたのでドリンクとお菓子は無事だったようだ。
「かわいいね!」
ディアナが頬を紅潮させて言った。
おおう、うっかり僕の心の声が漏れちゃったのかと思ったよ。
ディアナは「あのね」と言って、少しもじもじしていたが、すぐに思い切ったようにその笑顔のまま僕に宣言するように言った。
「私、実は家出して来たの」
えっ?
驚いてディアナの顔を改めて見ると、背丈を少し縮めるようにして、僕を赤い顔で下から窺うように見上げていた。
その手は胸の前でギュッと握られている。
可愛い。
僕は一瞬ディアナの言葉を忘れてその姿に見惚れてしまった。
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