エピソード1 【再会】 その四

 ディアナの爆弾発言にしばし世界が凍りつく。

 そしてその可愛さに僕が凍りつく。

 いやいや、凍りついている場合ではない。


「ちょっと待った。ディアナは竜人の里の族長になったんだろう? 家出とか無理じゃないか?」

「違うの、逆。族長になったから自由を選べた。族長の仕事は父さんにまかせてあるから大丈夫」


 ……大丈夫なんだ。

 僕は竜人の里の決まりごととか全く知らないけど、それでいいのだろうか?

 少数部族は大体その種族独特の決まりごとを持っていて、他種族には理解しがたいことも多いらしいとは聞くけれど。


「でも家出なんかして住む所はどうするんだ? ディアナは僕より一つ下だよね? 学校は……っと、そうか学校には行ってなくって個人授業を受けているんだっけ」

「住むところはどうにでもなるよ。うちの一族でも十才ぐらいからフリーのデュエリストとして自立していたという人もいるし。学校は、できればイツキと一緒に行きたいけど」


 本気っぽい。

 女の子が都会で一人暮らしとか駄目だろ。

 いや、その前に大事なことを忘れてた。


「ディアナ。家出してまでしたいことがあるってこと?」


 もしディアナがどうしても叶えたい夢のためにそうしたいというなら僕だって協力したい。

 でも、なんだか僕には嫌な予感がした。


「うん。私、これからずっとイツキを護るの。もう二度と酷いことや怖いことに遭わないようにしてあげる。そのために強くなったんだもの」


 ガンと、殴られたような衝撃があった。

 口の中の甘いはずのお菓子の味がしなくなる。

 そうか、再会したときの彼女の最初の言葉がどうしても引っかかっていたんだ。

 会っていきなり謝るとか、どれだけ僕の言葉が彼女の心を縛っていたかよくわかる。

 あの時の僕の犯した罪はずっと彼女をがんじがらめにしていたんだ。


「ディアナ」


 僕はそっとディアナの手を握った。

 ディアナはパッと花開くように嬉しそうな顔になる。

 僕は逆に少し俯いて言葉を紡いだ。


「もし、償いだとか考えているんなら、それは駄目だよ」


 僕の言葉に今度はディアナの顔がサッと曇る。


「ち、違うの。私、イツキと一緒にいたいだけ。でも、一緒にいるにはイツキを護れなきゃだめでしょ? だから、頑張ったの」

「ディアナ、人と人との関係は一緒にいて楽しいか楽しくないかということだけでいいんだよ。守ることは結果としてはあるかもしれないけど、それが目的じゃ駄目なんだ」

「だから、目的は一緒にいることだよ」

「本当に? 本当に僕に対して償いの気持ちはないって言える? それならどうして君は最初に僕に謝ったんだ?」

「あ、謝ったのは、きっとイツキは私のこと憎んでいるんじゃないかと思ったから。だから……」


 ディアナの言葉に僕はため息を吐いた。


「自分を憎んでいるかもしれない相手と一緒にいるために家出して来たの? それっておかしくない? 憎まれているのって全然楽しくないよね?」

「だって、イツキが私を憎むのは仕方のないことだもの。恨まれていてもいいの」


 ディアナはまるで魂が抜けてしまったようにそう言葉にする。

 僕はこのディアナとそっくりの様子の人を見たことがある。

 病院で治療を受けているときに出会った、虐待を受けていたという人達がディアナと似たようなことを言っていた。

 そのことが僕の罪の深さを思い知らせてくれる。

 ディアナと再会して、むやみに浮き立っていた気持ちがひっそりとしぼむようだった。

 でも、僕が病院で出会った相手はそんな哀しい人達だけじゃない。

 あの場所で、僕は特別な出会いをした。

 だからこそ僕は強くなりたいと思ったのだ。

 ディアナと同じように強さを求めたけれど、それは決して償いや、後悔にまみれただけの決意からのものではない。

 もっと前向きで温かいものだった。

 だからこそディアナにもちゃんと前を向いてもらいたいと思う。


「ごめんね、ディアナ。僕はあの時、きっと自分の弱さから逃げたかったんだ。だからあんな風に君を責めるようなことを言った。そしてそれが君を傷つけた。一度言った言葉はもう取り返しがつかない。僕が今更謝っても、あの言葉がなかったことにはならない」

「違うよ、それは違う。イツキは死にそうだったじゃない。私のせいで! 何も関係なかったのに!」


 僕は硬くてすべすべのディアナの手を少し強く握った。


「ディアナ。よく考えてみるんだ。あの場で悪かったのは他の誰でもない。子どもを誘拐していた連中だろ? 悪いのは君じゃなかったし、僕でもなかったんだ。でもさ、目の前で苦しんでいる人がいるのに何もできないのって辛いよね。だから僕達はとても傷ついた。もしかしたら何かできたかもしれないと思っていたからこそ余計に辛かったんだ。でも、もうあれは終わってしまったことなんだ。もう何一つ取り戻すことはできないんだ」


 嗚咽が聞こえて来る。

 ディアナが泣いているんだ。

 そう、終わったことはどうにもならない。子どもだった自分が、愚かだった自分が、犯した過ちはもう取り返しがつかない。

 誰がどんな風に慰めてくれても、死んだ子どもは生き返りはしないし、ディアナの受けた心の傷もずっと残り続けるだろう。

 でも、だからこそ、僕達は過去に囚われるのではなくて、もっと前を向いて歩き出さなければならないんだ。


「あのさ、僕。あの後病院でね、心のケアっていうのを受けていたんだけどさ。あの辛さを忘れるのが怖くて、逃げ回っていたんだ。そんなときにちょっと変わった奴に出会ってね」


 僕は親友の顔を思い出して微笑んだ。


「そいつさ、一度も病院の外に出たことがないんだって。両親が違う種族同士の結婚で、種族の特徴が悪いほうに出たせいで普通の生活ができないんだ。ちょっと物に触れただけで激痛がするからって、ベッドにも寝ることができなくって宙吊りみたいな格好で過ごしていてね。僕は逃げ隠れしていて偶然彼の病室に飛び込んだんだ」


 ディアナの嗚咽が止んでいた。

 僕の言葉にじっと耳を傾けているのがわかる。


「そいつ僕を見て『今日のプレゼントは格別だな!』って言ってさ。僕はその異様な状態にびっくりしてまじまじと凝視したまま固まっちゃったんだけど、そいつ全然お構いなしに、『あ、お茶は右の棚の真ん中の引き戸の中、お湯はそこのポットね。お菓子は保管庫にあるから僕の分もお茶の用意をしてくれると嬉しいな』とか言い出してさ」

「なんだか、境遇とのイメージが全然違うね」

「そうだろ? 僕はなんだかよくわからないまま、言われる通りに準備してさ。初対面なのに一緒にお茶をしちゃってたんだ」

「へんなの」

「だよね」


 さっき泣いたディアナがもう笑っている。

 人の気持ちというのは綱引きのようなものだ。

 より強い感情になんとなく引っ張られてしまう。


「さっきのそいつの状態もその時に聞いたんだけど、全然ケロッとして話すから同情もしにくくてさ。そのうち、僕のほうの話になってね。その、事件のこととか、君に酷いことを言ったこととか話したんだ」

「うん」

「そしたらそいつがうんうんって頷いてさ。『失言って怖いよね。うちの母さんなんかも昔やらかしてさ、僕にそんな風に産んでごめんねとか言っちゃったんだよ』って」

「あ……」


 ディアナが泣きそうな顔になる。

 ああ、本当に、優しいよね、君は。


「『僕としては困るよね。母親に謝られなきゃならない風に産まれたってことだしさ。そこで僕は思ったんだよね、これは長生きしないとヤバイぞって』って言うもんだから、俺も聞いたんだよ。どうして? って」

「うん」

「そしたらさ、『だって、少しでも長生きして、生きていることを存分に楽しんでから母さんに産んでくれてありがとうって言わなきゃいけないだろ? そうじゃないと負けたような気分になるじゃん』って言ってた」

「凄い人だね」

「凄いよね。そいつと出会ってさ、僕もちょっと考え方が変わったんだ。ずっと負けっぱなしじゃ駄目なんだってさ。誰も助けられなくって、しかも君に酷いことを言って、そこでへこんでいるだけじゃ結局全部悪いままで終わってしまうだけだから、僕は強くなる道を選んだ」

「……イツキ」


 僕はディアナの手を握ったまま彼女の目を覗き込んだ。


「だから、ディアナも過去の償いのためじゃなくって、もっと前向きなことのために自分の人生を決めて欲しいんだ。僕はディアナが好きだから、一緒にいてくれるならそれは嬉しいけど。それは護ってもらうんじゃ駄目なんだよ」


 僕の顔を見つめて言葉を聞いていたディアナの顔がゆっくりと赤くなる。

 ……ん?


「わ、私のこと、好き?」

「あ」


 なんてこった。

 勢いで告白してしまった。

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