第六話 森へ行きましょう、魔術の訓練に!
「これは命令なの!」
「そ、そういわれましてもじゃ……」
本日は雲一つない快晴。
絶好の外出日和。
当然年頃の姫様は、授業や執務への興味を失い、駄々をこねだしてしまった。
被害者は、宮廷医であり姫様の魔術の先生でもあるアーロン師だ。
アーロン師はケンタウロスの一族で、特に魔術に秀でる。
彼の弟子は数え切れないほど多くて、姫様はその筆頭である。
そんな彼に姫様は、城下の外れにある森で魔術の実地訓練を行いたいと無茶を言う。
要するに、遊びたいのだ。
「先生、お願いなの。私は燦々日光を浴びながら最大威力の戦略級魔術をぶちかましたいの!」
「その部分が危険だと申しているのですじゃが!?」
必死で彼女をいさめようとする彼。
それもそのはずで、姫様の先天的な魔術の才能は、師にも勝る。
10歳の時には戦略魔術をすべて極め終えた姫様だ、最大威力でそれが放たれれば、冗談ではなく地形が変わる。
そんな爆弾フーテン娘、できれば外に連れ出したくないというのが教育係の本音だろう。
わかる、よくわかるぞ、先生。
僕もできれば、この場にいたくない……!
「ダメですじゃ! そもそも、姫様の適性は攻勢魔術ではなく、防御魔術にこそあると何度口を酸っぱくして言ったら──」
「だったら先生、この場で完全詠唱のゼタサンガをぶっぱなすの」
「──ッ!?」
戦略呪文は、通常詠唱を
戦闘中に長ったらしく呪文を唱えるなどナンセンスであり、多少威力が下がろうと、そのほうが使い勝手がいいからだ。
だが、完全詠唱は違う。
十六節からなる祈りの言葉をすべて紡ぎあげた魔術は、詠唱破棄時の10倍近い威力を発揮するのだ。
すでに一度、チンピラオークを吹き飛ばしたゼタサンガだが。
あれはこれ以上なく手抜きをしてだ。
彼女が有言実行すれば、どんな惨事が起こるか想像したのらしいアーロン師は、一瞬で真っ青になってしまった。
彼の細君も、王城に勤めているのだ。万が一を恐れたのだろう。
アーロン師はその毛深い顔に苦み走ったものを浮かべ、うんうんと葛藤したあと、
「行かないなら、レヴィの瓶を割るの」
「なんでだ!?」
僕らの寸劇を聞いて、ようやく心を決めたらしかった。
だって、この姫様。
やるって言ったら絶対やるのだもの……
§§
「というわけで、やってきたのナイドの森!」
「虫が多いですね……魔獣とか出ませんよね、姫様」
「魔獣はでないの。出たとしても、私が一撃なの!」
アーロン師は、荒ぶる姫様のポーズを見ながら顔色をころころと変えている。
一応、兵士が数名同行してくれているのだけれど、魔術に巻き込まれても困るので、いまは遠巻きにしてもらっている。
そのうちのひとりは、金と赤の
とある人物の配下である証しだ。
「で、では、姫様。せっかくですじゃ、こういったときしか試せませぬ、隠蔽魔術の訓練をいたしましょうぞ」
「隠蔽魔術なの?」
「そうですじゃ、おのれの気配を遮断し、完全に姿を隠す、超高等魔術になりますが……姫様にできますかな?」
「ムッカ、なの。私に使えない魔術はないの。基本原理と術式さえ教えてくれれば、きちんと使いこなして見せるの。ちょちょいのちょーいなの!」
「ほっほっほ、威勢が良いですじゃな! では、お教えしましょう。まずは自己の魔力を──」
「なの!」
とまあ、うまいこと彼は戦略術式の使用をやめさえて、真面目な魔術の訓練を始めた。
そうして、半刻後。
姫様は、あっという間に超高等魔術のコツを掴んでいた。
「ここを応用すれば、私だけでなくもうひとりかふたりぐらい隠蔽できるのです?」
「さすが姫様ですじゃ! それこそ隠蔽魔術の秘奥! 今日は、魔力増幅装置である宝珠を用意しましたのじゃ。これで規模を拡大して」
「そういえば最近宝物庫の整理をしてないの。結構すごい宝珠があったはずなの」
「国王の承認があれば、自由にできるでしょうの。今日はこのアーロンが要したものをお使い下されなのじゃ」
「わかったの。む、ひょっとしてこうすれば……」
「姫様の魔力が……消えた!?」
と、なんか奥義に到達したらしかった。
さらに数刻後、鐘塔の鐘が鳴った。
お昼の合図だった。
「姫様、そろそろ授業は終わりですじゃ。お城に戻りますぞ」
「最後にもう一回だけ、魔術を試してみたいの。かまわないのです?」
「仕方ないですじゃなぁ……」
はぁ……とため息をつく彼の前で、姫様は呪文を詠唱した。
「〝
瞬間、兵士たちがざわつくのがわかった。
なにせ──僕とアーロン師、そして姫様の姿が一気に掻き消えてしまったのだから。
「これこれ、姫様悪ふざけは──」
「なぜ母様を見殺しにしたの、先生?」
「────」
ぞっとするほど底冷えした声音で、姫様がアーロン師にそう尋ねた。
彼女の瞳は普段同様の冷静さを──そして冷徹を帯びて赤く輝いていた。
ゴクリ、と。
アーロン師の、咽喉が鳴る。
「な、なんの話ですじゃ? わしにはさっぱり」
「とぼけないでほしいの。先生を断罪するつもりはないの」
そう言いながらも、彼女の腕の中では戦略級臨界雷撃魔術が渦を巻いている。
この距離で直撃すれば、さすがのアーロン師でも無事では済まない。
それでも、彼は態度を変えない。
「本当にわからないのですじゃ。わしは、姫様のお母上のことなど」
「ハイドリヒ伯から聞いたの。お母様の当時の担当医も先生だったの。もう一度聞くの。どうしてお母様を、そして父上を毒殺しようとしているの?」
「──わかりませんのじゃ。まったくわかりませんのじゃ。姫様は乱心されたのですかの? であれば、その魔術、早々にわしに向けて放てばよいのではと──」
「……あれを見るの」
「──姫様ッ!」
姫様が指さした方角を見やり、彼は血相を変え叫んだ。
そこには、ランチボックスを下げて、こちらへやってくるケンタウロス族の女性の姿があって。
「来る前に、お弁当を運んでくるように頼んでいたの」
「う」
「どうしたの先生、すごい冷や汗なの」
「うう」
「先生も、奥さんは大事なの?」
「ううう……!」
呻いていたアーロン師は、その場にがっくりと崩れ落ちた。
そして、
「仕方が……仕方がなかったのですじゃ……わしは、あれを、妻を人質に取られて……10年前も、そして今回も……ううううう」
「それは、誰が仕向けたことなの?」
「言えませぬ、これだけは言えませぬ……言えば、妻は……わしはどうなっても構わんが、妻が……」
「なら──私が守ってあげるの」
「姫様……?」
姫様の手中から、急速に魔術の光が消失する。
彼女はゆっくりとアーロン師に歩み寄ると、その小さな手を差し伸べた。
「私に協力するの、先生。そうすれば、全部、全部平和にして見せるの!」
無垢なる決意。
完全なる本意。
それを突きつけられて、アーロン師は瞠目する。
「ほんとうに、ですじゃか……?」
「確約するの。私は、皆を愛しているのです」
「あ、ああ、あああ……!」
やがて、彼は姫様の手を取ると、何度も頷きながら慟哭を始めた。
「……これで、姫様の姉上ふたりを追求する材料ができましたね」
「そう、すこしうまく事が運び過ぎているぐらいなの。これで、ふたりを祭り上げている貴族たちを静かにさせることが、内乱を終わらせることができるはずなの」
彼女は安堵とともに、微笑んだ。
そして、王城へ帰り着いた僕たちに、恐ろしい現実が牙を剥いた。
第一王女ナーヤ・ムノ・フォン・ナイド=ネイド。
第二王女ギーアニア・エス・フォン・ナイド=ネイド。
かのふたりは、ナイド王国より離反。
西部貴族同盟を率い西ナイド王国を。
東部貴族連合を率い東ナイド王国を樹立。
お互いが正当な王国の継承者であると宣言し。
その日、事実上の宣戦布告が、行われたのである──
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