第四話 束の間のひととき

 ブギーマンさん曰く、人間が神を信奉するように、魔族にも信じるものがある。

 それは超自然的な〝ちから〟であり、あるいは世界の摂理である。

 彼らはそれを、〝まばゆいものリヒト〟と呼んでいた。

 その日は〝リヒト〟について祈る祭日だった。


「ラカン卿! ラカン卿を呼ぶの! ここの概算がおかしいの。これでは裁決できないの! それからアーロン先生も呼ぶの! 新型魔術の進捗が来ていないの! 騎士レニスはどこをほっつき歩いてるの! 彼には私の親衛部隊の編制──その練度を聞きたいの!」

「姫様ぁ! まんずは朝飯ばしっかり食べてくんろ! 政治のことはあとからお願げぇしますだ!」

「私は魔王──むぐぅ!?」


 朝食の席。

 あわただしく出入りする要人と伝令をさばきながら、お行儀悪く書類をチェックする姫様に、さすがのアトラさんもしびれを切らした。

 ロイド眼鏡をキラリンと輝かせながら、姫様の矮躯を押さえつけ、無理やり食事を口の中に押し込んでいく。

 八つの脚は、こんなとき便利だ。

 ちなみに本日のメニューは、水トカゲの生ハムと白パン、地潜り鳥の卵と、溶岩イチゴのミックスジュースである。


「むぐ、むぐううう!? アトラ、私はこんなに食べきれないのです……」

「食べなきゃこのあとの会合、もたねぇですから! 失礼をば!」

「もぎゅ!?」


 的も食事を詰め込まれ、目を白黒させている姫様。

 本日は祭日。

 戦争というものを忘れ、一夜限りの祈りを静かにささげる日だ。

 いくら人類軍でも、この席堰のなかでは進軍できない。

 この地方特有のとんでもない積雪が可能にした、一時の平和だった。


「……とはいうものの、姫様はそうもいきませんよね」

「もっともなの。レヴィ、ラカン卿をサッサと呼び出すの! 森林の魔獣が大移動しているという話も耳に入っているの。その責任者も連れてくるのー!」


 食事を終えた姫様は、次なる人類軍の攻勢をしのぐための準備にいそしんでいた。

 半刻と待たず、執務室に小柄な青年が飛び込んでくる。

 揺れる鉤しっぽと耳。

 法衣をまとう、ケットシーのラカン卿だ。

 彼はその猫耳をぺたんと倒しながら、不安そうな顔で姫様に挨拶をした。


「にゃ、にゃー、この度は人類軍への大勝、誠にめでたく──」

「そんなお世辞を聞いている暇はないの。ラカン卿、以前お願いしていた話はどうなっているの?」

「以前と言いますと……教会での武装建造ですかにゃ?」

「そのとおりなの!」


 戦々恐々と言った様子で切り出すラカン卿に、姫様は鼻息も荒く語って見せる。


「教会の聖職者が、リヒトの導きによって特殊な魔術」

「光防魔術ですにゃ」

「そう、それなの。光防魔術で、これまで民を癒やしてきたことは知っているの。病を退け、怪我を治療する。とても立派なことなの」

「お、おほめに預かり恐悦至極ですにゃー。教会を統治する身として、ラカン・アルボルト枢機卿、これ以上の名誉はありませんにゃ」

「だけれどラカン卿。これからはそれを、国を守るために役立ててほしいと私は、数か月前にお願いしたはずなの」


 そうなのである。

 人類との休戦が破棄されたあの日。

 姫様は間髪を入れず、こんな命令を出していた。


 光防魔術の奥義に、光輝一文字というものがある。

 これは、熟練の聖職者が、一日に一度だけ刻むことができる強力な守護の祈りだ。

 あらゆる災禍に対し、それを跳ねのけるお守りとして、普段は教会から販売されている。

 姫様は、その軍事転用を思いつき、教会全体に防具政策の命令を出していたのである。

 そんな無茶ぶりをされていたラカン卿が、困ったように横に伸びた髭を触った。


「ご命じになられた通り、皆働いておりますにゃ。祈りを捧げ、一文字、一文字、心と魂を込めて刻んでいますにゃが……」

「いますが、なんなの?」

「なにせ光輝一文字は名前のとおり、一日一文字しか刻めませんにゃ。教会の術者を総動員しても、姫様がお命じになったもの──無数の祈りを打ち込んだ鎧と盾の製作には、いまひとたびの時間が──」

「それはわかっているの。具体的にはどのくらいかかるのかと、私は聞いているの。ラカン卿の試算では、10年以上が必要と書かれているけれど、まさかそんな悠長なことを、本気で思っているわけではないのです?」


 音を立てそうなほど輝く、姫様の両目を直視してしまって、哀れなラカン卿は悲鳴を上げることになった。

 彼は慌てて、訂正する。


「い、いえ、必ずや、人類との決戦までには……! なんとか間に合わせますにゃ! きっとですにゃ!」

「奮励努力を期待するの。まあ、私は鬼ではないの。教会への寄付金を増額しておくから、頑張ってほしいの」

「ありがたき幸せ……! それでは失礼しますにゃ」

「あ、ちょっと待つの!」


 速やかに逃げ出そうとするラカン卿を、姫様は強い声音で呼び止めた。


「……なんでしょうかにゃ」


 可哀想なぐらいの震え声で尋ねるラカン枢機卿に。

 姫様は、わずかに表情を緩め、こう問うた。


「ところでラカン卿……今日のお祭りの準備、もう整っているの?」


 繰り返すが、今日は祭日。

 前世でいうところの、大晦日であった。

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