第三話 ブギーマンは忙しい

「赤雪姫さま、あたしにそのホムンクルス、ちょっと貸してもらえませんかねぇ?」

「他でもない死の侯爵サムディ・ミュンヒハウゼンの頼みなの、無下にはできないの。ところで私のことは魔王と呼ぶの」

「こいつはありがてぇこってす魔王さま!」


 そんなわけで、僕の自由意志など関係なく。

 戦乱のある日を、僕はブギーマンさんと過ごすことになったのだった。


「へっへっへ……そう怯えなくたっていいじゃねぇですか、ホムンクルスの旦那」

「怯えますよ、ビンが割れたら死ぬんですよ? 外出なんてノーサンキューです」

「のーさん……へっへ、やっぱり旦那はあたしらの知らねぇ言葉を使いやがる」


 彼は楽しそうに笑うと、城下町へと繰り出した。

 戦時下ということもあって、すこしばかり活気が落ち込んでいるものの、住民たちの明るさは健在だった。

 ブギーマンさんが山高帽を揺らして見せると、多くの住民たちは笑顔で手を振った。


「ブギーマンさんは町の人たちと仲がいいんですね」

「そいつは違いますぜ、旦那。あたしじゃなく、死の侯爵という役職にこそ、彼らは敬意を払ってるんでさ」


 彼の言葉のとおり、時折すれ違う警護の兵士たちは、ブギーマンさんに敬礼を行う。

 その瞳には、畏敬と呼ぶのが正しいような感情が宿っている。


「今日もね、あたしはその用事で城の外に出てるんです」

「死の侯爵は、すべての葬儀と埋葬を担当するって聞きましたが」

「さすがは万物全知のホムンクルスだ。なら話は早え。ちょっと、急ぎますよ」


 彼がそう言った次の瞬間、ポチャンと小石が水に沈むような音がして、視界が暗転した。

 ブギーマンさんののだと気が付いたときには、景色が変わっていた。

 町の外にある、そこは未開拓の土地だった。

 こんなところに、なんの用事があるのだろうか?


『マスター、気が付いてる?』


 なにがだよ。


『ここ、スケルトンやゴーストみたいな魔族が産まれないほうが、おかしいぐらいやばい場所だよ』


 どことなく困惑したようなアテンの言葉に促され、僕はもう一度辺りを見回した。

 なんの変哲もない荒野に見える。


「なんにもねぇー荒野に見えるでしょう、旦那」


 ブギーマンさんが、僕の心を読んだかのように、そう言った。


「でも、ここには全部があるんでさ」


 それがどういう意味か、問いかけるのは愚問だった。

 ブギーマンさんの影が、ゴポリと泡立つ。

 そしてそこから──


 いくつも、

 いくつも、

 いくつも、


 もう、数え切れないぐらい、いくつもの魔族が溢れ出したのだ。

 いや、それは魔族ではない。

 死者だった。

 戦争で死んだ、魔族たちだった。


「明日のために、明後日のために。夜明けのために、夜の安寧のために。その命が糧となり、次の世代へと受け継がれるように」


 朗々とした声で詠いながら、死の侯爵は遺体を吐きだしていく。

 荒野がすべて埋まるまで、それほど時間はかからなかった。

 やがて、彼はこうべを垂れた。


「〝まばゆきものリヒト〟によって廻るように」


 完成する呪文とともに、沈む。

 魔族の遺体が。

 その屍が、荒野の中に沈んでいく。

 サムディ・ミュンヒハウゼン。

 死の侯爵。

 ブギーマン。


 彼は世界で唯一の、転移魔術の使い手。

 おのれの影を媒介にして、行ったことがある場所に飛ぶことができる存在。

 そこで僕は、ようやく気が付いた。


 これは、埋葬なのだと。


「魔族には地獄や天国がねーですからねぇ。それでも信じるもんはあるんです」

「〝まばゆきもの〟」

「そう、すべての命は巡るってことですぜ。あたしはその、祭司ってなわけだ」


 僕は知った。

 多くの魔族が彼を恐れ、そして敬意を払う理由を。

 彼は誰よりも死と向き合い、そして生へとつなぐ存在なのだ。


「赤雪姫さまは、人類を滅ぼす魔王になるとおっしゃる。魔族に平和をもたらすとおっしゃる。それが嘘だとは思わねぇ。だけど、もしも。もしもですぜ、その在り方が

ねじけちまったら」

「……それが、僕を連れて回った理由ですか? 姫様が、魔族の未来すら見えなくなってしまったら容赦しないと?」


 彼はそれに答えなかった。

 ただ、影法師なのか、案山子なのか、あるいはもっと他の別のなにかなのか。

 なんなのかわからない姿に移ろいながら、こういうのだった。


「魔王さまは、あたしが見るに苦しんでるんでさ」

「苦しんで、いる」

「白兎王さまの死を、あの心優しいかたは大いに悼んでいる……誰もいなければ、叫びだしたいぐらいにはねぇ」


 はっとなって、僕は王城のほうを向いた。

 ブギーマンさんは、かまわずに続ける。


「第三王女が王位につくってのは、そりゃあ並大抵のことじゃねぇ。一族すべてを喪って、孤独になって、ようやくだ。親しいものをすべてなくして、心が張り裂けそうになって。そいで、それは全部、あたしら民のためだっておっしゃる。責任ぐらい、感じなくてどうしやすよ」


 笑みを消して。

 真面目な姿になって。

 彼は、告げた。


「ねぇ、レヴィの旦那。あんただけだ。あんただけが、赤雪姫さまと血の繋がった。だから、よくよく見ててやってくだせぇよ」

「ブギーマンさん……」

「もちろん、手がいるってんならあたしは飛んでいきますよ! あのボンクラ河賊どもを引き連れ、水があろうがなかろうが! でも、でもですよ。もし赤雪姫さまが、魔王様が、にっちもさっちも、どうにもならなくなっちまったら──」


 死の侯爵はそこで、自らの影を縦に裂いて見せた。

 まるで、自分たち臣下にできることは、それだけだというかのように。


「さぁて、疲れましたねぇ」


 しばしの沈黙のあと、彼はがらりと雰囲気を変えるように笑い、首を回した。


「そういやデーエルスイワの嬢ちゃんがいいお茶を手に入れったとか言ってやしたか。ムセリ茶なら、ハイドリヒ卿も呼べや来るかもしれねーですし、いっちょ茶会としゃれこみますかい!」

「あ、僕お茶飲めないので」

「瓶の中に入れてさしあげやすよ」

「殺す気だこのひとー!?」

「へーっへっへっへ!」


 陽気に彼は笑う。

 影をまといながら、笑う。

 僕は姫様を案じるとともに。


 死にたくないと、切に願うのだった。

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