第二話 大飢饉と大豊作
魔族にとって、つらく厳しい冬は過ぎ去った。
剣聖に蹂躙された春も、新緑の芽吹きとともに終わった。
巨大な兎の魔獣が、北から南にかけて新芽の5分の1をむさぼったという報告もあったが、いまのところ死傷者は出ていない。
そうして夏──魔族領は、早蒔き小麦の収穫を迎えている。
「魔王さま、それがしの領土は、今年不作でして……」
ワーウルフのオンワス卿が、かしこまった様子でそう口にした。
今後のナイド、その戦略方針を決める場ではあったものの、その情報は大切なものだった。
とはいえ、オンワス卿の耳はぺたりと倒しており、心なし、その毛並みもしょんぼりしている。
普段は獰猛な犬歯もなんだか丸い。
姫様は彼の身体をわしゃわしゃと撫でまくったあと、こくこくとうなずき、こういった。
「わかっているの、オンワス卿。もふもふ、もふもふなの」
「姫様」
「もふ、もふ……かり、もふぅ……」
「姫様!」
「おっといけないの。えっと……そう、オンワス卿と同じように食糧難にあえいでいる領主は、この場に結構いるの」
その言葉に、老いたゴブリンのネヘハンジャ卿、そしてサラマンダーのムセリ卿が、困惑したように小さくなってみせる。
「毒麦ダ……毒麦ガ、出タノダ」
ネヘハンジャ卿のその言葉に、多くのものが頷いた。
そう、人類領より持ち込まれ、西ナイドで猛威を振るった毒麦──麦角病が、いままさに、その牙をむいていたのだ。
麦類だけが魔族の主食ではない。
だが、多くの民草にとって、それは貴重な栄養源だ。
このままでは、人類だけでなく魔族領ですら飢饉が起きてしまう──
そんな僕ら危惧を、姫様は軽くあしらう。
「なにをバカげたことを言っているの。小麦がダメなら代替作物を用意するだけなの。そう──パンがなければ領地を食べればいいのです」
その言葉は、まさしく真となった。
断罪という建て前で、そして人類の侵略を阻むために焦土とされた西ナイド一帯。
だが、それは決していたずらに燃やされたのではなかった。
焼き畑農業。
そして燻蒸消毒。
姫様がやって見せたのは、それだった。
膨大な動物や人間、植物を灰とすることで大地に栄養を与え、同時に地中に眠っていた麦角病のもとを根絶やしにしたのである。
結果として、西ナイドはいまや、この大陸でも有数の大穀倉地帯と化した。
そこでは麦ではなく、庶民の食べ物とされていた芋類。
そして豆類が、大量に栽培されていたのである。
「とはいえ、これは一過性のモノなの。十年単位で繰り返せるものではないの」
「そのあいだに、毒麦の防除方法を見つける必要がありますね」
「珍しく話がわかるレヴィなの。いま、大急ぎでそのあたりは調べさせているの。問題はもうひとつあって、それは」
「人類領で起きている、大飢饉のことですじゃな、姫様?」
アーロン師がそう問いかけると、姫様はコクリとうなずいた。
そう、人類領では今年も、麦角病が蔓延していたのだ。
それだけならば、まだよかった。
しかし、僕が残機を減らし知ったところによれば、ロジニア神聖帝国は、庶民が食べていたジャガイモなどを自国だけで買い占めたらしい。
そこから導き出されるのは、末端から死滅する未来だ。
前世において、欧州では度重なる飢饉が起きた。
それは一つの麦角病が理由だったが、麦を輸出できなくなった貴族たちが、それでも利益を得るため庶民たちの食べる分すらも、税として奪ったからという歴史がある。
いま、ロジニアも同じ道を歩み始めた。
遠くない未来、人類は大飢饉で崩壊する。
「そのときが、勝負なの」
姫様が、小さく、僕だけに告げる。
「もし、こちらの作物を提供することで戦争を終わらせられるのなら……私は、それが一番だと思っているの」
彼女はそんなことを口にする。
まるで、人類の善性を疑わないかのように。
だが一方で、彼女はひどくクレヴァーだ。
冷静に事態を、俯瞰してもいた。
「というわけで、ブギーマン! サムディ・ミュンヒハウゼン!」
「へい……おそばに控えておりやすよ、魔王さま」
彼女の影の中から、ぬっとあらわれた、影法師のような彼。
ブギーマンさんに、姫様は、こういった。
「捕虜の尋問をはじめるの! 支度をするの!」
公にはいないはずの捕虜──数日前、捕虜になった前線司令官の尋問が。
そうして、始まったのだった。
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