第三話 ナイド城下町とヒマワリの丘
「そろそろ目抜き通りなの!」
どこかうきうきとした様子で、姫様はそう言った。
確かに、周囲の街並みが変化している。
ナイド城下町は、中世ヨーロッパのそれに近い。
建造物はほぼ木製で、ところどころ、石造りだったり、レンガを積み上げた建物だったりする。
清潔! 潔癖! 綺麗! という言葉は当てはまらないが……かわりに、確かな命の営みが、そこにはあった。
荷馬車を引く大型スライムの横を、
ドワーフの親方が檄を飛ばす鍛冶屋からは、トンテンカンテンと小気味のいい金打音が響く。
散髪屋では巨大な蟹がハサミを打ち鳴らし、道端では大道芸人が小銭集めに精を出す。
八百屋ではマンドレイクや、活きのいいキラートマトが売られている。
肉屋には、驚くほど巨大な肉──
昼間だというのに、花を売っているエルフや、サキュバスもいた。
僕は先に、この街は中世ヨーロッパのようだと例えたが、相違点も結構あった。
町中で鍛冶屋が営業するなど、火事の元だ。
市場ではジャガイモが普通に売っていて、ニンジンが格安、豆類が豊富と……やはりヨーロッパそのものではない。
生活のほとんどには、魔術というものが絡んでいる。
だけれど、それらいくつかの出来事を、すべて無視して余りある事実が、ここにはある。
それは、この街が活気に満ち溢れているということだ。
「お、赤雪姫さまだ」
露店の店主が、いち早く姫様の存在に気が付いた。
「赤雪姫さま! 今日はリンゴが食べごろですよ!」
「赤雪さま、いい妖銀細工を仕入れましたぜ?」
「お姫様! 今日のミートパイは力作なんですのよ」
「ひめさまー、お花つんできたのー! あとね、これね、お母さんがパンを焼いてくれたんだー!」
老若男女、種族など関係なく。
八百屋のゴブリンも、露店のサラマンダーも、パン屋のコボルトも、そしてそれらの子どもたちも。
すれ違いざまに姫様へ、笑顔で気軽に声をかけ、様々な贈り物をしてくれる。
城下町の住民たちは、姫様を特に、赤雪姫と呼ぶ。
その宝石のように綺麗な赤い瞳と、銀糸のように美しい髪の色をたたえて。
たくさんの親しみを込めて。
姫様は複雑そうな表情で、それらを受け取る。
そうすると、民草たちは笑顔で喜ぶのだ。
「……レヴィ、私は、わかったの」
城下町からの帰り道、姫様は寄り道をした。
町の郊外にある小高い丘の上へと、彼女はのぼる。
青空の下、そこにはとても美しい光景が広がっていた。
黄金の海原。
一面の
「……ここは、私と
「お母様の?」
「母様は……私を棄てて、この国からいなくなったの」
……思わぬ話に、かけるべき言葉を見つけられない。
そうこうしている間に、姫様は続きを口にする。
「母様は、民たちに愛されていたの。姉上たちは母様を嫌いだったけれど……臣民たちは、母様を好きでいてくれたの」
「姫様は、どうなんです?」
「私は……嫌いなの」
「…………」
「でも、いまならわかるの。なぜ母様が、あんなにも皆に愛されたのか。民たちが、私を目にかけてくれるのか」
彼女は、まっすぐに空と大地の間を見つめながら、穏やかな声音でこういった。
「貧しいながら、苦しいながら、民たちは笑顔でいてくれる。そして、精いっぱいこの国に尽くしてくれているの。ならば私もまた──彼らに報いるような、王女でいなければならないの」
彼女はゆっくりと、手元へ視線を落とす。
そこには街中の人々が、姫様のためにとプレゼントしてくれた沢山の品物があって。
彼女はそのなかの、ライ麦パンをひっつかむと。
おもむろに一口、頬張った。
「もくもく、なの。おいしいの、とても、とても美味しいの」
至って普通の表情で、普段となにも変わらない顔で、姫様はパンを食べ続ける。
僕はそんな彼女を、じっと見つめていた。
ソフィア王女は、そのとき到達したのだ。
かつて愚者として笑われた、マリー・アントワネットの、その本当の考えに。
〝その暮らしぶりが不幸でも、私たちに人々は尽くしてくれるのです。ならばその幸せのために、どうして働けないと言いましょうか。身を粉にしてでも彼らに報いる。それが極めて当然な、私たちの務めです〟
マリー王妃は、生前そう語っていたとされる。
姫様のお母様……つまり、ナイド国王の后だったひとが、どんな考えを持っていたのか、僕はまだ知らない。
だけれど、その子女がここまで愛されているのだから。
きっと素敵なかたに、違いないのだろう。
そして、姫様もまた。
「レヴィ。私は母様に棄てられたけれど、母様と交わした約束、その理想だけは、いまもこの胸に息づいているのです」
「それは?」
僕が尋ねると、彼女は少しだけ黙って。
それから、珍しく微笑みを浮かべると、こういったのだった。
「『民を愛しなさい。すべてのものを愛する努力をしなさい。何度裏切られても、平和のために行動しなさい。それが、王族の責務なのだから』。だから、レヴィ、私は──」
ソフィア第三王女は。
幼いお姫様は。
どこまでも健気に、こういった。
「このヒマワリ畑に向かって、いつも祈っているの。いつかこの世界から諍いがなくなって、平和になりますようにと──そう、願っているの」
一陣の風が吹き、彼女の銀髪が大きくなびいた。
僕は、その日。
本当に尊いものを見た気がした。
だから。
だから僕は──
「……ところで、レヴィ」
「なんでしょうか、姫様」
「ちょっと長居し過ぎたの。いまこっちに、ものすごい怒った顔のアトラが、ホウキを片手に走ってきてるの」
「姫様」
「お」
「お?」
「お仕置きは……嫌なのおおおおおおおおおお!!!」
脱兎のごとく逃げ出す姫様。
しかしこのあと、僕らはあっけなくアトラさんにつかまった。
そして大量の執務を余儀なくされたうえ、ものすごく怒られたのだった。
姫様の長い一日は、まだまだ終わらない……
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