第二話 姫様はオークに襲われました

戦略級臨界雷撃呪文ゼタサンガ!」

「「「アババババババババババババ!?」」」


 刹那、天を割り砕かんばかりの、強烈無比なカミナリが無数の刃となって降り注ぐ。

 戦争で使われるような、最上級の攻勢魔術。

 それは、姫様から哀れにも小銭を巻き上げようとしたチンピラオークを3体、まとめて吹き飛ばすには、十分すぎる威力を帯びていた。


 いや、まさか暴漢に襲われるとは思っていなかったが、暴漢がここまで考えなしだとも思わなかった。

 姫様は竜種だ。

 魔族としては最上級の、肉体と魔力を誇る種族である。

 それに挑むなど……じつにご愁傷様だ。


「ご愁傷様とは失礼なの。これでもかっちり手加減したのです。無詠唱なので威力はお察しなの。彼らは生きているの」

「死んでいないだけの間違いでは?」

「レヴィはまったく細かいの。あたまでっかちなの。まえに話してくれた、なんとかハーバーというひとぐらい、頭を柔軟に保つべきなの」


 ふーやれやれと、無表情のままオーバーなリアクションを取って見せる姫様。

 本当にオークたちが可哀想だった。

 ちなみになんとかハーバーというのは、フリッツ・ハーバー博士のことで、前世の大戦においてナチスが使いまくった毒ガス、マスタードガスの産みの親である。

 ……僕だってそんな話したくなかったさ!

 でも、姫様はとにかく貪欲で、なんでも教えないと瓶を割ろうとするんだから仕方ないだろ!

 まったく、気分は千夜一夜物語のシェラザードだよ!


「それはともかく……なんで彼らは、よりにもよって姫様の身ぐるみを剥ごうとしたのでしょうね」

「彼らに見覚えはないの。たぶん、ほかの領地からの流れ者なの」

「あー……」


 午前の執務と、行儀作法のレッスン。

 それから大陸最強の魔術師、アーロン師による魔術の講義を終えた姫様は、昼食の時間を無視して、城下町を訪れていた。


 彼女はしばしば、城を抜け出してここにやってくるので、街の住人たちは姫様のことをよく知っている。

 そして姫様は、その聡明な頭脳で、彼らの顔と名前をすべて記憶していた。

 それが合致しないということは、このオークたちは間違いなく流民なのだろう。


 ナイド王国を中心とする魔族は、いま内乱状態にある。

 人類に対する対応をめぐって争い、一部では難民や流民を出してしまっているのだ。


「難民たちの対処は、お父さまも頭を悩ませているの。働き口のあっせんや、食糧の備蓄にも限りがあるので」


 しかし、これは別問題だろう。

 第三王女とはいえ、王位継承権を持つ魔族に危険が及ぶというのは、ゆゆしき事態だ。

 へたをすれば、これが内乱を加速させる火種になりかねない。


「まあ、そうでもないの。ちゃんと監視役がいたので」

「監視役、ですか」

「そうなの。さて……いい加減、姿を現したらいいのです、ブギーマン」


 姫様がこくこくと頷き、その名を呼んだときだった。

 オークたちの影が、突如として膨れ上がった。


「ひっひっひ! お気づきでしたか、赤雪姫さま!」


 次の瞬間、その男はそこに立っていた。

 不気味な男ブギーマン

 人間のような体格に、山高帽と燕尾服を着こんだ骸骨──のように見えていたはずなのに、瞬きをしたそのときには、ペストマスクをかぶる医者のようにも見える──あるいは笑う影法師のようにも。


 男はその場にひざまずくと、こうべを垂れ、姫様に慇懃な挨拶をした。


「ご無沙汰でございやす。死の侯爵こと、ブギーマン──サムディ・ミュンヒハウゼン、新鮮な死体ができたと聞き及び、参上いたしやした」

「言葉は正確に使うの。彼らもいずれはこの国の民なの。すやすやと死んでもらっては困るの」

「……姫様、この場合は易々です」

「レヴィは本当に頭でっかちなの。これは王族一流の冗句なの」


 そういう割に、明後日の方向を向いているので、たぶん本気で間違えたのだろう。

 さて、ブギーマンさん。

 いや、この国の葬儀と墓守のすべてを取り仕切る──サムディ・ミュンヒハウゼンさんは、そのころころと変わる姿のまま、かすかに視線を上げ、こちらをじっと見つめている。


「赤雪姫さま、僭越ながら申し上げやすがね。いくらここが王様のお膝元っていいましてもね、護衛すら連れねーのは、ちっとばかし不用心ですぜ?」

「護衛なら」


 僕の入ったジャム瓶を持ち上げて見せる姫様。


「ここにいるの」

「……おや。よくみりゃあ、ホムンクルスじゃねーですか。そんな魔術の秘奥の集大成、どこでお買い求めになったんで?」

「それは秘密なの」


 そ知らぬ顔ですっとぼけて見せる姫様。

 そのそぶりをどう捉えたのか、サムディさんは、感心したように頷いて見せた。


「なるほど、アルヴァ国王さまの差し金ですかい。だったら納得だ、赤雪さまの姉君ふたり、そいつを神輿にしょってやがる貴族どもへの牽制ってわけですか。そういや、チフテレス大河の河賊こうぞくが、街にまで下りてきてるっつー話もありやしたね。物騒なこってすし、やはり、用心が肝要てことですかい?」

「いや、単純に姫様はおね──」

「口を閉ざすのレヴィ。それ以上言ったら、瓶をたたき割る、なの」

「なんたる理不尽!?」


 まさかホムンクルスが真実を言えない時代がこようとは、思ってもみなかった。

 いや、ホムンクルスに転生したこと自体、予想外なのだけれど。

 毎日命の危機なのも、予想外なのだけど!


「へっへっへ、こいつは仲がよろしいこって」


 相好を崩したサムディさんが、楽しそうに立ち上がる。

 そうして、自らの影を大きく広げながら、彼は告げる。


「そいじゃ、赤雪さまはずいぶん忙しい身のはず。城下町までのご足労も、考えあってのことでございやしょ? このオークたちの今後は、あたしに任せてくだせぇ」

「うむ、よきにはからえ、なの。……でも、ちょっとは容赦してあげるの」

「お優しいこってすねぇ……けへへへ」


 最早この場に用事はないと、踵を返す姫様。

 その背後では、サムディさんがオークたちを、自らの影の中に、ずぶずぶと沈めているところだった。


「さあ、レヴィ。私は私の目的を果たすの。視察なの!」


 彼女は、目抜き通りへと走り出し──


「きゃふん!」


 その場で盛大に、すっころんだ。

 危なく瓶が地面に叩きつけられるところで、僕はまた死にかけた。

 つらい。


「……姫様」

「い、痛くないの……ちっとも痛くないの……これも、そう」

「魔族一流の冗句ですか?」

「そう、なの……っ!」


 彼女は半泣きで、そう叫んだ。

 僕と、そしてまだその場にいたサムディさんは、やれやれと肩をすくめるのだった。

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