第二章 ソフィア王女の長い一日
第一話 マリー・アントワネット曰く
姫様の朝は早い。
彼女は朝日が昇るよりも早く、天蓋付きのベッドで目を覚ます。
「ふぁぁ……なの!」
あくびと背伸びを一つ。
それから、備え付けのベルを鳴らすことで、彼女の朝は始まる。
「し、失礼しますだ!」
ベルの音を聞きつけると、専属の従者が飛んでくる。
ノックとともに寝室へ入ってきたのは、瓶底メガネのメイド。
蜘蛛の下半身と、人の上半身を持つ魔族、アラクネのアトラナートさんだ。
「おはようさまですだ、フィロ・ソフィア・フォン・ナイド=ネイド第三王女様」
「アトラ、前から言っているの。名前をすべて呼ぼうとするのは、年寄りの悪癖なの。姫だけでいいといってるの」
「そげなこと、わっちには恐れ多すぎて……!」
「いいから姫と呼ぶの! 面倒なの!」
アトラさんはなまりの強い口調で恐縮し、姫様はやれやれと溜め息をつく。
着替えととも繰り広げられる、毎朝の風物詩である。
「ささ、お着替えをですだ!」
「…………」
アトラさんの豊満な胸て、自分のなだらかな胸を見比べ、ペタペタと触ったあと、大きくため息をつき、彼女は寝巻きを脱ぐ。
お召し物を着替えた姫様は、仕上げに僕の入ったジャム瓶を、胸元の金具に接続した。
これで準備は完了だ。
「さて、出発しんこー、なの」
「ああ、待ってくださいだ姫様! お顔を、お顔を拭かせてくだせぇ」
「むぐ! むむむ、なの」
ばっちり身だしなみを整えた姫様は、朝のお祈りに向かう。
ナイド王城に併設された礼拝堂。
この世界の人類は〝神〟と、その全権代理者〝
同じように魔族も〝まばゆいもの〟と呼ばれる世界の仕組み信じ、尊んでいる。
『あるいは、それは〝神〟と同じものかもしれないよ?』
そうかもしれないが、些細なことだ。
だからアテン、隙をついて僕から残機を奪おうとするんじゃない。
『ちぇっ。せっかく真理を教えてあげようと思ったのに……』
スナック菓子感覚で僕の寿命を縮めるの、本当やめろ。
と、僕らが脳内寸劇をやっている間に、姫様はお祈りを終えてしまった。
「そういえばアトラ、いま思い出したのですが、昨日レヴィがしてくれた話はすごかったの!」
「どんな話でごぜーますか?」
「串刺し公ドラキュラという英雄の話なの! なんでも、自分の領地を守るため腐った政治を行う貴族たちから敵兵に至るまで、ぜんぶ串刺しにして並べて、死体の森を作ったっという──」
「レヴィさまぁ!? 純真な姫様になんて話をしてくださってるだすかぁっ!?」
「爆発する魔術が込められた〝だいなまいと〟? をお腹に括り付けて突撃する三銃士の話もすごかったの!」
「あ、姫様、しー! です! 内緒だっていったじゃないですか!」
「こんのホムンクルスめぇ……! 許せないだよー!」
とかなんとかひと悶着あって。
無事(?)朝食の席になった。
清潔なテーブルクロスが眩しい食堂で、姫様はひとり、食事をとる。
給仕係もアトラさんで、食事はしっかり毒味済みとのこと。
「今日のキラーアントのゆで卵は、格別というほかないの。口の中でトロっととろけて甘みがウマウマ。これはよいものです。マンドレイクのフルーツサラダもシャッキリポンで美味しいのです」
「姫様、魔族が魔族を食べるのって、共食いになったりしないのですか?」
僕がそんなことを訊ねると、姫様だけでなくアトラさんまで、なに言っているんだこいつ? という顔をした。
地味に傷つく。
「相変わらず、おかしなことを聞く
すみませんね、残機は有限なんですよ。
「レヴィ、いのちとは巡り巡るものなの。植物が兎や鹿を育て、その兎や鹿を獅子が食べる。獅子の命が尽きれば、それは大地に帰ってまた植物を育むの。これは魔族でも同じことなの。これが私たちの信仰する〝
なるほど。
魔族というのは、そういう思想の上に成り立っているのか。
確かにそれは、多種族の共存を図るうえで極めて有益な考え方だ。
逆に言えば、魔族が弱肉強食の縦社会であるという、証左でもあるわけだが……
「それよりもですだよ、姫様。このライ麦パンは焼きたてですだ! 柔らかいうちに、いかがだか?」
「アトラ。人間が好んで食べるものなど、私はいらないの」
「そんなだと、お姉さま方に笑われてしまいますだよ?」
「うぐぐ……それでもなの!」
駄々っ子のように反発する姫様に、アトラさんは困ってしまったように、前脚をまぜまぜする。
ふむ。
『マスターはあれかな、メガネっ子メイドが好きなのかい?』
違う、そんな不純な動機ではない。
いいか、アテンダント。
メイドとは、貴族の令嬢しかなれない高貴な職業であり、実務のプロフェッショナルだ。
僕も生前は雇いたいと思っていたものだが、しかしその関係性で苦慮が──
『あー、わかった。わかったから、ほら、あれでしょ? さっきの失態を取り返すためにも、フォローするつもりなんでしょ? はやくしてあげなよ』
アテンの呆れた口調に、我に返る。
僕はゴホンと咳払いして、姫様に話しかけた。
「姫様」
「む? このゆで卵はあげないのです。レヴィは瓶から出れないので」
「そうではなく。好き嫌いはよくありません」
「私は王女なの。好き嫌いで、物事を選ぶ権利があるの」
そんなこともわからないのかと、姫様は僕を見下す。
確かにそのとおりだろう。
彼女は一国の王女だ。
その権利が及ぶ範囲なら、どんなわがままだって許される。
だけれど──
「姫様、いまは戦時下です」
「休戦中なの」
「休戦とは、戦争が終わった──という意味ではありません」
「……どういうことなの?」
そのままの意味だ。
休戦協定とは、国力が疲弊し、戦線を維持できなくなった両国が、次の争いのために力を蓄える、その時間を稼ぐ方便に過ぎない。
そして、多くの場合この方便は、どちらか一方によって理不尽に破られるのだ。
「ですから、いつ物資が足りなくなるとも限らないのです、姫様」
「だったら……パンがなければお菓子を食べればいいのです。これは、レヴィが教えてくれた話なの」
「あなたはそれを、民にも同じように強いるのですか?」
「どういう意味……なの?」
これは、はっきりいえば僕の落ち度だ。
前世の人物、マリー・アントワネット。
彼女の有名な逸話を、僕は面白おかしく彼女に語って聞かせたが──マリー王妃は、そんな愚にもつかない言葉を口にしたことはない。
彼女の思想は、むしろ真逆のモノだったのだ。
「パンがなければお菓子を食べればいい──では姫様、庶民が食べるお菓子がどんなものか、知っていますか?」
「お菓子はお菓子なの。きっと素敵なものなの。あまあまなの」
「小麦とすりつぶしたジャガイモを等分に混ぜ、揚げただけの堅くて味もそっけもない代物です」
「え?」
「それが庶民にとってのお菓子であり、いまの
僕は静かに告げる。
前世において、かつて勃発した世界大戦。
それによって、僕は小さなころひどい飢餓を味わった。
だから、彼女に伝えなくてはいけない。
その鉄仮面のような表情が、寂しげにゆがんだとしても。
「民は──」
彼女の可憐な口唇が揺れ、戸惑いを含んだ問いかけが吐き出される。
「民は、戦争になれば、どのくらい飢えるの?」
僕は答える。
「きっと、お菓子すら食べられないぐらいに」
「…………」
彼女は思慮深く、口を閉ざした。
この魔族の少女は、年相応に傲慢だが、同時に聡明でもある。
きっと、マリー王妃と同じ結論に至れるはずだ。
そんな期待とともに見守っていると、
「午後は城下町に出かけるの。レヴィ、供をするの!」
やがて、彼女はそう言った。
正直に言おう。
まさかこのあと──
彼女が暴漢に襲われるなんて、僕は思ってもみなかったのだ……
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