第四話 無敵のちからは姫様のために

 やあ、僕の名前はレヴィ。

 なんの変哲もない、元歴史小説家の転生ホムンクルスだ。

 もしもの話をしよう。

 ある日突然、とんでもないを手にしたら、きみはそれをどう使うかな?

 使い方次第では神を殺し、悪魔にすら不在証明を突きつける──そんなちから。

 僕はいま、それをひとりの少女へと授けようとしている。

 その、恐るべきちからの名は──


§§


 ハイドリヒ宮中伯との会談は、拍子抜けするぐらい簡単に実現した。

 驚いたのは、デーエルスイワさんがその場に同席したことだ。


 ウンディーネの彼女は、体内からティーセット一式を取り出し、僕らにムセリ茶を振る舞ってくれる。

 不思議なことに、ティーセットはちっとも濡れたり湿気たりしていないのだった。

 ハイドリヒ伯は、その琥珀色のお茶に口をつけると、僕らへと皮肉気な笑みを向けた。


「なぅー……ご機嫌麗しゅう、ソフィア第三王女さま。北方領主にして宮中伯。コレトー・フォン・ハイドリヒ、ここに参上したぞ。お茶の席だものな、気軽にわたしのことはコレトーと呼べよー」

「…………」

「はっはっは。さてはおまえ、『苦しゅうないの、楽にするの』とでもいうつもりだったんだろー? 残念だが、わたしはおまえの家臣ではないのでなー、かしこまる必要がない」

「わかっているの。あなたは父上の臣下なの、ハイドリヒ伯」

「だから、コレトーでいいいって。でもよー、それは正解だ。そして、デーエルスイワも、おまえの臣下じゃねぇーの」

「…………」

「だまるなよー、いじめているわけじゃねーんだ。ほれ、ムセリ茶のめよー。安心していいぜ、

「では、いただくの」


 ハイドリヒ伯は、美しいエルフだ。

 ブロンドの髪と、長くとがった耳。そして碧眼。

 長身で、細身の体つき。


 表情こそ弛緩したものだが、その眼は常に怜悧で、抜け目がない。

 そのハイドリヒ伯が、安心していいと言ったのである。

 つまり、この場の安全は彼が担保するということだった。


 だから姫様は、ようやく力を抜き、お茶に口をつけた。

 僕も、全身の痛みを無視して、彼らを見る。

 ハイドリヒ伯は冷笑を浮かべると、こう繰り返した。


「なうー……わたしはアルヴァ王の臣下だ。あいつは無二の友で、わたしの役目はその後継者の選出なんだ。つまり、

「ハイドリヒ伯! 口が過ぎます!」


 思わずといった様子で大声を出したデーエルスイワさんを、ハイドリヒ伯は視線だけで制する。


「わたしは忠犬さ。どんな極上のえさを目の前に置かれても、主以外には尻尾は振らない。昔はともかく、いまわたしの主君はたったひとりだから」

「それは……わかっているの」

「ほんとかよー。先日はよ、そこんとこがわかってねぇのが──第一王女さまが、ここに来たんだぜ」

「……!」


 その言葉に、目を見開く姫様。

 ハイドリヒ伯は、どうでもよさそうに話を続ける。


「そのまえは第二王女さまだ。どっちもよ、黄金の菓子折り持参なんだぜ、笑うよな? そりゃあ、毒餌だろって」


 やはり、先手を打たれていた。

 ナイド王国を支える支柱は大きく分けて二つ。

 無数の兵士──人的資源を誇るノーザンクロス辺境伯と。

 肥沃な土壌、最大の領地を擁する彼──ハイドリヒ伯だ。

 特に、目の前のエルフは宮中伯。

 新たに王権を得たいと思うのなら、絶対に味方にしておきたい魔族なのだ。


 そして僕らもまた、身の潔白と安全を保障するため、彼を味方に引き入れたいと思っていた。

 こちらのそんな腹積もりを見抜いてだろう、齢150になるというエルフの長は、姫様にこんなことを問う。


「さて……第一王女ナーヤさまには、明瞭な大志があった。武による統治、人類への勝利だ。ギーアニアさまは、国を大きく富ませたいとお考えだ。そのために、人類と向き合い方を変えるべきだとな」


 では、翻って。


「翻っておまえはどうなんだ、ソフィア第三王女? おまえはなんのために、わたしに会いに来た?」

「私は」

「お茶を飲みに? 菓子を食べに? デーエルスイワとお喋りに? まさか、わたしにをさせるためじゃねーよな? なぅー、そうじゃない」


 彼は値踏みするように、姫様を凝視する。

 その表情は一度も揺るがない。

 彼の主君が、唯一であるように。


 だから、姫様は。


「私は──この世を平和にしたいの」


 そう、理想を口にするしかなかった。

 あまちゃんといえば、最悪にあまちゃんなセリフだ。

 世界を平和にする。

 子どもの夢としては、ひどく純粋でほほえましいものだが、戦争中の国家で、その王族の言葉ともなれば、あまりに不適切すぎる。


 平和。

 どの世界でも、どの時代でも、もっとも難しい理想のひとつ。

 戦場で花ビラを配って回るような、狂気の願い。


「それでも──これは姫様の、姫様だけに許された願いなんです」

「ホムンクルス……おまえは黙っていろよな。わたしは第三王女様と話をしているんだぞ」

「僕は彼女の英知、そのすべてだ。僕は彼女の所有物レヴィだ。だから、僕の言葉は彼女の言葉だ」

「なうー……人造生命め、無茶苦茶を言うな」


 苦笑するハイドリヒ伯。

 僕だって無茶苦茶なのは理解している。

 だが、これは必要な手順なのだ。

 僕は、続ける。


「姫様は、心よりナイドを愛しています。魔族を、民を愛しています。彼女は内乱を終わらせたいと、本気で願っているのです」

「だとしてもだ、それは自分で口にすべきことだろ? おまえに語らせた時点で、価値を失うんじゃねーか?」


 そのとおりだ。

 だから、彼女はこれから語るのだ。

 そのためのちからを、僕は──


 歴史という──神を殺し、悪魔にも不在証明を突きつけるちからを、彼女に与えたのだから。


 この痛みの正体は力の行使だ。

 僕がなんのために、寿命を削ってきたと思うハイドリヒ伯?

 


 僕は見上げる。

 姫様の瞳を。

 その宝石のように美しい赤を。

 彼女は僕を見て、頷き。

 決然たる口調で、告げた。


「私は内乱を終わらせたいの。平和であってほしいの。それは──

「────」

「ハイドリヒ宮中伯。父上の臣下。そして……母さまの、友達。私はあなたに、あなたとデーエルスイワに、お願いをしに来たの」


 彼女は、そしてその願いを。

 この瞬間初めて、口にしたのだった。


「私は──人類との戦争に、終止符を打ちたいと思っているの!」


 世迷い言、戯言、妄言、繰り言。

 夢のようなキレイゴトを口にして許される存在が、この世にはたった一つだけ存在する。


 その存在は──


「私の理想に協力するのです、コレトー! デーエルスイワ! 一緒に、戦争を終わらせるの!」


 彼女は子ども特有の純粋さと。

 子ども特有の残酷さで。

 彼と彼女に、決断を強いた。

 かつてのの理想を、裏切れるのかと、そう問うたのだ。

 ハイドリヒ伯は、


「なぅ……」


 眩しそうに目を細めると。

 どこか懐かしそうに、笑った。


「まったく、よくもここまでそっくりに成長したもんだぜ。ああ、いいぜー。おまえが自分を裏切らないっつーのなら、、わたしはおまえの味方になってやるよ!」

「────」


 その言葉を聞いて、ずっと力んだ様子だったデーエルスイワさんが、安堵のため息をつくのを、僕は見た。


 このあとすぐ。

 僕らは彼女デーエルスイワさんの口から、衝撃の事実を聞くことになる。

 まさか。


 まさか姫様の母親が。


 、思いもしなかったから。

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