第十章 最終決戦
第一話 帰るために、終わらせるために
「姫様……!」
チフテレス大河の支流を目前にして、アトラナートさんが絶叫した。
あれから数日、僕らは逃げ続け、ついに支流までたどり着いていた。
だが、追っ手もまた、すぐ背後まで迫っていた。
30騎ほどの兵士が、姫様へと躍りかかる。
人類軍の先兵だ。
アトラナートさんが暗殺者の技量を活かし、その初手を防ぐが、多勢に無勢で吹き飛ばされる。
鈍い光。
敵兵のひとりが、剣を振り上げる。
「ゼ、ゼタ──詠唱破棄!
せまる兵士を雷撃の呪文で打ち払う姫様。
雷撃魔術は最速の魔術。
逆に言えば、その最速をもってしても、全員を一掃するほどの高位魔術を行使する時間が存在しなかった。
迫る無数の白刃。
よけきれない……!
『マスター』
──くそっ!
出し惜しみしている場合ではない。
姫様がやられれば、どのみち僕も死ぬ……!
よこせ、アテンダント!
この危機的状況を切り抜けるまで、僕の残機を無制限で使え! 生き残る未来を予測しろ!
『承知したよ! 斬撃は、右、左、下、右、上──』
「姫様! 左、下、下、右、右、刺突!」
「──なのぉっ!」
撃ち込まれる魔術、振り下ろされる刃。
そのすべてを恵まれた身体能力と、僕の未来予知、そしてときに魔術ではじきつつ、姫様は必死でしのぐ。
「袈裟斬り! 逆胴! 心臓への刺突! 頭部への爆裂術式! ──ガァッ!?」
突如、僕の身体を激痛が襲った。
激痛、そんな言葉ではまったく足りない。
まるで、魂が砕け散ったような、なにもかも、大切なものが失われていくような──
『残りの寿命は2……マスター、残機は2だよ! 悪いけど、これ以上は教えられない』
バカか。
そんなこと言っても。
この状況じゃ、これ以外に姫様が逃げ延びる方法は──
「レヴィ! どうしたの!?」
一瞬、彼女の注意が僕に向く。
僕が沈黙したからだ。
そして、それは致命的な隙になった。
彼女の頭上で、戦斧が輝く。
断頭の斧のような、禍々しい凶器が。
「────」
姫様は気が付き、防御魔術を行使しようとするが、もはや遅く。
その刃は、吸い込まれるように。
〝彼女〟の背中に、突き刺さった。
「ア」
姫様が、絶叫した。
「アトラナートおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
「……なんとかお守り、できましただ、か」
敵兵と姫様の間に割り込んだアトラナートさん。
彼女はとっさに姫様を抱きしめ、わが身を盾にしたのである。
だけれどそれは、まさしく捨て身。
いま、彼女の背中は深く割られ、どくどくと、どくどくと、その血液をこぼしている。
「あ、ああああ」
「姫様、大丈夫ですだよ……」
アトラナートさんは、死力を尽くし、八つの脚を振るう。
放たれた蜘蛛の糸が、敵兵たちをからめとり、動きを止める。
「デーエルスイワさまとぉ、約束しただから。命に代えても、姫様を守るって。えへへ、嬉しいなぁ……姫様の命を。未来につなげることができるだなんてぇ」
「アトラ、アト、ラ……ア、アア」
「ダメですだよぉ、姫さま。泣いちゃぁいけねぇ。ここで死んでもいけねぇですだ。だって、姫様はナイドの民を」
そして、わっちの故郷の村を、救ってくれる約束でしょう?
彼女はそういって、微笑んで。
「生きて、未来を創るんですだよ。みんなが姫様の糧になる。そして、姫様は魔族の明日を──」
「これ以上喋っちゃダメなの、アトラナート!」
「ああ……裏切り者のわっちも……これで、誰かのために──」
その複眼から、光が消える。
ぐったりと、彼女の全身から力が抜ける。
糸が、緩む。
「アトラ……? アトラ!? だめなの! まだ、まだ私は、あなたの村を救っていないの……! 自分の目で見届けないと、私が嘘つきに……! アトラ!」
「ひめ、さま……! そんなこと言ってる場合じゃ……はやく、逃げて……」
息も絶え絶えに告げる僕の言葉も、悲しみに暮れる彼女には届かない。
代わりに、拘束が解けた敵兵たちが、下卑た笑みでこちらへと近寄ってくる。
終わりか。
終わるのか?
こんなところで、姫様の理想は。
僕の、死にざまを選びたいという願いは──
「野郎ども! ド派手にいきやすぜ!!!」
轟く蛮声とともに、未来へと、紙一重でつながる。
「おおおお!!」
目前に迫った運河。
そこに大型の船が滑り込み、何名もの屈強な魔族が飛び降りてくる。
その魔族たちは、勇敢に敵兵たちへと挑みかかった。
そして。
「大変遅くなりやして、こいつはぁ面目ありやせんねぇ、赤雪姫さま」
ぬっと、姫様の陰から〝彼〟は現れた。
死の侯爵。
埋葬をよくするもの。
サムディ・ミュンヒハウゼンが、いつもの正体不明の姿で、そこにいたのだった。
彼らは、姫様を守るように人類へと立ちはだかる。
「ブギーマン」
「へい、死の侯爵ただいま参上でさ」
「アトラが……」
「ええ、埋葬してやりましょうや。こんな辺境ではなくて、こんな敵地ではなくて。こいつがよぉ、一番帰りたかった故郷に」
彼の言葉に、姫様は立ち上がった。
僕の入った瓶を、ぎゅっと握りしめ。
彼女は、しっかりと顔を上げて。
「なの! 帰るの! 私たちは、生まれ故郷へと!」
「けへへへ! その意気でさ!」
アトラナートさんをみずからの影の中に招き入れ、ブギーマンさんは姫様の手を取り、船へと急ぐ。
僕らはそうして、危機を脱した。
「私は、ロジニアを倒すの」
ナイド城に帰り着いた姫様は、即座に状況を諸侯に伝達。
同時に、アーロン師とともに、最終魔術を完成させる。
彼女は決意のまなざしで。
流された血の、贖い色に瞳を染めて、ナイド全土に──こう通達した。
「これより、最終決戦をはじめるの。この戦いで、魔族は大陸に覇を唱える──なの!」
4000000VS750000。
人類と魔族。
最初にして最後の総力戦が──もはや止める者もなく、火ぶたを切った。
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