第五話 3000と1名の犠牲

 炎の丘テルモピュライの戦い。


 スパルタ教育という言葉の語源にもなった、戦闘民族国家スパルタ。

 彼らは20万の大軍を前にして、わずか300の兵で挑んだ……というのは後世のフィクションに過ぎない。

 実際はもっと随伴兵がいたし、彼ら以外の部族もともに戦った。

 だが、それでも大軍に対して、それはあまりに寡兵だった。

 津波を蟻が防ぐのような、ありえない防衛戦だったのだ──


 ピュテルイの谷で親衛連隊が行ったのは、まさにその再現だった。

 彼らは、1000の光輝一文字を刻んだ盾を、一斉に掲げた。

 自らを守るためではない。

 自らの隣の、同胞を守るために。


 その盾は自分を守らない。

 隣に立つものが、必ず自分を守ると信頼しているがゆえに。


 蛮声が響き渡る。

 魔獣の洗礼を超えて、400万の人類軍。

 その先鋒が、彼らへと襲い掛かる。 

 殺到する魔術の奔流。

 3000の盾が、その10倍の魔術の雨を受け止める。

 光が散る。

 眩い金色の光が、幾度も散っていく。

 それは盾に刻まれた光機一文字。

 一撃を受け止めるごとに、文字は削り取られたように消えていくのだ。

 代わりに、決死隊すべての命を支えて。


「400万の人類がなにするものなの! ナイドの地は、けっして踏ませないのです! 汚らわしき人間を、ここでせき止めるの!」


 ソフィア王女の姿をしたウンディーネは、兵たちを奮起させる。

 兵たちはそれにこたえる。

 彼女の姿に。

 いまはここにいない、主君のために。


 親衛連隊へ、人類の騎馬軍団が衝突する。


「散開! 包囲!」


 レニスの号令のもと、まるで同一存在のように息の合った動きで、連隊は動く。

 ピュテルイの谷は文字通り細い。

 そこに攻め入るためには、人類軍はどうしても、縦列を取る必要があった。

 そこをレニスは利用する。

 騎馬を迎え入れるように左右に開き、攻撃を仕掛けてきた刹那、周囲を取り囲んで躍りかかったのだ。


「ぎゃ!?」

「ま、魔族がああああああ!!!」

「あああああああああああ!?」


 槍、牙、爪、尻尾、針の毛皮──魔族のチカラによって一瞬で命を奪われる人類。

 そしてレニスは、再び結集を呼び掛ける。


「密集隊列!」


 出来上がるのは、盾でできたドームだ。

 全方位、どこからの攻撃にも耐える、究極の関所!

 再び殺到する魔術。

 そのすべてを彼らは防ぎ切り、その周囲を、まるで称えるがごとく光輝一文字の残滓が舞う。

 まるで絵画の一ページのように。


「はっはっはっは!」


 年若いゴブリンが笑った。

 つられたようにエルフが笑う。


「まるで地獄が落ちてきたみたいだ!」

「地獄の中で戦ってる!」

「だが、地獄は我らの逝く場所じゃない」

「そうだ!」


 レニスが告げる。


「人間だけだ! 人間だけが地獄に落ちる! 俺たちは魔族の明日になるのだ!」

「「「「応!!」」」」

「守り切るのだ! 俺たちが、祖国を! 姫様を!」

「「「「応!!」」」」

「さあ、次の波が来るぞ! 総員に次ぐ、一刻でも長く立ち続けろ!」

「「「「応ぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」


 彼らは戦った。

 戦い続けた。

 戦うたびに、光輝一文字が消えていく。

 戦うたびに、人類の骸が、ピュテルイの谷に降り積もっていく。

 彼らは戦った。

 いつまでも戦った。

 人類軍は夜も昼もなく押し寄せた。

 彼らは永遠の戦士だった。


「……ガッ!?」


 2日目の朝、いつか陽気に笑ったゴブリンが血反吐を吐いた。

 彼の盾はすべての光機一文字を失い、砕け散っていた。

 だが、彼は笑う。

 またしても笑う。

 眼前には、海嘯かいしょうのように押し寄せる人類の重装歩兵。

 人類兵の中でも、最強の練度と名高い不死部隊イモータル


「騎士レニス!」

「ああ!」

「同胞たちよ!」

「ああ!」

「未来へ先に逝く! さらば!」

「「「「「おさらばだ、戦友ともよ!」」」」」


 ゴブリンは走り出した。

 目の前の重装歩兵の群れへと。

 突き出される無数の槍。

 彼の身体は、一瞬で穴だらけにされ──


万歳ズィーム! 赤雪姫様に栄光あれズィーム・ハイウル・フィロ・ソフィア!!!!」


 そして、100の重装歩兵を巻き込み、爆散した。

 爆裂魔術を応用した自爆特攻であった。


 彼らは致命傷を負えば、躊躇なく敵を巻き込み自爆を続けた。

 人類はおののいた。

 一撃で殺さなければ、自分たちが巻き添えになる。

 その恐怖が刃を曇らせ、結果的に3日間。

 3日もの間、人類軍はピュテルイの谷に縫い留められることになった。

 400万の大軍が。

 人類の総軍が。

 たった3000の魔族に、足止めされたのだ。


 3日目の朝。

 とうとう残るは騎士レニスと、デーエルスイワさんだけになっていた。


「申し訳ありません、騎士レニス。〝まばゆきもの〟への旅路に付き合うのが、私になってしまって」

「まさか、望外ですよ! 姫様を連れていくわけにはいきません。だというのに、姫様の姿のひとと逝ける。これは、騎士にとって喜びです。皆もそうだったに違いありません」


 人類、魔族合わせて5万の遺骸が転がる谷の中で、レニスは笑った。

 凄絶な笑みとともに、彼は名乗りを上げる。


「俺の名はレニス! レニス・ダオ! ここに坐します魔族の王! フィロ・ソフィア・フォン・ナイド=ネイドの騎士である!」


 その言葉に、人類は怖じ気づいた。

 レニスはワーライオン。

 獅子が吠えれば、人などひとたまりもない。

 それでも指揮官に命令され、人類はレニスたちに突進する。


「……それでは、俺たちの姫様」

「はい、最後まで。魔族の明日のために!」


 ふたりは400万の津波へと走り出す。

 その姿が輝き──やがて、爆発した。



 僕は、ホムンクルスのレヴィは、その光景を、全知の力で知ったのだった──

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