第四章 ナイド王権戦争
第一話 内戦前夜
「どうして戦争なんかになった!? 戦争が起きたら死ぬ確率が上がるじゃないか! これを回避するために僕は貴重な残機を──神は死んだ! むしろ呪われろ!」
『せっかく内乱がおさまりそうだったのにねー、残念だったね、マスター』
「欠片もそう思ってないな、おまえー!?」
僕が錯乱していた一方で。
姫様はひどく慌ただしく、この数日間を過ごした。
アルヴァ王の容態は相変わらず芳しくなく──アーロン先生によれば、そもそも回復する類のものではないという──なによりも、ナイドを取り巻く状況が厄介だった。
火山地帯と温帯からなる、東部の貴族をまとめ上げたナーヤ第一王女は、赤竜騎士団を結成。
宣戦布告と同時に、ナイド王国へと進軍。
同時に、西ナイド王国方面へも、派兵を行った。
対してギーアニア第二王女は、民の数と水源、魔族圏きっての鉱山を有する西部を完全に支配。
東ナイド王国を迎え撃ちつつ、
ぎりぎりのタイミングで、ハイドリヒ宮中伯をこちらの陣営に引き込んでいた姫様サイドは、エルフを主体に防衛線を敷き、ふたつの軍隊に対して攻撃的防衛を行っている。
この内乱は魔族圏の中央を流れ、人類領まで支流が伸びる大陸有数の大河川──チフテレス大河を境界線とすることになった。
防衛の最前線が、大河だったのである。
ノーザンクロス辺境伯は、すでにおのれの領地に戻ってしまった。
動乱につけ込み、人類軍が攻め込むことを危惧し、魔族領全土の守護を大義名分に、どの陣営にも加わらなかったのだ。
魔族最大の軍備を有する彼が、どの陣営かに加担していたのなら、この争いはもっと速やかに決着していただろう。
それでも、彼は最終的な王権に対して忠誠を誓うことを明言している。
去り際、彼は姫様に、
「……我は確かに前線へと帰る。だが、この内乱を契機に人類が攻め入ってくることは、まずないと断言できるのだ。それはかの地にて、災厄が跋扈しているゆえのことである。いずれ、この国をも蝕む、災厄がな」
そう言葉を残していった。
これを、僕らは助言だと捉えた。
問題は、なにに対しての助言かということだが……
「ともかく、状況はすこぶる悪いの。コレトー・フォン・ハイドリヒ。あなたの意見を聞かせてほしいの」
暫定的に組織された意思決定機関──円卓の席において、ハイドリヒ伯は、その美貌を苦渋にゆがめていた。
「なぅー……最悪とは言わねーがよー……これはやべぇーだろ。わたしの領地から出せる兵員は15000。王都に常駐している兵士が20000弱。第一王女、第二王女が取り込めなかった貴族の兵、民、すべてに動員をかけてもよぉ……こっちの兵力は60000に届かねーかもな」
アーロン師が引き継ぐ。
「そのなかで、魔術に練達したものはおおよそ5000ですじゃ。対して、西ナイド王国の兵力は概算でも200000。東ナイドは70000程度ですじゃが、あちらには魔術をよくするものが多い」
「つまり、圧倒的にこの国は不利、ということなの。よくわかったの」
こくこくとうなずく姫様。
その様子は普段通りだが、赤い目の下には、色濃いクマができていた。
頬も心なし、こけて見える。
この数日、彼女はほとんど不眠不休で、各地貴族との連絡を取っていた。
第一王女と第二王女が、恐ろしく戦ごとに長けていたからだ。
この国から秘密裏に脱出する際、彼女たちは多くの貴族に書状と、そして城下町に身勝手なお触れを出していったのである。
ナイドの正統な後継者は自分であり、臣民たちは当然自らの軍門に降れという声明である。
むろん、アルヴァ王の押印はない。
なにせアルヴァ王は存命で、しかしいつ命を落とすかもわからず。
暫定的にこの国の指導者を任される姫様は、わずか12歳の子どもなのである。
多くの貴族たちは、判断を迫られていた。
将来謀反人となるリスクを背負って、東西どちらかのナイドにつくか。
あるいは、アルヴァ王の回復を信じて、こちらに残るかである。
「コレトーが働きかけてくれているから、なんとか貴族の多くは従ってくれているの。でも、このまま戦争になったら、たくさんの血が流れるの。それは、すごく嫌なの」
「心中お察ししますよ、姫様」
僕も自分の血が流れてほしくないものな。
「……レヴィはそんなこと言って、姉さまのところに行くんじゃないの? まえにレヴィが話してくれたサンゴクシにも、そんなやつがいたのです?」
僕は呂布かなんかか。
とんでもないことをしれっというな、この姫様。
まあ、今の彼女は疑心暗鬼であっても不思議ではないのだ。
この場で信用できるのは宮中伯と、隅っこで冷や汗をかいているアトラナートさんぐらいのものだろうし。
『そうだね。誰も信じられない。でも、信じるしかない。そういう感じだね。つけ入るなら今だよ、マスター!』
清々しいほど外道なことを口にするアテンだったが、確かに一理あった。
ファシストに倣うつもりはないが、これは好機でもある。
ひとというのは、弱っているときこそ、誰かの言葉に従ってしまうものなのだ。
僕は死にたくない。
なにがあろうと、二度とあんな目に遭うのはまっぴらごめんなのだ。
いまだに、死の瞬間を思い出すと体が震える。
生き残るためなら、なにを売り払ってもいいと思えるぐらいに。
「だけれど姫様、僕は裏切るつもりはないのですよ」
「なぜなの?」
決まり切っている。
理由は、たったひとつしかない。
「僕は瓶から出れないので──自分ひとりじゃ、裏切って、どこかに行くなんてできないんです」
できるだけ本気に聞こえるように。
僕は真剣な口調で、そういった。
「なぅー……本心なんざ誰にもわかんねーよ。そんなことより妙案をひねり出すほうが大事だぜ。とりあえず、ムセリ茶飲みながら考えるとか、どうよ?」
「確かに、心のゆとりは大事ですじゃの」
「さすがアーロン師、よくわかってるな! よし、デーエルスイワ! アトラナート! そういうことだからよー、とびきりのお茶を入れてくれよな!」
「はい」
「わかりましただ!」
ハイドリヒ伯の言葉に、ふたりがお辞儀をして、準備を始める。
僕らはそっと、目配せをした。
「なんとか、穏便にことを治める方法はないの……?」
平和を愛する姫様だけが、ひとり真剣に、葛藤に苦しんでいた。
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