幕間 とある王妃の物語

閑話 エルフの大領主には親友がいました

 これは、姫様が生まれるより、15年は前のお話。

 そのころナイドは、人類との休戦協定を結んだばかりで──


§§


は、コレトーにもまた、彼女あれをよく知ってもらいたいのだ」

「わたしの無二の友、わたしの唯一の主。それはできない相談だろ」

「そこを曲げてくれ。曲げてくれたら、秘蔵のムセリ茶を宝物庫から出してもよい。黄金茶葉だ」

「なぅー……それは卑怯者がやることだぞ、我が王よ……」


 エルフの大領主。

 魔族領の森林という森林の長。

 宮中伯コレトー・フォン・ハイドリヒは、困惑とともに自らの領地へと帰還した。


 そもそもの起こりは、至高の賢王と名高いアルヴァ王が、ふたり目の妻を娶ったことにはじまる。


 最初の王妃は、同じ竜種であった。

 二女を設け、好き勝手に享楽に耽ったのち、その王妃ルナークは、あっけなくこの世を去った。

 彼女は生涯、民草に愛されることはなく、その振る舞いが明らかになったのちは、糾弾すらされた。

 それでも竜種という希少な魔族であったため、死したいまも、一種の崇拝を集めている。

 コレトーが頭を抱えたのは、その後釜、ふたりめの王妃の素性であった。

 王妃は出会い頭、彼に向かってこう言った。


「初めましてコレトーさん! なにかあったら、なんでも相談してくださいね! きっと力になります。ところでコレトーさん、私のことは気軽にアガフィと呼んでください! アーちゃんでもいいですよ? ほら、アーちゃんって!」


 そんな風に気安く呼ぶことなど、とてもできない。

 まず彼女は王妃であり、ついで

 とてもではないが、親愛の情など抱けない。

 ため息とともに領地に辿り着いたコレトーだが、悲劇は彼に追い打ちをかけた。


 大陸を両断する巨大な森──シヤトラ大森林。

 その末端に、エルフの森はある。

 なんと、そのエルフの森で、巨大な魔獣が暴れているというのだ。


「魔獣は首切り兎ウォーパルバニー? 王がはるか昔に出遭ったというのは聞いたことがあるけどよー……兎なんて、かわいい部類じゃねーのか?」


 彼のその疑問に、部下のエルフは青ざめた顔で首を横に振った。

 魔獣とは、おのれに禁術を施し、長い年月を生きる魔族のことである。

 エルフの平均年齢は170歳。最も優れた魔族、竜種でさえ200歳。

 対して魔獣は、400年も生きるとされている。

 そしてその首切り兎は、小山ほどの大きさがあるというのだ。


「もうそりゃあ、粉砕剣兎バスタードソード・バニーの間違いじゃ……」


 嘆息しては見るものの、それで事態が改善するわけでもない。

 魔族領でもっとも肥沃な土地を有するエルフとはいえ、その大部分は森の恵みに依存する。

 森は彼らの生命線だ。

 日々の糧も、魔獣と戦うため弓も、傷を癒やす薬草も、森に立ち入れなければ手に入らないのだ。

 事実、エルフの民たちは困り果てていた。


「……王に相談」


 することはできない。

 アルヴァ王はコレトーにとって無二の親友だ。

 彼の窮地を聞けば、すぐにでも援助をしてくれるだろう。

 しかし、


「忌むべきものと、王は婚姻を結びやがった。認めたくないんだよ……なぅ……」


 エルフは誇り高き種族だ。

 、絶対に理解しあえない。

 それが平和のために、どれほど必要だったとしてもだ。


 そうやって彼が手をこまねいている間に、被害はどこまでも広がっていった。

 ついには領民に死傷者が出るようになり、討伐のために編成した部隊も追い返される始末。

 エルフの民は飢えと恐怖におびえ、夜寝ることもできず、衰弱を重ね。

 進退窮まった彼が、もはや一命を投げ出すしかないかと思い詰めていたとき、それは払暁ふつぎょうとともにやってきた。


 たくさんの荷馬車と、完全武装の兵士たちが乗った戦車が、彼の領地へとやってきたのである。

 そのすべてのものが、赤字に白い丸が描かれた旗を──ナイド王国の国旗を掲げていた。

 王による救援だった。

 だけれど、コレトーは王を嫌いになりそうだった。

 なぜならその一団を率いてきたのは、見覚えのある女性で──


「もう……! 早く言ってくださいよ、コレトーさん。水臭いです! 夫の臣民が窮地は、私の窮地! なにを置いても駆けつけるに決まっているじゃないですか! 大丈夫です、きっと平和になるよう頑張って見せます!」


 その女性は。

 歯の浮くような、そんなセリフを臆面もなく言い放ち。

 そしてそのまま、自ら先頭に立って、魔獣討滅へと乗り出した。

 コレトーはそれを、冷ややかに見つめていた。


 なにが、なんでも言ってくださいだろうか。

 なにが、なにを置いても駆けつけるだろうか。

 しょせん彼女は嘘つきの一族だ。

 下賤で下劣で下種な生き物だ。

 きっと、すぐに泣きながら逃げ帰ってくるに違いない。


 彼はそう高をくくっていた。

 必ずそうなると、確信していた。

 だというのに……


「この魔獣さんとは和解しました! 討滅しない代わりに、今後はナイド王国と、そしてこの森の守護者になってくれるそうです。うん、やっぱり愛を持って話し合えば、私たちは手を取り合えるんです! 魔獣と魔族だって、それ以外だって!」

「────」


 そういって、小山ほどもある兎の背中に乗って、凱旋してきた彼女を見て。

 その、イチゴ色の瞳の、まぶしさを見て。

 コレトーは完全に、言葉を失った。

 そうして、エルフの大貴族コレトー・フォン・ハイドリヒは、その瞬間に理解したのだ。

 


 アルヴァ王が後后。

 王妃エレオス・アガフィ・フォン・ナイド=ネイドは、ヒマワリが咲いたような眩しい笑顔で、こういったのだ。


「なので、私はコレトーさんとも、仲良くなりたいです!」


 かくして、コレトーは己の間違いを、ようやく悟る。

 その女性は忌むべきものでも、呪われた種族でもなかった。

 たとえそうだとしても、として、それは違うのだ。

 なぜなら彼女は、その短い生涯において。


 ただの一度も、嘘をつかなかったからである。


 これは、エルフの偏屈ものに、ふたり目の親友ができた日の物語。


 ──僕がこの物語を知るのは、もう少し先のことだった。

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