第五話 独裁平和

「ここに、人類と魔族は、恒久的な和平調印を行うの。今後一切の戦争行為は、起こらぬものと誓う、なの!」


 ロジニア皇帝の暫定代理者によるその宣言に、会場は大いにわいた。

 シヤトラで開催された講和調印式典は、人類魔族を問わず、3000万もの観客が集まった。

 長く苦しい戦争という時代の終わりを、誰もが歓喜を持って迎えていたのだ。


 大陸の7割に及んだ巨大帝国は解体され、いくつもの小国として、これからの人類をはぐくんでいく。

 表向きは独立。

 裏では魔族による、監視体制の下での平和だが……それでも、これは理想的な結末だった。

 人間は、永久に続く地獄よりも不自由な楽園を選んだのだ。


 プロメヨタ・ベインヘンという絶対的な力を持つ魔族に、二度と人類は勝利できない。

 魔族領に貯蔵されたそれは、あと一発。

 そして、この魔術を行使できるのは姫様だけであり、また魔力の量でいえば、姫様ひとりで扱えるものではない。

 魔族の総意をもって、なおかつ姫様が決定を下したときのみ行使できる兵器に、プロメヨタ・ベインヘンはなったのだ。

 究極の殺戮魔術は、争いを未然に防ぐ抑止力として、これから機能していくに違いない。


 さて、これに前後して姫様は、正式にナイド国国王として戴冠式を終えていた。

 名実ともに世界を治める魔王となったのだ。


「そんな大それたものじゃないの。ロジニア皇帝の血を引いているものが、全滅してしまったというだけなの。レヴィは今まで通り、私を姫と呼んでいればいいの」


 そんな風に彼女──ロジニア皇帝代理にして、ナイド国王フィロ・ソフィア・フォン・ナイド=ネイドは、普段通りの無表情と、これまでにない豪奢な正装で、玉座へと腰掛ける。

 会場では、拍手喝采が巻き起こっていた。

 彼女は、人と魔族、両方の血を享ける者だ。

 平和の象徴として、世界に君臨するのなら、彼女しかいなかったのである。

 正しい意味での独裁者──臣民から全権を委任され、臣民のために統治をおこなうものとして、この世界に初めての平和を導くだろう。

 人類は恐怖しながら。

 魔族は人類にへだたりを感じながら。

 それでも、彼女の下で、平和へと向かって歩き出すに違いない。


 では、僕はどうだろうか。

 僕はいったい、なんのためにこの世界へと転生したのだろう?

 アテンダントは言った。

 転生者は、前世での未練を果たすために、この世界へやってくるのだと。

 ロジニア皇帝の未練は、死ぬまで楽しく生きること。

 ならば、僕の未練はなんだっただろうか。

 僕は──


『ぼくはアテンダント。マスターの道案内だ。根源──〝神〟──〝まばゆきもの〟は、いつだって答えを用意してくれるよ。でも、決めるのはマスターだ』


 そう。

 そうなのだ。

 だから──


 僕の残機は、


「下がれ! 下がれ狼藉もの! なにゆえ貴公が、貴公ほどの英雄が──グァア!?」


 会場の警護を務めていたはずの、ノーザンクロス伯の怒号が響き渡る。

 その場に居合わせたすべてのものの視線が、そちらへと集中する。

 見れば、ブギーマンさんが。

 死の侯爵サムディ・ミュンヒハウゼンが、警護の者たちを薙ぎ払い、大暴れしていた。

 その表情は、影になってうかがえない。

 ただ、その影だけが、涙のようにぼたぼたと零れ落ちていた。


「なにごとなの……?」


 呟く姫様への返答は、すぐにあった。


「なぅー……おまえの願いを叶えるための、最後の儀式だよ」

「……コレトー?」


 そこにいたのは、黒い軍服をぴっしりと着込んだエルフの男性。

 コレトー・フォン・ハイドリヒ。

 彼は、腰から剣を抜き放ち、姫様へと告げる。


「過ぎた力は、抑止力じゃなきゃならんのよ。プロメヨタ・ベインヘンは、抑止力だ。二度と争いを起こさないための楔。そしてなぁ、それは逆説的に、二度と使われちゃいけねーのさ」

「──理解した、なの」


 一歩、また一歩とハイドリヒ伯が近づいてくる中、姫様はどこまでも冷静に、頷いて見せた。


「私がここで死ねば、プロメヨタ・ベインヘンは2度と作る事ができないの。魔族が欲望のままに人類を虐げることもなく、人類が魔族に臆することもなくなる。つまり、世界は平和になるのです」

「そう。そしておまえの願いは果たされる。ついでに言えば、わたしが味方なのはおまえが嘘をつかない間だけって約束だったかんな。。なぅー、怨むなよー、魔王さま」

「誰も恨んだりしないの。レヴィからいつか聞いた話なの。これでも私は賢いので、それを知っているの──退

「なぅー……それが、なによりおまえの救いになることを、わたしは祈るさ」

「人類との共存を願う以上、叛逆につながる恐怖は減らさなくてはいけないの。その最たる私は、ここで死ぬべきなの。それで、嘘は嘘でなくなるので」

「……ごめんよぉ……そして……おさらばだ」


 唇をかみしめたハイドリヒ伯が、白刃を振り上げる。

 姫様は、静かに目を閉じた。

 振り下ろされた刃は、姫様を──




「ハイドリヒ伯……それはダメだ。それをやったら……ほんとうに姫様が、嘘つきになってしまう……」

「ホムン、クルス」

「……レヴィ?」


 凶刃は、姫様に届きはしなかった。

 代わりに、パキリと音を立てて。


 僕の入っているジャム瓶に、が入る。


 僕の半身を、刃が断ち切っていた。


「レヴィ!!」


 姫様の悲鳴。

 ……ダメですよ、姫様。こんな場所で、そんな顔をしちゃ。

 これは、だって僕の願いなのだから。

 全身を貫く痛みは、そのためのモノなのだから。


「……そうか、万物全知のちからで、わたしの襲撃を予想したんだな、ホムンクルス? そして庇ったのか、なけなしの魔力で瓶を持ち上げて」

「正解……です、ハイドリヒ伯」

「魔王さまが本当の嘘つきになるというのは?」


 それは言葉通りの意味だ。

 彼女は、人類と魔族の平和のために殺されるつもりだった。

 だけれど、その処刑者はハイドリヒ伯ではない。

 彼女はずっと前に、サムディ・ミュンヒハウゼンを処刑者に、指定していたのだから。


「だから……ぐっ」

「レヴィ!?」

「だから……いまあなたが姫様を処刑したら、それは彼女に嘘をつかせることになってしまう……!」


 僕は、絶え絶えの息を整え、血反吐のように叫ぶ。

 きっとブギーマンさんも、同じように苦しみながら、この時間を作っているだろうから。


「姫様は必ず、世界に平和をもたらす……! 人と魔族の垣根はなくなり、そうすれば……人類という種別は滅ぶ! 嘘ではなくなる……!」

「それは、万物全知の」

「そうだ!」


 

 僕にはもう、その未来を見るための残機は残されていない。

 だけれど、間違いないと断言できるのだ。

 なぜなら彼女は、僕に学んだのだから。


 歴史に学ぶものは賢者である。

 経験に学ぶものは愚者である。

 ならば、万物全知に学んだものは──


「邪悪だ! 彼女は傲慢な邪悪そのものだ!」


 生命がもとより備える、争うという本能を否定することは、邪悪以外の言葉では表現できない。

 戦争とは、争いの極致。

 だからこそ、戦争を廃絶できる彼女は!

 この世界でたったひとり、人間と魔族、どちらをも愛せる彼女は!


「犠牲は遥かに高く積まれるだろう、血はいつまでも流れるだろう……そして、姫様はいつか裁かれるだろう。でもそれは──」


 いまじゃない。

 いまこのとき、あなたの手によってではない……!


「ゲホ、ゴホ……ッ」


 激しくせき込む。

 ダメだ、視界がもうきかない。

 それでも、これだけは、告げなくては。


「ハイドリヒ伯……彼女は……」

「なぅー……わかったよ、魔王さまは、

「────」


 つまりは、誠実な正直者。

 それを彼に理解させることに成功し。

 そして僕は、力尽きる。


「駄目、駄目なのレヴィ!? 死んではダメ! レヴィ、ああレヴィ! 私を──独りにしないで!!」

「────」


 大丈夫ですよ、姫様。

 あなたは、独りではない。

 あなたの後ろには、これまで殺してきたすべてのものがいる。

 そして、あなたの前には、これから育む、すべての命があるのだ。

 僕はただ、そこに加わるに過ぎない。

 そうだ、あなたを育てた僕こそが──


「悪党は、ここに滅ぶんだ」


 僕の願い。

 僕の未練。

 それは、いくつかあった。

 でも、一番大きなものは、歴史に名を遺す死に方をしたかったということ。

 姫様は僕に名前をくれた。

 姫様は僕に功績を与えてくれた。


 姫様はそして──僕に死に場所を、与えてくれたんだ。


「姫様……一足先に、逝っております」

「そんな……だめなの、こんなの……私は、独りじゃ眠れなくて……おねしょだって、本当はなおっていないのに……もうレヴィだけが……!」


 それでもだ。

 血のつながりはなくとも。

 きっと──


「レヴィィィィ……! 生きるの、生きないと、ビンを割るのッ!」

「まったく……仕方のない姫様だ……では、お話をしましょう……おねしょなんてしないぐらいたのしい、これ以上ない大団円の──」


 そうだ、素敵な寝物語がいい。

 僕はいつだってあなたに、物語を紡ぐと約束したのだから。


「これは、ひとりの優しい女の子が、世界を平和にするまでの──」


 そこまで僕は口にして。

 そして。


『……残機は、ゼロだ。おやすみ、転生者マスター


 アテンダントの、その言葉を契機にして。


 パリンと音を立て、イチゴジャムの瓶は、砕け散った。



「レヴィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!」


 姫様の慟哭。

 それが、僕がこの世界で聞いた、最後の声だった。


 僕のセカンドライフはそして、幕を閉じたのだ──

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