第三話 魔王ソフィア、前線へ行く

「どーしてこうなったあああああああ!!?」


 僕は青空に向かって絶叫する。


「うるさいの、あんまりうるさいと瓶を割るの」

「鬼畜! 赤色セキショクの狂気! 姫様バンザイうわーん!」

「なかなかできたホムンクルスなの、ほめて遣わすの」


 甘かった。

 僕は姫様の行動力を、過小評価していた。


 人類断絶戦線リヒハジャ。

 そこから旅次行軍単位で7日ほど移動した距離に、僕らはいた。

 すなわちそこは、人類と魔族の戦う最前線。

 いままさに、剣聖が猛威をふるう地獄だった。


「どうして、こうなった……」


 力なく、僕は瓶の中でうなだれる。

 恐ろしい、恐ろしい話だ。

 ちょっとそこまで出かけるという、姫様の言葉を信じたのが運の尽き。

 瓶詰めゆえに手だしのできない僕は、あれよあれよという間に運ばれて。

 気が付けばこの戦場、リダニリス平野まで来てしまっていた。

 いや、姫様がデーエルスイワさんに頼んで、国庫を開けさせたときには、不穏なにかを感じ取るべきだったのだけれども……


「たすけて神様」

「魔族に神はいないの」


 一刀のもとに僕の言葉を切り捨て、前を向く姫様。

 いま眼前に広がるのは、まぎれもない戦場だった。

 本来なら、大軍同士がぶつかり合うために適した平野──いや違う、作物を育てるのに適したその場所だったが、いまや災禍によって蝕まれている。

 そこかしこに塹壕が掘られ、魔術師たちが敵陣地へと、炎や雷を雨霰と降らしている。

 ハイドリヒ伯率いるエルフの大隊も、その特徴たる弓の腕前を存分に振るっているが、戦果は逆に揮わない。

 敵はわずかに単騎駆け。

 白馬にまたがった、青い軽装鎧の男一人。

 獅子のようなたてがみに、武人特有の微動だにしない巌のような顔つき。

 目つきだけが、恩讐とも狂気ともいえないものに狂っている。

 その剛腕には、カイトシールドかなにかではないかと錯覚するほど巨大な大剣を握っている。

 大剣──否、巨剣が走るたび、魔術がかき消され、矢が両断され、こちらの陣地まで

 いたるところで絶叫と怒号、断末魔がほとばしり。

 血と糞の臭いが、瓶の壁を貫通してこちらにまで伝わってくる。

 そこは、正真正銘の地獄だった。


「この目で見て、やっと理解できるの。なるほど、あれは破格なの」

「なにをのんきなことを言ってるんですかね、この姫様は……!」


 彼女からわずかふたつ右の部隊が、斬撃で斬り飛ばされる。

 その威力は、彼女の戦略級魔術に匹敵し、地形すらも崩壊させる。

 そばに控えていたノーザンクロス伯が、その鎧の肉体で姫様をかばわなかったら、今頃石礫で重傷を負っていたことだろう。

 少なくとも僕の入った瓶は割れていた。


 姫様は、すでに臨戦状態。フルパッケージだった。

 全身をナイド王族の正装で包み、その上に儀礼用の鎧と、マントをまとっている。

 鎧とマントには、至る所に宝珠が縫い付けられており、じつに美しかった。

 だが、それで防御力が上がるわけでもない。

 僕は、こんなところでは死にたくないので、即時撤退を進言した。

 だっていま、彼女の周囲には騎士レニスの部隊すらないのだから!


「この戦いは無意味です! いたずらに戦力を消耗している! それ以上に、姫様と(僕の)身が危ない!」


 なにせこっちは、瓶が割れたらそこでアウトだ。

 岩石の破片ひとつが隕石レベルなのだ。

 なにがなんでも逃げ出したい。

 しかし、そんな僕の思いとは裏腹に、彼女はノーザンクロス伯にこう命じる。


「全軍を後退。かわりに私が前に出るの」

「バカなのかなー! この姫様は頭がおかしいのかなぁ……!?」

「なう……なにをいまさら。姫様は前から……だいぶ狂気じみていただろー?」


 撤退してきたハイドリヒ伯が、すれ違いざまにそう言って、おかしそうに笑う。


「これから起きることを見れば、全軍がそれを理解するであろう。刮目せよ! ということであるな」


 ノーザンクロス伯も、小脇に抱えた頭部だけをカラカラと揺らす。


 そして、本当にすべての部隊が。

 ソフィア王女という指導者をひとり残して、その背後へと撤退してしまう。

 僕は緊張でせき込んだ。

 のどがカラカラで、いまにも反吐を吐きそうだった。


「前にも言ったの。ホムンクルスはご飯を食べないの。だから吐いたりしないの」

「そう、ですけど……ッ」


 息をのむ。

 遥か前方にいた剣聖が、大きく動いた。

 その巨人が振るうような剣を、最上段に構える。

 大気が、鳴動する。

 膨大な魔力……いや、世界そのものが、その刃へと集まっていくのが、僕にはわかった。


『束ねるは星の息吹そのものだ。なるほど剣聖。これは尋常な威力じゃないよ、マスター』


 そう警告するのなら、防ぐ手段も教えてほしい。


『それはもちろん、有料なのだけど』


 僕は。

 僕は──


「姫様──正気ですか?」

「……姉上たちほどには、なの」


 その言葉で、腹をくくる。

 次の瞬間、振り下ろされる巨大な剣!

 放たれるすさまじい斬光!


 それを、姫様は──


「極北の氷河よりも永久に閉ざされた、冥府よりも安寧に満ちる暗闇の、停止した時の誘いを、深き重き守護の盾として、私はここに掲げるものなり──戦略級攻性防御結界グラディ・マモ──!!」


 彼女の全身から尋常ではない魔力が立ち上る。

 普段のそれではない。

 何倍、何百倍もの出力の、それは防御魔術。

 僕らの前面に、黒と白が混じる巨大な防壁が現れて──そして、斬光と衝突した。


「くっ──」


 姫様がうめく。

 その全身を彩る宝珠が、目まぐるしく発光。魔力を増幅しているのだと、僕はいまさらになって気が付く。

 バギリ。

 そんな音を立て、宝珠にひびが生じる。

 結界がたわむ。

 ダメか……これまでなのか……!

 諦観が僕を支配したとき、姫様が前方に突き出していた両手を、大きく横へと薙ぎ払った。


重呪毒刃ゲゼベイン!」


 それは二重詠唱!

 魔術を極め終えた姫様だけの奥義!


 瞬間、斬撃を受け止めていた攻勢結界の一部が変化。

 白き盾を残し、漆黒の部分が毒霧となって剣聖に襲い掛かる。

 剣聖は、一瞬眉根をひそめ、大きく飛びのいた。

 刹那、地形を変えるほどの莫大なエネルギーが激突し、爆発し、姫様と僕は──


「──人類の剣聖、恐れるに足らず、なの!」


 傷ひとつ負っていない姫様が、マントをばさりと広げながら檄を飛ばす。


「その一撃、確かに見事! しかし、このとおり! か弱い娘一つ、吹き飛ばすことすら叶わない脆弱さなの! 総軍、ナイドの英雄諸君! いまこそ反撃のとき、なの!」


「「「「応ぉおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」


 たちまち上がる鬨の声。

 この瞬間を待っていたと言わんばかりに、ノーザンクロス伯が命令を飛ばす。


「全軍突撃! いまいちど剣聖を、この戦場から追い払うのである!」


 突撃していく無数の魔族。

 姫様だけを残して、全員が剣聖へと躍りかかる。


 剣聖は。

 意外なほど簡単に、その場を退いた。

 戦うべき時を弁えた、クレヴァーな戦士だと肌で理解した。


「姫様」


 僕は、彼女を呼ぶ。

 ソフィア王女は、厳しい声で答えた。


「はっきり言っておくの、レヴィ」


 姫様は、隠蔽魔術で隠していた自らの真実の姿を露出しながら、つぶやいた。


「あれは、正攻法で勝てる相手じゃないの……」


 その白い肌は脂汗にまみれ、全身の宝珠は砕け散り、切り傷だらけになった姫様は、そのまま倒れ伏す。


「姫様ぁ!」

「急ぎますよ、アトラさん!」


 血相を変えたアトラナートさんとデーエルスイワさんが、こちらへと駆け寄ってくるのが、僕には見えた。


「ただ、別の光明が見えたの。剣聖は確かに魔術を使わないし、魔術を軽減するすべを持っているの……でも、魔術が生成したものなら、意味を成すの。現にあの剣戟は、魔力を質量に変換し、それを放出することで膨大な推進力を──」

「姫様! どうかお静かに!」

「……絡め手しかないのです。なにか、策を──」


 そこまで言って、姫様は。

 我らが魔王ソフィアは、意識を失ったのだった。

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