第二話 決着と不穏
「総軍──反転」
姫様が命じた言葉は、たった一言だった。
その一言であっけなく、この内乱は終わりを告げた。
§§
250000の兵士と、60000の兵士の決戦。
数的有利は、東ナイドにこそあった。
加えていえば、こちらの陣営は部隊を分けていた。
陸地から攻める150000の兵士を20000の兵士で。
河を渡る100000の兵士を、15000の軍勢で受け止めなければならなかったのだ。
「高度な柔軟性を保って、臨機応変に受け止めるの」
だから、姫様は一計を案じた。
彼女は事前に、陸地を進む東ナイドの兵士、それを迎撃する部隊を、三日月形に展開した。
中央を凸状にし、両脇にオークの重装歩兵を配置したのだ。
また、残る15000の兵士には、とくに連度の高いものを用いた。
これに対し、東ナイドはチフテレス大河を強行的に渡河。
一気呵成に襲い掛かる。
それはあまりに地獄的であった。
15000名の兵士は、あっという間に押し返され、敵が背水の陣を引いているという利点を活かせぬまま、散り散りになった。
大河を横断した東ナイドの兵と、陸地を踏破した軍勢は合流。
大軍勢となって、20000の兵士を圧倒する。
すでに度重なる防衛線で疲弊していた戦線は、押し返され後退。
三日月は反転し、弓状になってしまう。
「いまなの。待機兵員の投入を許可するの!」
そこで、姫様は重装歩兵を動かした。
陣形が破られないようギリギリのところで、両翼から東ナイドの軍勢に果敢な攻撃を仕掛けたのだ。
離散していた15000の兵士も、防衛に回り──
「総軍──反転」
そしてこの瞬間、挟撃が成功する。
西ナイド王国領を素通りした我が国の本隊15000は、即時反転した防衛部隊とともに、ナーヤ第一王女率いる騎士団を、挟撃してみせたのである。
古代ローマにおける、カンナエの戦い。
前世における紀元前216年の出来事だが、戦術と呼ばれるものの、基礎の基礎となった戦いだ。
この戦において、ローマ軍を指揮するハンニバルは、重装歩兵をもって敵を釘づけにして、騎兵を右翼より回り込ませることで挟撃を行った。
姫様はその戦いを、拡大解釈したに過ぎない。
西ナイド横断を慣行した部隊を、騎兵に見立てただけだ。
だが、その効果は絶大だった。
東ナイドの軍勢は、そもそも戦術というものを持たなかったからだ。
「逃げるものを追う必要はないの。彼らもまた、ナイドの臣民なのです。だから──」
命を棄てて、玉砕覚悟で攻めたてる赤竜騎士団たちの粘りは、確かに驚異的ではあった。
しかし、すでに想定されていた白兵戦闘など、彼らには望めず。
合流したこちらの本隊。
その魔術部隊による斉射により、ひとり、またひとりと倒れていった。
今度は東ナイドの軍隊が、散り散りとなり。
残ったのは、ナーヤ王女の近衛のみ。
この時にはすでに、ユンク侯爵はこちらの手のうちにあった。
完全に孤立した第一王女の部隊は捕らえられ、そのまま王都へと護送された。
聞けば、ナーヤ王女は最後まで抵抗をやめなかったという。
姫様の前に引きずり出されたとき、その豚のような体躯は、無数の傷にまみれ、まるでコロッセオの熟練の闘士のようなありさまだった。
深紅の戦装束は、それに拍車をかけていた。
──いや、生き汚さでいえば、圧倒的に彼女のほうに、軍配は上がったのだが。
『すさまじい目つきでこちらをにらんでくるね。赤い猛獣のようだ』
アテンダントはそう形容したが、豚も元をたどれば猪である。豚が人を食ったという話も聞く。
その勇猛さは、恐れるべきものだろう。
だが、この女性は違う。
勇猛などではない。
「ナーヤ姉上」
「私の名を、汚らわしい口で呼ぶな、呪われた血めッ」
「……どうして、このようなことをされたのです? なぜ、平和に暮らせなかったのです? あのままなら、きっと父上の跡を継ぐのは、姉上だったはずなの」
「どの口がほざくか……」
第一王女は、憎悪を口元に刻み、醜く嗤った。
「父上に呪いをかけたのは、貴様だろうがフィロ・ソフィア!」
「なに、を──なにをいっているの……姉上……?」
愕然とする姫様に、第一王女は追い打ちをかける。
「ギーアニアから聞き及んだ。貴様は悪逆にも、これまで育てて下さった父上を逆恨みし、人間であった傍若無人なる母親の意志を継いで、この国を乗っ取らんと欲したのであろう! だから私が動いたのだ! このまま座して、人類が襲い来るまで待つなど生ぬるい! そうだ、そうだ! こちらから打って出るのだ! 総軍で! 強烈な一撃を見舞うのだ! そして、そして世界に、ナイドの覇を唱えて……!」
言葉を失う姫様は、首を何度も横に振る。
正気である彼女にとって、ナーヤ王女の振る舞いは、ひとつだって理解できなかっただろう。
彼女の焦りも。
その憎悪も。
狂奔さえも。
そのあとも、第一王女は吠え続けた。怨嗟を吐き続け、姫様を罵倒し続けた。
姫様は黙って、それを聞いていた。
数日後、ユンク侯爵は爵位を剥奪。領土を接収され、一族郎党に至るまで、死の侯爵ブギーマンの手によって、葬られた。
事実上の処刑──この国の長い歴史のなかでも珍しい、見せしめのための処刑であった。
同日、西ナイド王国との講和が成立。
ギーアニア王女が、この国へと凱旋──まさに凱旋する。
フロイド侯爵は爵位の剥奪こそ、まのがれたものの、領地の何割かをナイド王国……その王位継承権第二位であるギーアニア王女に徴収されることになった。
ここに、内乱は集結する。
その月日の中、姫様はただ黙し、黄昏のように赤い瞳で、じっとなにかを考えこんでいた。
そしてひと月が経過して。
「アルヴァ王が──崩御なされました」
アーロン先生の口から、その訃報が語られた。
姫様は泣き叫ぶことなく、毅然と立って、彼の隣にあった。
その小さな手は、血が出るほどに強く、握りしめられていたが……
そうしてナイド王国は、喪に服すことになる。
魔族たちの国に、厳しい冬がやってくる。
「では、内乱の首謀者たるナーヤ・ムノは磔刑に処し──同時にわたくしが、王位を継承することにいたしますわね。異論なきときは、無言をもってお答えくださいかもかも!」
その日、内乱の真の主犯──ギーアニア・エス・フォン・ナイド=ネイドは。
姫様を城の奥深くに幽閉し、誰にも有無を言わせず、そう宣言したのだった。
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