11【暗】王女の消失
第47話
プランタンは冷たいドリンクが飲みたかった。
帰宅途中にコンビニエンス・ストアに立ち寄ったのは、そんな理由からだ。そして警護のオールシー・ブライムを公用車に置き去りにしたのは、ひとりになって考えてみたいことがあったためである。
伯爵のプレゼント『月雨物語』には、かなり分厚い封筒が挟まれていた。封を破り、なかの便箋を確認した王女は仰天。グノス・ラチエンスキーと大手エネルギー会社ネコガスとのつながりが詳細に記述されていたのだ。王室が率先している空間エネルギーの導入を目前に、従来の基幹エネルギー企業であるネコガスは、危機感をつのらせている。なんとかして王室の権威を失墜させ、新エネルギーの導入を阻止したい。
空間エネルギーを発明、開発したのはデンメルク王国王子である。王子と、王女プランタンの個人的なつながりが、このプロジェクトの大きな基盤になっているとみなしたネコガスは、退屈王国における王女の権威の失墜、信頼の喪失をもくろんだ。ふたつの国の関係がぎくしゃくしたら、空間エネルギーのいかがわしさ、魔法じみた空想性についてマスコミを使って大宣伝するつもりだったらしい。
便箋以外にも、公爵とネコガス担当者のメールの内容がA4用紙にコピーされ、同封されていた。ハッキングされたものか、スパイによって盗まれたものかはわからない。しかし、やり取りは詳細で、情報には真実味がある。公爵には裏社会とのツテがあり、スペースモンキーズ、人身売買・強制売春組織とゆるやかな関係を築いていたのだ。また、元老院議員という職権を利用し、製薬会社、大学の研究室にも顔を広げていた。
(つまり、一連の事件の黒幕こそが、ラチエンスキーだったという……)
そう考え、この封書は公聴会の「前」に、確認しておくべきものだった、とおそまきながら王女は気づいた。
(まったく。そうならそうと、あんなふうにもったい振らないで! 本に挟んで渡さず、はっきり封筒の内容を説明してから手渡してほしかった。公聴会で、しなくてもいい気苦労をしてしまったわ……あれでいったい何歳、寿命が縮んだことか……)
思い出すと、背中に汗がにじむような気がする。
コンビニのカウンターには、学生のアルバイトがヒマそうに立っていた。昼休みの混雑がひと段落し、商品搬入、陳列などまで、少し時間があるのだろう。雑誌コーナーでOLらしき女性が立ち読みしている。菓子コーナーでは、男子高校生がスナック菓子を物色していた。
王女はすたすたと、ペットボトルの冷蔵セクションにむかう。
「あ。これこれ。抹茶ハニー!」
手を伸ばしたボトルには、商品名ロゴ、黄色と黒のミニワンピース姿で背中からリボンのような羽を生やしたキャラクター「ハニージョイ」がプリントされている。
(わたし、毎日、これ飲んでいるんじゃないかしら。流行りものに弱いのよねー。形から入るタイプというか。そうそう。この商品の宣伝は、例のシャドウズがやっていたはず。彼女らが殺人事件の実行犯だと確信しているけど、これはいい仕事だわ。たしかメンバーのひとりがこの「ハニージョイ」をデザインしたという話だったわね。どこまで本当かわからないけど)
商品を手に、カウンターにむかおうと振り返る。
(ん?)
違和感があった。
(あら。この感覚は前にどこかで……)
その違和感は、気にならないといえば、気にならない。無視できるていどのものだ。コンビニの空間構造などだいたい同じ。入店した瞬間に王女は店の間取り、陳列棚の配列、商品の種類と位置を把握していた。だから迷うことなく、カウンターにたどりつくことができたろう。店内を記憶で動くことができた。
(……そう、記憶で……この店のなかを回遊できる……)
あっと声が出そうになる。
(ということは、見えていないのかしら! そうか、この視界はラファロ教授の事件現場で体験したもの。わたしの両目、マイクロサッカード現象がブロックされているんだわ)
「タケノコ」――「ポストイット」が近くにあるのだ。博士が偶然、開発してしまった化合物が店内に充満しているにちがいない。見えている、と思っている周辺視界はフィリングイン現象によるニセの視界だ。実際には、視野が異常に狭まっており、ピンホールから世界を覗いているのだろう。しかも、自覚しないとそのことに気づかない。厄介である。効果は強力で、ちょっとやそっと首を振ったぐらいでは正常な視界が回復しない。
店内にいるすべてのひとが、いま、同じ状況におちいっている。
プランタンはすばやく考えた。なぜ、こんなことが起こっているのかと。
(きっとまた、店員がモンキーズの一員なのよ。この店で誰かを誘拐するつもりなのね)
カウンターに目をやる。なんとか、店員をとらえた。ぼけっと天井を見あげている。
(あの店員さえ、見張っていればだいじょうぶ。でも、被害者はいったい、誰なのかしら? とりあえず、視界を回復させましょう)
公共の場で首を左右にぶんぶん振るのは、できたら避けたい。だが緊急事態なので、体裁はどうでもいい。王女は首の筋肉に力を入れた。
そのときである。
プランタンには見えなかったのだが、何者かの右手が顔の前に伸びてきた。そして、薬品を染みこませたガーゼを鼻と口に押し当てたのだ。まことに畏れ多いことである。
(あれ。なんだか急に息が……苦しくなったけど……あら……あらら……)
意識を失った。
化合物を吸引しないよう大きなマスクで顔を覆ったラチエンスキーは、周囲を確認した。どうやら誰も気づいていないらしい。気絶した王女を片手で支え、公用車のようすを窓ごしにちらりと見る。運転席の少年はコミュニケーターの画面に、熱心に見入っていた。
(おおかた、ゲームでもやっているんだろう)
公爵はそう解釈し、コピー機の上にのせた「タケノコ」のスイッチを切り、ポケットに回収。さりげないようすでドアを開け、堂々と駐車場を横切る。横抱きにしたプランタンを介抱するようなそぶりを演じた。
公用車の前を通るときはさすがに緊張した。しかし、少年はまったく顔をあげない。視線を走らせ、周辺を確認する警護の基本を完全に怠っている。公爵は、ほくそえんだ。
駐車したスポーツセダンの助手席ドアを開け、王女を収納する。目を閉じ、ぐったりしたプランタンは人形のように、されるがままだ。車体後部から回りこみ、運転席のドアを開け、慎重に乗りこんだ。
エンジンをスタートさせ、車をゆっくり切り返し、駐車場から幹線道路にすべり出す。
(おそらく、一部始終は監視カメラが写している。おれがこれから運転する先も、道路の要所に設置されたカメラを追跡すれば、明らかになるだろう。いそがねば。いつまでたってもなかなか王女が店から戻ってこないことに、あのマヌケな少年が気づくまで、なるべく逃走距離を稼ぐのだ)
助手席ですやすや昼寝しているプランタンに、ちらりと目をやる。
「公聴会では、してやられましたよ、ユアハイネス。作家の懇親会にいたのは、影武者ですね。なるほどたしかに、アイドルに『シャドウ』が用意される数百年、数千年前から、王族や将軍には影武者がいたんでしたな。そちらが本家本元だ」
公爵は楽しそうに笑う。
「ですがこれからは、飲まされた煮え湯をお返ししますよ。うっふっふっふ」
スポーツセダンは高速道路にのり、ヒネモス郊外の国際空港へむかっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます