第13話

 『風王子物語』が書かれてから、およそ二〇〇年後、王国では軍事クーデターが勃発した。腐敗した貴族政権は私利私欲と自己の勢力の拡張のみをめざし、本来のまつりごとがおろそかになっていたのだ。民は飢え、田畑は荒れ、貧富の差は拡大し、夜盗が横行し、社会不安は増大した。またサイクロン、地震、豪雨による土砂崩れや洪水、大火といった災害が頻発し、治安維持や救援活動で活躍したのが、軍人たちだった。一般の支持を集めるのは平時の官僚的な権力でなく、非常時に迅速に対応できる武力になった。信頼できる強者とは武器をもち、臨機応変に事態に対処し、ひとびとの不安や動揺を抑えられる者だったからである。

 王国軍事組織の最高司令官である退屈将軍は、「軍府」と呼ばれる軍事組織を統括する権限を有していた。当時の退屈将軍オルギーヌ二世は、その軍府を政治官僚組織に転用する。貴族に代わり軍人、武人が支配する時代が幕開いたのである。

 ほろびゆく貴族の時代には、「星の詩人」と呼ばれた女流詩人がいた。最後の貴族政権残照時代、彼女はウエストラ家の貴公子と恋愛関係だったが、恋人がオルギーヌ二世との政争、内紛に敗れ、命を落としてしまう。


 いつも月ばかり見てもの思いにふけっていましたが、今夜こそ星の美しさに気づきました。


 「星」の美しさを歌う彼女の短詩は、退屈王国文学史のなかでも異色である。だがこの詩は、王国のひとびとにとって月がどれほど注目されているかを、逆説的に物語っているのだ。

 同じころ、「月の詩人」と呼ばれた流浪の宗教者もあらわれた。

 戦乱や自然災害で破壊された宗教建築物の再興のため、彼は寄付をもとめて王国を旅した。


 ふとしたときに月の澄んでいる空に憧れてしまうこころの果てを知りたいものだ。


 もし願いがかなうなら花の咲く樹の下で死にたい、春の満月の夜に。


 「月の詩人」の時代以降、王国の抒情詩史、叙景詩史において「月」「花」を題材にすることは一般庶民にも広がった。貴族以外に、下級の武人、商人、農民、工人らも短詩をつくるときは自然と「月」を詠みこむのであった。

 武人たちが築いた新しい政権も、結局、以前の貴族政権と本質において変わることはなかった。それはやはり、満ち欠けをくり返す月でしかない。しかし、彼らはふしぎと月らしくふるまい、みずから太陽に取って代わろうとはしないのである。武人たちの軍府は何度か代替わりしたが、そのたびごとに退屈王朝の権威が利用された。彼らはあくまで将軍であり、そうである以上、任命する立場の上位者=国王を必要としたのである。だから、退屈王朝は政権交代のときにその存在が注目された。

 それはちょうど、日没と日の出のときだけ太陽を見るようなものであった。

 そして、いまから一五〇年ほど前、王政復古の号令が王国全土にとどろく。

 軍府の専制政治に不満をもつ、下級の武人たちがクーデターを実行し、王国は一時的に内乱状態になった。そのとき、下級武人たちは王朝の権威の復活をとなえ、国王を中心とする近代的な中央集権国家を理想としたのである。

 当時、退屈王国は「資源のとぼしい弱小貧窮国」と西欧諸国にみなされていた。大航海時代から、その存在はスペイン、イギリスなどに知られていたが、重要視されていなかったのである。奴隷商人たちは、王国のひとびとのなまけ体質に気づいており、はたして商品価値があるのか、と首をひねった。二〇世紀後半、天然ガスの莫大な地下資源が発見され、退屈王国国民がグータラでのんびり、自堕落な生活を送ることを考え合わせれば、「ひとを見る目」があったというべきだろう。労働力としてはあまり使いものにならないのだ。

 キリスト教も一六世紀に伝播した。一部には熱狂的にマリアさま、キリストさまを信仰するひとびともあらわれた。だが、多くは何度か教会にいき、日曜に早起きすることに抵抗をかんじ、信仰生活に挫折した。ユダヤ・キリスト教的な原罪の考え方も、彼らにとっては「は?」という反応のみ。当初、熱心に布教していたイエズス会の神父たちは、信仰の敵とは悪魔ではないと悟るにいたる。それは、めぐまれた生活である。

 王国は温暖な気候のせいで作物の実りにめぐまれ、過酷な労働がなくてもひとびとは餓えることがなかった。もちろん、突然のスコールや地震、サイクロンといった自然災害はあったが、数年もするとみな、「あれ? そんなことあったっけ?」と忘れてしまうのである。

 ともかく、一九世紀のなかば、下級武人たちは西欧型の立憲君主国家をめざし、クーデターを実行し、軍府を打ち倒した。新政府は議会を開催し、大退屈憲法を発布した。

 この内乱時の混乱した史実に虚構をくわえ、覆面の馬上の騎士が王政復古を支援するために活躍する物語、『黒衣くろこ天使てんし』が書かれることになる。

 謎の騎士――黒衣天使は腰にサーベルを差し、背中にマスケット銃を背負い、マントをたなびかせ、白馬に乗って登場する。弱きを助け、強きをくじく。自分を慕う、曲馬団の軽業少年に「王国の夜明けは近いぞ」と決め台詞をいうのである。

 この物語はその後、映画化され、ラジオドラマになり、マンガになり、テレビドラマも制作された。二一世紀になっても、思い出したように映画が作られる。

 さて、形式のみ近代的な立憲君主国家をめざしたものの、王国の歴史に通底するのは原始的な自然崇拝信仰だ。古代から現在まで、太陽や月を相変わらず無意識に信仰しつづけているのである。

 二〇世紀後半、英国の調査のおかげで大量の天然ガスが埋蔵していると判明してから、貴族たちは互いに出資し合い、ガス会社をいくつか起業した。ちょうど第四次中東戦争の時期であり、原油や天然ガスの価格は急騰し、国際的なエネルギー危機が訪れたのだ。退屈王国の液化ガスを満載したタンカーは世界中で歓迎された。経済が好調になり、国力が充実する。高度経済成長が訪れ、近代的なインフラがつぎつぎと建造された。そのころ、子どもたちが熱狂したテレビの特撮ヒーロー番組は『月光ライダー』だ。

 バイク好きの好青年がサイボーグにされ、正義と復讐のために、世界征服を企む謎の秘密組織と戦う。アメリカのアポロ計画の成功をあざとく取りこんだ必殺技の「ムーンキック」は、破壊力ばつぐんの蹴りワザだった。地球の地面を瞬間的に月の引力なみに低くすることで可能になる大跳躍と急降下。敵の組織の怪人サイボーグは「ムーンキック」で蹴り殺され、男の子たちはさかんにマネをする。三〇センチくらいしかジャンプできなかったが。

 また、プランタンの祖父が結婚したとき、新皇太子妃のブームが起こった。清楚で知的な皇太子妃には国民の関心が高く、ご成婚が祝福されたのである。このころ、『太陽の時代』という小説を現役の大学生が書き、ベストセラーに。年若い作家の髪形や服装は当時の流行となり、若者たちはおおいにマネをする。彼らは「太陽党」と呼ばれた。

 やがて二〇世紀末には王国は未曾有の好景気を迎える。香港、台湾、大韓民国、シンガポールが急速に工業成長をはじめ、エネルギー資源を海外に求めた。しかし、折しも湾岸戦争が勃発し、中東からの石油や天然ガスの供給がストップし、価格が高騰。大西洋の退屈王国の液化ガスのタンカーは世界のあちこちで、またしても歓迎された。

 最初、マンガで描かれていた『美少女戦士セーラー・ルナ』はアニメ化され、当時、絶大な人気を誇った。『月姫物語』と同じように、月世界の王女であったルナはセーラー戦士となり、世界征服を企む(略)。変身用バトンが玩具メーカーから販売され、女の子たちはさかんに変身ポーズをマネする。二一世紀になっても、アニメのテーマソング「月光伝説」はカラオケで人気の楽曲だ。

 そんなわけで、退屈王国では「太陽は赤く、月は黄色い」のである。



 以上が、グレイ・ワルコフ教授の『退屈王国の太陽と月』の概要だ。天然ガス企業の株を保有しているのは、ほとんどが有力貴族。王国の基幹産業であるエネルギー輸出が好調のときは、貴族たちの勢力が拡張し、ひとびとは黄金の「月」にまつわる物語を享受する。

 ところが、現国王サマーアイルズ二世はエネルギー革命を起こそうとしていた。ニューヨーク株式市場でのサボール急騰は、天然ガス業界には猛烈な逆風である。空間エネルギーは太陽をふたたび黄金色に輝かせることになるのだろうか……。

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