第33話
犯行現場の手前、一〇〇メートルほどでリムジンを止め、駐車した。制服警官をひとり呼んでもらい、車のそばに駐在するよう要請する。
中年の警官が到着する。ドアを開けるのももどかしく、オールシーは外に飛び出した。あわてて現場のマンションにむかう。
「ちょっと待ってよ、オールシー。わたくしの警護はどうなっているの? 職場放棄よ。そんなに急がなくても、犯行現場は逃げないわ」
「雨が降ったら証拠が消えます!」
「だいじょうぶ。スメル警部はしっかり者よ。ちゃんと工夫して保存してくれているはずだわ」
「どうしても、自分の目で見て確認したいんです」
あきれたように溜め息をつき、王女は自分の警護のあとを追いかけた。
(今度こそ、密室殺人の謎をあばいてやる! 犯人が残した証拠をしっかり確認し、合理的で説得力ばっちりの推理を披露し、王女さまの鼻を明かしてやるのだ。ふっふっふ)
根にもつ男である。
さて、本日のオールシー・ブライムのいでたちは、ヒューゴボスのスーツ、ドレイクスのレジメンタルタイ、光沢のあるチョコレート色のコールハーンの革靴。一方の王女は、きれいな脚の線の出るスキニーなブラックデニムに、活動的なブラックコンバースのスニーカー。上半身はふっくらした大きめの白いトレーナーを着て、その上にシルバーのクールテックを着用していた。替えのクールテックはピンクのリュックに詰めて背中に背負い、ベロア素材の黒いキャップをかぶっている。正面に「CAP」とロゴが入り、自分がキャップであることを自己主張していた。
マンションのエントランスではスメル警部が仏頂面で出迎え、ふたりをエレベータホールに案内する。
「現場は五〇三号室。五階です」
箱に入りながら警部が告げる。
「被害者は男性ですか、それとも女性?」
とプランタン。
「中年男性です。自宅を事務所にして商売をしていたようです」
「どんな業種ですか?」
とオールシー。
「人身売買と強制売春」
その関与の情報にすでに接していたが、少年SSと王女は絶句した。
五階に到着した箱から出て、警部の先導で五〇三号室にむかう。扉の前で制服警官が立哨しており、場所はすぐに見当がついた。
「ここが玄関の扉です。われわれが最初に到着した時は施錠されていました。マンションの管理人に頼み、マスターキーで開けてもらったのです」
「通報者は誰ですか?」
と王女。
「誰でもありません。午前中に、八月五日の専門学校生誘拐事件の容疑者であるモンキーズメンバーが逮捕されました。彼が所持していたメモの住所がここなのです。おそらくここ二ヶ月の隠れ家だったのだろうと当たりをつけ、われわれはガサ入れをおこないました。つまり、第一発見者はわたしと、部下の刑事になります」
デキシトン・トットルマイヤーが被害に遭った事件である。ふたりともニュース報道でおぼえていた。
「容疑者の元店員は自供しましたか?」
とオールシー。
「いまは黙秘していますよ。こちらへどうぞ」
三人は玄関から短い廊下をすすみ、居間に抜けた。鑑識作業員が指紋を採取したり、写真を撮影したり、カーペットの微物をクリーナーで吸収していたりする。
「死体自体はそんなに問題ではないのです。シニザ教授と同じように首を刺され、クールテックをかぶせられています」
王女は警部の肩ごしに、横たわっている被害者をちらりと目視した。身体の下に赤黒い血液の沁みが広がっている。空気に触れた血液はみるみる凝固していくものだ。
「居間には南むきのベランダがあり、出入りする窓には内側から半月錠がかかっていました。犯人はここから逃げたわけじゃない。……問題なのは、この西側の部屋です。こちらへ」
間取りは2LDKで、南側の居間とつながった西側の部屋がふたつある。キッチンは水はねや油汚れがなく、清潔だ。生ゴミもちゃんと処理されていた。食器もすべて戸棚のなかである。ダイニングには大きなテーブルがあり、ブルーのテーブルクロスが掛けられていた。ここで書き物をすることがあるのか、ノートとペンが身を寄せ合って置かれている。そのすぐそばに、例のあの「タケノコ」が置かれていた。スイッチは切られている。
居間のカーペットは藤色で沁みや汚れがなく、掃除がいきとどいていた(死体があるところ以外だが)。大きなソファにはふんわりしたクッションがよっつ。表紙の折れたスポーツ雑誌がその下敷きになっている。壁にはドリッピングアートの絵画が二枚。白いラックには新聞や雑誌が詰めこまれていた。南むきのベランダの窓は大きく、外の景色が視界に入る。大通りに面しており、プラタナスの街路樹と通りを挟んだむこうの建物が見えた。
その西側の奥の部屋は書斎である。本棚やPCが見える。棚に収納されているのは資料やファイルがほとんどだ。ハードディスクの内容を確認するため、捜査官がパスワードをいろいろ試していた。
西側の手前の部屋は寝室だ。ベッドの寝具は乱れており、ベッドメイクなどには関心がなさそうである。つまり、この寝具の扱い方、あるいは居間のクッションの下敷きの雑誌こそが、部屋の住人の本性なのだ。清掃や整頓がいきとどいているのは、家事代行業者のおかげであろう。
その寝室の窓が、一〇センチほど空いているという。三人は鑑識作業員のあいだを縫い、問題の窓に近づいた。
「あれが犯人の残したものですか?」
オールシーが声をあげる。
「ええ。おそらく。成分を一部、採取して、科学捜査研究所に送っています」
腰高のサッシ窓の下部に、長径六、七センチほどの丸く白い汚れが残っている。乳白色の異物が窓ガラスの外側に付着しているのだ。
プランタンもオールシーも、中腰の姿勢で近づく。ふたりとも、鼻の頭をガラスに擦りつけるほど接近する。
「この白い丸印の周辺だけ、窓の外側がきれいに拭浄されている。他の箇所は土ぼこりでうっすら、くもっているわ」
「ほとんど正確な円形ですね。どうやったら、こんなふうに塗りつけられるんだろう」
プランタンは振りむき、警部に確認する。
「犯人が脱出するとしたら、鍵がかかっていないのはここだけですか?」
スメル警部はにがにがしい表情である。
「はい。しかし、窓の外をご覧ください。地面まで一五メートルはありますよ。この建物は一四階建てだ。この窓から外に出て、屋上の方へ脱出するという手段も非現実的です。そもそも、窓枠には金具のフックを引っかけたような痕跡がまったくないんですから」
いわれてふたりは、窓枠周辺に視線を走らせる。なるほど、窓の下枠にフックをかけ、ロープで地上に降りればよいわけだ。しかしその場合、犯人の体重によって金具のフックはアルミの窓枠を圧迫し、へこみや傷を残すはずである。無事、地上に到達した犯人はフックをはずすため、いきおいをつけて下から引っぱるため、下の窓枠だけでなく、周辺の窓枠にも傷がついている可能性もある。
だが観察するかぎり、傷もへこみもない。目で見ても汚れはなく、クリーンである。
「屋上にも、ひとをやって確認させました。手すりにはフックを引っかけたような痕跡はなく、土ぼこりがうっすら積もっていたそうです。もちろん、誰かの足跡が屋上フロアに残っていることもない」
(それにしても、この円形状の白い物質はなんだろう?)
オールシーは自問する。
(液体なら、もっと下に垂れ跡がつくはずだ。しかし、そんな状態ではない。これは……コロイドというやつだろうか? ゾルとかゲルとか? 何に似ているかといえば……しいていえば……)
生クリームだった。ヨーグルトより固い印象だ。
(犯人はここでケーキを食べたのか……?)
首をひねる少年SSである。
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