5【暗】お金のにおい、わたし大好き
第29話
わたしの容疑は刺殺殺人
ばあさんじいさんに遺言書かせ
介護の振りしてナイフでぐさり
死んだら遺産をがっぽり独占
実の子どもにアッカンベー
殺した老人片手にあまる
連続毒針スズメ蜂
でもそんなのうそっぱち
取調室で刑事は叫ぶ
「おまえが犯人だろー」(×3)
真犯人は神さまだけが知っている
お願いどうか 助けてちょうだい(×2)
(Enzai‐girls「再審請求」)
ミコは「週刊愚鈍」を読み終え、テーブルの上に置いた。シャワーを浴びた直後で、麦藁色の長髪はしっとりと水気を含んでいる。珈琲のマグカップを手にして、ブラックのまま口をつける。記事は、グノス・ラチエンスキーの息のかかった記者が書いたものだ。
―――
王女プランタン捜査妨害!? プリンセスは無能!? 現場は大混乱
わが退屈王国の崇敬措くあたわざる王女、プランタン様は今まで難事件、怪事件で警察の捜査に介入し、適切な助言、支援の結果、それらを解決に導いたことがあった。「世界の姫君暗殺計画事件」「退屈城〈衣裳戸棚〉密室殺人事件」など、そのご活躍の詳細は公式発表されたさまざまな出版物でご存じのみなさんも多いだろう。だがここに来て、プランタン様の明敏な頭脳「黄金の脳細胞」に疑惑が湧き起こっているのだ。
九月二日にヒネモス郊外で発生した安閑大学の生物学研究者、ジェローム・シニザ教授の殺害事件の捜査が迷走している。その理由が、警察に余計な介入をなさったプランタン様のせいだという、もっぱらの噂である。捜査担当のひとりである警察関係者A氏は、われわれ取材班にこっそり耳打ちした。
「王女さまのご助言は常軌を逸していました。犯人は犯行現場の書斎の壁を歩いて天井に達し、そのまま倒立して天井を歩行し、天窓から外に脱出したというのですからね。勘弁してください」
A氏によれば、現場は密室であり、玄関や窓、廊下への扉は閉ざされ、内側から鍵が掛かっていた。問題の天窓も例外ではない。また、脚立をもちこんだり、家具を動かしたりした証跡もない。たとえプランタン様のご指摘通り犯人が壁や天井をすたすた歩いたとしても(まったく問題外だが)、脱出後に外側から天窓を施錠する手段がないという。
「現場は混乱し、指揮系統は乱れ、捜査の士気も沈滞しています。王女様らしくお城で伝統工芸の陶芸にはげむか、外国の大使にお世辞をいって国益を図るか、紛争地の人道支援に精を出してほしいですね。それぞれ専門家は専門の仕事をしましょうよ」
また、別の警察関係者B氏は次のように、こっそり述べる。
「実はここだけの話、現場に例のあの……タケノコのような容器が置かれていたんです。えー、世間ではテレポーテーションを可能にする装置だと噂されているあれです。だからシニザ教授殺害の犯人も、おそらくテレポーテーションで現場から消えたんですよ。非常識きわまりない結論ですが、そうとしか考えようのない現場の状況なんです。われわれはこの装置の出所をこそ、調べるべきなんですが……」
インターネット上の未確認情報によれば、八月以降、王国各地で発生している市民の行方不明事件の現場にもこの「タケノコ」は見つかっているという。だが、警察の公式発表では「タケノコ」の重要性は無視されている。退屈毎日をはじめ大手マスコミは「テレポーテーションを可能にする装置など、いまだ存在が実証されていない」と断じる。そしてテレビ各局は、現場の監視カメラの映像をニュース番組で放映し、行方不明の被害者が現場で職務中の店員や警備員に誘拐されたと報じている。実際にカメラの画像には、薬物を染みこませたガーゼなどで被害者の鼻や口を覆い、意識を失わせ、いずこかにつれ去る制服姿の犯人が映っているのだ(なぜか、周囲はその行為に気づかない)。
しかし、ほとんどがモザイクで覆われたこれらの映像も、「フェイクだ」「官憲は何かを隠している」「『タケノコ』から注意をそらすつもりだ」と疑問視する声がネット上では絶えない。
王室の権威を背景にした王女さまのとんちんかんな介入、不正確な情報を発信し警察の捜査の「正当性」を追認するだけの大手マスコミ。これでは被害者の霊も浮かばれまい。プランタンさまにはまっとうな公務への復帰を願い、捜査関係者には猛省をうながしたい。
―――
椅子に腰かけているミコに、タオル地のガウンの男が背後から声をかける。
「週刊誌の記事、どうだった?」
グノス・ラチエンスキーは濡れた髪から水をしたたらせ、彼女のうしろに近づく。ミコは振り返り、にこりと笑う。
麦藁色の長い髪はしっとりと濡れている。切れ長の瞳、すっきりした頬、鋭角的な顎がクールな美しさを演出していた。伸長は一八〇センチをこえており、アイドルとして異例の背の高さだ。手や足の均整はメンバー中いちばんで、骨格も筋肉もアスリートのものである。そういうスポーティな印象とセクシーさがうまい具合にミックスし、彼女の魅力がかもし出されている。
「計画どおりにすすんでいるわね。この記事を書いた記者はどうなっているの? 王女の批判なんて書いたら会社をクビになるわよ」
「だいじょうぶだ。すでに整形手術を済ませ、国外に逃亡している」
というのは大うそで、記者はすでに殺害され、死体はあとかたもなく処理されていた。
「編集の検閲も入らなかったの? 出版社の検閲担当も買収したわけ?」
「そうだ。彼女もすでに国外に逃しているよ」
これも大うそで、すでに殺害され、死体は(以下略)。
「こんな記事、掲載されたら世間では大騒ぎでしょ」
ミコに対面する椅子に腰をおろし、グノスは顔をしかめた。
「それがそうでもない。ワイドショーも新聞も、この情報を黙殺している。ただし、ネットはそうじゃない」
ミコはうなずく。
「わたしたちの当初の計画でも、ネットを積極的に利用する方針だった。でも、あらためてふしぎね。大手マスコミやテレビ局の報道より、インターネットの真偽不明な情報の方が支持され、流通するなんて」
「それは、そもそも王室のおかげなんだ」
アイドルグループ、シャドウズのメンバーは小首をかしげる。
「どういうこと」
「王室の検閲制度のおかげさ。一般のリアル流通の書籍、雑誌などの刊行物で検閲がおこなわれていることを、王室は隠していない。つまり、国民は大手マスコミの情報が一部隠蔽され、歪曲されていることを知っているんだ。だからみんな、マスコミよりネットを信用する傾向がある。中国が同じような状況だろう。
その結果、実行犯であるモンキーズメンバーの一般市民誘拐シーンの録画映像を、官憲がテレビ局に提供して放映させても、『そんなの嘘だ』『でっちあげだ』『何か隠してる』というネットの虚偽メッセージに国民は反応するんだ。週刊愚鈍の記事がネットで話題になり支持されているのは、記事の内容がネットを追認しているからさ」
「公爵閣下はそこまで考えていたのね……さすが……」
ミコは手を伸ばし、グノスの左手首を握った。そして、驚いたように目をみひらく。
「つめたい!」
「ああ。おれはだいたい、真水でシャワーを浴びるんだ」
彼女は立ちあがり、テーブルを回りこみ、グノスの胸に顔を埋めた。
「つめたい。つめたくてきもちいい。わたし、つめたい男、大好き」
そこはヒネモス某所の高層ホテルのスウィートルーム。ふたりとも有名人なので、巧妙に顔を隠し、別行動をとりながら、この部屋で落ち会ったのである。何箇所かあるふたりの「愛の巣」のひとつだった。
ホテル室内の設定温度は二八度。温暖化対策、省エネ志向の影響による行政の指導どおりなのだが、日常生活を送るにはやや暑い。だから、屋内でもクールテックを着用する習慣が広がりつつあった。
ミコは全身でグノスを抱きしめ、身体に伝わってくる冷感を味わう。冷たい抱き枕のようなのだ。ミコの体熱で自分の身体があたたまっていくのをグノス・ラチエンスキーの方は、がまんしていた。実際には彼が彼女の体熱を奪っているのだが、自分の身体にミコの体温が押しつけられているような気がし、彼にはうっとうしい。しかし女は貪欲で、激しくしがみつき、なかなか解放してくれない。ミコの注意を別の方面にそらす方策を採った。
「そうそう。成功報酬をもってきている」
「え。シニザ殺しの」
ミコは身を起こし、公爵はストーブのような発熱体から救われた。
ベッドの脇に置いたアタッシェケースを、片手を伸ばして引き寄せる。彼はそれを膝の上にのせ、暗証番号のダイヤルを合わせて開いてみせた。
「銀行口座に入金されるより、やっぱり現金よね!」
「金の流れも隠せるしな。ただし、もち運びに警戒が必要だ」
アタッシェケースのなかは、高額紙幣サボールの束でぎっしりだ。ひと束一〇〇枚。それが三列×五列、収まっている。ミコはそこから一枚抜き出し、鼻に近づけた。うっとりするように目を閉じ、胸いっぱい息を吸いこむ。
「んー。いいにおい。『あたし、お札の香りって大好き』バイ・峰不二子」
公爵は手を伸ばし、彼女の麦藁色の髪をなでた。
「いい仕事だったぞ」
「うっふっふ。ナイフが人間の身体に沈んでいく感触って、なんだかぞくぞくするわ」
(この女、生まれながらの殺人嗜好症だな)とラチエンスキーは思う。
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