8【明】奴隷アイドル熱唱

第39話

「王女さま、午後からは楽しみになさっていた大切なお約束がございませんでしたか」

 プランタンの公務のスケジュールを管理する王宮省の、ゾーナ・オレスケが口調をとがらせる。長い金髪を後頭部の下の方でひとつにまとめ、グレーのパンツスーツに、栗色のカッターシューズを履いていた。シルバーフレームの大きめの眼鏡の奥では、切れ長の瞳が困惑に揺らいでいる。二八歳の才媛だ。各種イベント、講演会から自然災害被災地訪問まで、王女の予定をたったひとりで組み立てる。スピーチ原稿も書いている。評判になったスピーチは、だいたい彼女の代作という噂だ。

「例の捜査が大詰めの今日、規定の公務をこなしている余裕はありません。カプセル姫君でも出動させておいて」

 プランタンは興奮している。

 一〇月に入り、王国の気温もゆるやかに下降傾向。すでにクールテックを着こむ必要はないが、日中はまだ汗ばむ陽気である。半袖の袖部分がレースになっている、赤いボーダー柄のプルオーバー、裾に「ねじり」を入れたベージュのクロップドパンツ、ダークレッドのメッシュウエッジサンダルというのが、王女の出で立ち。アンティーク調のシルバーネックレスのトップはロケットになっている。なかには、位置情報を発信する追跡装置が入っていた。

「捜査の大詰め? どういうことでございますか」

「人身売買組織のアジトを捜査本部が把握したそうなの」

「じ……人身売買!?」

 ゾーナは、語尾を跳ねあげる。正面に大きなリボンをあしらった革のバッグを王女はさっと肩にかける。

「じゃ、そういうことで」

 背後で何か叫びつづける優秀な秘書を置き去りに、プランタンは退屈城をあとにした。


 スメル警部が運転する捜査車輌の助手席で、オールシー・ブライムはコミュニケーターの画面をにらみつづけている。ネットに接続し、アイドルグループ「シャドウズ」を画像検索にかけたのだ。メンバーにひとり、赤毛の少女がいる。その子から目が離せない。

 事務所のサイトの公式プロフィールではメンバーの生年月日、出身地、家族構成……などはすべて非公開。ファンサイトを閲覧しても「謎」として語られ、憶測だけが取りとめなく書きこまれていた。

 ハンドルを握る警部はバックミラーを通し、後部座席の王女をちらりと確認した。城の前でプランタンを乗せ、これから強制捜査に同行させる。こんなこと、通常はありえない。

「王女さま、ご決断を改めていただくわけには参りませんか」

 プランタンはのんきに応じた。

「参りません」

「たいへん、危険な捜査ですよ」

 瞳をきらきらさせて答える。

「存じておりますよ」

(……だめだ。なんにもわかっていない)

 あまりの危機感のなさに、「王女が捜査の足手まといになっている」という週刊誌の記事やネット上の噂が実現するのではないか、とスメル警部は不安になる。何かひとこと、援護射撃を期待して助手席を見るが、少年SSは携帯端末を見つめ、じっと考えこんだままだ。

「オールシーは、さっきから何を見ているの?」

 プランタンもとうとう気になり、後部座席から質問する。

「……はい。実は……」

 三年前のサバイバル訓練のとき、赤毛の少女「パパゲーナ」に食糧をめぐんでもらったこと。そのときに映画『007は二度死ぬ』の、ゴムホースを使ったロープ降下方法について、彼女に話した記憶がぼんやりあること。スペースモンキーズが関与する事件に巻きこまれたこと。彼女の父親が「犯罪計画プランナー」として有能だったらしいこと。

 彼は洗いざらい、不安と疑惑を口にした。

「つまり、その父親の血を引いた『パパゲーナ』が、今回の一連の事件の背後で青写真を描いているのではないか、と心配しているのです」

 運転しながらスメル警部も慎重に耳を傾け、発言する。

「……先日、王女さまのご指摘を受け、シャドウズのアリバイを調査しました。九月一日夜と思われるシニザ教授殺害事件、九月二九日夜らしきブラント・ハスラー殺害事件、彼女らはレッスンも公演もなく、その日その時間帯は自由行動だったようです。事務所に確認しただけで、まだ直接、本人に問いただしていませんが」

「で、そのアイドルグループのメンバーに赤毛の小娘がいると。じゃ、オールシーが『見おぼえがある! この子がパパゲーナだ』といってくれたら、即日逮捕なんじゃない?」

「いえ、まず任意で……」

「どうなの、オールシー? やっぱり、その赤毛のバカゲーナが犯人なんでしょ!」

 オールシーは気弱く、首を振る。

「……それが、わからないんです」

「わからない?」

 王女が詰問調で応じ、警部も助手席に視線をちらりと投げかける。

「たしかに……おもかげはあるような……でも、なんだかしっくりこないんです。見れば見るほど……わからなくなります」

 警部がうなずく。

「一〇代の女の子なんて、顔立ちが急におとなびて変わる年ごろですから」

 プランタンが首をかしげる。

「芸能界だもんねー。整形したのかもしれないわ。

 ブラント・ハスラー殺害事件のとき、コンビニでゴムホースを購入した女の子の画像については、どうなの?」

「キャップとマスク、サングラスで顔をすっかり隠していました。クールテックを着こみ、体形もあいまいです。声もわざと変えていたようで、本人特定にはいたりませんでした」

 警部が無念そうにいう。

 これから、人身売買組織のプラットフォームのひとつに急襲をかける予定である。スメル警部以外、四台の警察車輌が目的地にむかっていた。ブラント・ハスラーの強制売春や人身売買の顧客リストの発表はひとまず控え、まずアジトを押さえ、バイヤーを逮捕する方針が捜査会議で決定した。被害者を早急に保護するためだ。ハスラーのPCのデータを解析したところ、暗号化された地名らしきものが発見されたが、その解読に手間がかかったのである。どうやら、ヒネモス近郊のカラオケバーが奴隷マーケットの拠点のひとつになっているらしい、と判明したのが二日前。強制捜査の令状が取れ、班の選抜が終わり、作戦実行が一〇月一五日の今日になったのだ。

 押収したPCのデータから組織図や「商品」のフローチャートを把握しているので、逮捕すべきバイヤーや幹部が誰なのか、探す対象はなんなのか、捜査班は了解していた。どうやらこのマーケットの売上げの一部が、スペースモンキーズの活動資金になっているようなのである。

 強制捜査の車輌はそれぞれ独自のルートをたどり、一九時には目的地のカラオケバーの駐車場(あるいは、その周辺)で合流する予定だった。

 オールシー・ブライムは、車の窓の外を流れる街の風景に視線を流し、ふたたび手元のコミュのディスプレイを見つめる。シャドウズの赤毛のメンバーは「ニコ」という名前らしい。「赤影」はニックネームだろうか。

 写真の彼女は、さまざまな髪形をしていた。笑ったりすねたり、真剣だったり媚びたりしていた。舞台衣装、水着、町着、学生服などの多様な服装。いろいろなネールの手だけの写真もある。木の葉の形の栗色の瞳、スイッチのような小さな鼻、笑顔になるとにょっきり覗く前歯……。ハルニレの木の下に立っていた女の子。

 表情を構成するそれぞれのパーツはたしかに、パパゲーナのもののようだ。しかし、それらが顔という土台の上でどう配列されるかで、印象はまったく異なる。まるで「福笑い」のようである。

(サバイバル訓練のあの体験は、ぼくにとって異質で強烈な記憶だった。その心理的なバイアスが彼女の顔や姿、あのときの光景すべてを特殊で、異常なものに改竄かいざんしているのだろうか。だけど、あのときあれほど感激し、感謝したのに、命の恩人の顔をちゃんと記憶していないとは、いったいどういうことなんだろう?)

 彼は自分自身にあきれ、罪悪感をおぼえ、気がめいった。ヒネモスに戻り、通常の任務に復帰し、日常に忙殺され、記憶がしだいにうすれていったのだ。もともと、異性との交流には淡白で、つねに超然とした態度を崩さないタチである。しかし、「超然」にもほどがある。これでは単に「冷淡」「冷酷」「冷血」なだけではないか。

(三年前にぼくは、訓練が終わったらぜひ恩返しさせてくれ、といったんじゃないか?)

 あたしのウイッシュリストはアマゾン川より長いかも――赤毛の少女の声が鮮明によみがえる。しかし、この「声」もつい最近、三年前のあの日を思い出すまで記憶の奥底に生き埋めにされていたのだ。そうだ、声だ――そう思いついて、シャドウズの音源をネットでダウンロードし、聴いてみた。無料動画サイトでミュージックビデオを何度も再生視聴し、ニコのソロパートを確認した。たしかに、澄んだ高音で耳にここちよい。

 しかし、その「声」が「キョローン、キョコキョコ」と鳥の鳴きまねをしていた少女のものかどうか、確信がないのであった。(おれは最低の男だな)という自分自身への自責が(パパゲーナが一連の事件の黒幕だったらどうしよう)という疑惑や不安、恐怖と混ざり合っている。

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