第40話
「あんまり見つめていると、
ディスプレイを凝視しつづける少年を、後部座席のプランタンがからかう。
「ヴィーナスって……? なんの話ですか」
「ポオの『モルグ街の殺人』からの引用です。あんまりひとつのことに集中していると、見つめつづける対象まで視界から消失するという逆説ね。視覚には『マイクロサッカード現象の抑制』以上の錯視があるかもよ。ポオは比喩として使っているようだけど。
あ、あそこの商業施設が目的地ね」
王女の指摘は正しく、スメル警部は速度を落とした。建物の駐車場にゆっくりと接近する。パーキングエリアは二〇台ほどスペースがあり、そのほとんどがランドクルーザーやSUVで埋っていた。千客万来である。
しかし、肝心のカラオケバーの外見にはまったく活気がない。日没後、一時間以上たっているが、看板の照明は暗いまま、玄関も施錠されているようである。三階建ての建物で、一見、集合住宅のようだった。ただしエントランスの上にはネオン管の看板が飾られ、商業施設であることをアピールしている。窓のない造りで、店内にひとが集まっているのかどうか、外側からでは判断できない。警部が取り寄せた店舗図面によると、二階、三階は吹き抜けになっている。カラオケスタンドで演奏するバンドの楽曲や、熱唱する客の歌声が上階にも聴こえる作りになっているのだった。
路肩に寄せて駐車し、警部は周囲に視線を走らせる。
「どうやら、われわれが先着したようですね。駐車中の車のナンバープレートを撮影しておきます。どうぞ、おふたりともこのままお待ちください」
捜査責任者は運転席のドアを開け、外にすべり出た。
王女はオールシー・ブライムのようすをそっと観察する。相変わらず、ディスプレイに集中し、くよくよと思い悩んでいるようである。
後部座席のドアを静かに開け、こっそりと警察車輌から抜け出した。スメル警部がパーキングエリアで駐車している車のナンバーを携帯端末で撮影しているのを確認する。(だいじょうぶかしら、何かの法律に違反していないのかしら? ま、証拠として法廷で使う気がないのならいいんだけど)と思いながら、カラオケバーにむかう。
「王女プランタン捜査妨害!?」の雑誌記事に、プランタンは傷つき、立腹していた。ほんとうにそう考える捜査関係者がいるのなら、なんとかしてその誤解をときほぐしたい。自分もこの国の治安に深い関心と憂慮を示しており、犯罪捜査の一助になればと知恵を提供していることを理解してほしい。部外者扱いせず、仲間として認めてもらいたい。
今回「手入れ」に強引に参加した背景には、王女のそんな熱意があったのだ。単に物見高い、×××根性だけではないのであった(検閲済み)。捜査に役立つためにはまず、侵入経路を確定すること。正面玄関に捜査員を配備するのは当然として、裏口を見つけ、そこをガードする必要がある。いや、人身売買のマーケットオークションを開催している可能性があるから、むしろ裏口こそがバイヤーや幹部たちの「正面玄関」かもしれない。
(そこをこのわたくしが最初に発見し、捜査員を案内して差しあげなければ)
そのときの自分の態度や台詞を脳内で何度かリハーサルし、くすくす笑いながら、プランタンは建物の裏手に回る。すると、スタッフ専用の扉がかんたんに見つかり、拍子抜けした。用心しながら、ドアに近づく。
スチール製の分厚いドアである。ドアノブの下に四角いプラスチックカバーが設置されている。肩にかけていたバッグから白い手袋を取り出す。両手に装着し、プラスチックカバーをそっと開けた。0から9までの数字以外に「*」や「#」まである。電話型のテンキーだ。コードナンバーを入力すると、開錠する仕組みなのだろう。
プランタンは背後をうかがう。誰もいない。
(スメル警部はまだナンバープレートに夢中なのね。オールシーはすっかり使いものにならなくなっているし……)
ちょっとためらったが、すぐに決断した。コードナンバーを推理するのだ。
(警部の説明では、組織構成はしっかりしているけど、構成員のおつむはそんなに複雑じゃない。誰か頭の回る人間がお膳立てだけして、ロボットのように単純な連中に仕事を任せている――そんなかんじだったわね。コードナンバーもあんまり複雑じゃないはず)
バッグからペンライトを取り出す。先端の照射ソケットをくるくる回し、取りはずす。バッグのポケットから別のソケットを選び出し、本体に装着する。特殊光学照明で、潜在指紋を発光させ、可視化するのだ。サスペンス映画や犯罪科学捜査ドラマで王女はこの装置を知り、ツテを頼ってこっそり入手していたのである。
スイッチを押し光を当てると、すべての数字キーの指紋が緑色に発光した。さらによく観察する。特定の数字だけがあざやかに輝いている。その数字は「1」「5」「0」。とりわけ、「1」は目だって光っている。また「5」よりは「0」が鮮明である。つまり、よく光る順では「1」「0」「5」だ。
(1-0-5……1-0-5……何かのゴロ合わせ? それにこの光度の差。関係があるのかしら……?)
ためしに、「1」「0」「5」と押してみた。テンキーの上の細長いディスプレイに「Error」と表示される。
(んー。最初はこんなものよ。どうしましょう。すべての組み合わせをためすべきかしら? いえ。それではあまりにまだるっこしい。何か、もっと単純なはずよ。むずかしく考えない方がいいわ)
テンキーをにらむ。「Error」表示を見つめる。
(この英単語、やたらと「r」が多いなあ。みっつもあるとは……あ! そうか)
ひらめいた。
(よく輝く数字キーは、それだけよく押されているということね。「1」は何度かくり返し押されているのよ。「1」「1」「0」「5」とか、「1」「0」「1」「5」とか……)
ぎょっとした。
(ちょっと待って! 今日は何日? 一〇月一五日じゃん!)
そう考えれば、「0」がよく押される理由も氷解する。
(きっとそうだ。キーコードは毎日、変更されるんだわ。でも、その日の日づけだから単純明快というわけ)
「1」「0」「1」「5」とキーを押す。ディスプレイに「Correct」が点灯し、ドアノブの下あたりで、カチッと開錠する音が聞こえた。
(やった! わたしってやっぱり天才ね。おほほほほ)
背後を振り返る。捜査班の他の車輌が到着した気配はない。スメル警部もオールシーも自分の関心事に熱中しているのだろう。まだぎりぎり、退勤のラッシュアワーであり、一般車の交通量はそこそこあるが、この近所にはコンビニもガソリンステーションもない。ヘッドライトと走行音が国道を素通りするだけである。
(わかってる。ここで待つのよ、プランタン)
王女は自分にいいきかせる。
「わかってるわ。好奇心は猫をも殺すっていうでしょ。ここから動いちゃだめ」
声に出して自分にいう。手がドアノブに伸びる。
(単身で乗りこんで、どうしようというの? あまりに軽率だわ)
頭のなかで、ホワイト・プランタンが説教口調でいう。
(でも、罪のない国民がお金で売り買いされているのよ。その現場に関心をもつのは、王女として当然の責務じゃないかしら)
ブラック・プランタンが面白そうに、そそのかす。手がノブをつかみ、ゆっくりと回す。
(王女だからこそでしょ。危険な目にあったらどうするの? 警察の皆さんの足手まといになるのよ。かるがるしいマネはやめて。あまりに配慮が足りないわ!)
ホワイト・プランタンが悲鳴をあげる。手がドアを手前に引く。
(だいじょうぶ。ちょっとなかのようすを見て、すぐに戻ってくるだけ。内部の情報があった方が捜査の助けになるでしょ)
ブラック・プランタンが片目をつぶる。ドアは音もなく、大きく開く。目の前に、通路が伸びている。光量を落とした照明灯が等間隔で天井に配列されていた。通路両側の壁にドアがあるようだが、薄暗く、よく見えない。
王女は一歩、踏みこんだ。
(ああ! 完全に不法侵入じゃない。令状も手もとにないのよ)
ホワイト・プランタンが絶叫する。
(もう。おおげさね。見つからなきゃわかりゃしないわよ。へいきへいき)
脳内のブラック・プランタンは楽しそうに舌を出す。王女はドアの裏側、ノブの下にプラスチックカバーを見つける。外に出るときは、このテンキーを利用するのだろう。通路にそって、足音をしのばせ、進んでいく。背後でドアが閉まる音がひびく。
(くー。なんだか女スパイか、ジャパニーズニンジャみたいね。なんだっけ? たしかクノイチ? かっこいい!)
ブラックは興奮ぎみである。(だめよだめ。はやく引き返して。たいへんなことになるわよ!)ホワイトは混乱してわめく。
途中、通路はなんどか二方向に分岐していた。どちらにいくべきか、それともここで引き返すべきか、王女は迷った。素通りしてきたドアの内側も気になるところだ。開くと、部屋があるのか、通路があるのか。
(建物の外観からは、そう大きな印象を受けなかったけど、まるで迷路ね。いったい、どうなっているんだろう? 侵入者の方向感覚を撹乱するように、わざと通路を屈曲させているのかな……)
ためらっていると、背後から声をかけられた。
「おい! そこのおまえ」
荒々しく、乱暴な男の声である。王女は硬直する。
(見つかった!)
「何してるんだ? そっちじゃない。こっちにこい」
根が素直な王女は、いわれた方角へゆっくり足を運ぶ。ホワイトは(まずーい。だからいったでしょう……。あー、もうおしまいだー……)と絶望の溜め息をつく。都合の悪い展開に、ひゅるひゅるしゅっぽん! 無責任なブラックはどこか脳の奥の方に消えてしまった。王女は極度の緊張状態のまま、ぎくしゃくと通路を進む。
ぼんやりした照明のもと、着古した革のジャンパーを着た中年の男が叱りつける。
「呼ばれるまで、部屋で待機していろといっただろう。この×××め(検閲済み)」
プランタンの左手首をつかみ、ぐいと引っぱる。王女はあまりの事態に声も出ない。バッグを取りあげられた。そのなかにはコミュニケーター(携帯端末)も入っている。
「お客さまがお待ちだぞ」
男はからかうような笑みを浮かべ、王女を通路の奥に引っぱっていく。引きずられ、プランタンはなすすべもない。
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