第3話

 ヨーロッパの小国デンメルクと北太平洋の島国である退屈王国は友好親善国同士である。王族同士の交流も活発で、デンメルク王子と退屈王国王女プランタンは専用ジェット機で頻繁に往来していた。何しろ、七歳の王子はプランタンをとても気に入っており、いっしょに「忍者ごっこ」「暗号創作」「アニソン限定カラオケ対決」「シェークスピア悲劇の台詞によるモリエール喜劇の即興演出」などで遊んでいた。

 王子はノーブル物理学賞を受賞した天才少年である。「空間と空間のあいだから無限のエネルギーを抽出する」という、どう考えても「完全な絵空事」のメタファーとしか思えない理論を実用化し、世界にエネルギー革命を起こそうとしていた。

 空間エネルギー実用化の関連施設は、退屈王国につくられるという。本国デンメルクを差し置いてである。

 実用化実験はつぎつぎ成功。王子の理論の正しさが実際に証明され、はやくて五年後には「スペースエナジーステーション(SES)」がヒネモス近郊に建設される予定である。退屈王国の株式市場には投機マネーが流れこみ、平均株価は急騰。ニューヨーク株式市場で一ドル=一九八サボールだった通貨サボールが、一ドル=一四九サボールへと数ヶ月で急伸している。この高騰は逆に、従来の基幹産業であった天然ガス業界に打撃をあたえた。サボール高は輸出産業にとって死活問題である。また、国際的な観光地である王国にとって国外観光客が激減することも意味していた。実際にSESが起動する前に、退屈王国経済は株価の急変動で揺れていたのだ。

 一方、王子の評判はデンメルクでさんざんである。

「なぜ、世紀の大発明を他国に!?」

「王子はデンメルクの裏切り者だ」

「デンメルク王国と臣民のことをまったく考えていない」

「退屈王国のスパイなのでは?」

「売国奴! よりによって王子が売国奴とは……」

「国会に証人喚問しろ!」

「公聴会を開け!」

 デンメルク王国の総理大臣は王子に拝謁し、ネットやマスコミ、世論の剣呑な動向について、憂慮を奏上した。

「え? 証人喚問?」

 王子は身をのり出す。

「国会に出たいでん。日本の議員さんみたいに『記憶にございません』とか『秘書がやりました』とか、いってみたいでん!」

 総理は眉間に皺をよせる。

「殿下。事態は深刻でございます。それに王族が国会で証人喚問など、世界でもめったにないたいへんなスキャンダルです。おそらく内裏省も卒倒しますでしょう」

 少年王子は金髪の頭を傾けた。

「そうなの?」

「はい。火に油を注ぐだけでございます。ご断念なさった方が関係各方面へのご配慮になるかと存じ申しあげます」

「なーんだ。で、ぼくは何をすればいいの?」

 総理大臣は額に噴き出る汗をハンカチで押さえる。

「何もなさらずに、騒ぎが過ぎ去るまでじっとし、おとなしくやりすごすのが賢明なご判断でございましょう」

「そうかな?」

 王子は知的な青い目をきらきら輝かせる。

「何もしなくても、退屈王国の空間エネルギー技術開発のニュースは折にふれ、流れつづけるでん。そのたびごとに、ヒマなひとたちはネットに文句をつぶやき、スキャンダル日照りのテレビ局は特集番組で採りあげ、アマチュア政治家が交差点で抗議演説をぶち、どこからともなく怪文書が流れ、革命や暴動のパンフレットが街頭で頒布され、国会前では抗議集会やデモが連日もよおされ、機動隊が出動し、催涙弾や放水攻撃が日常化し、爆弾テロ、世情不安、戒厳令……」

 総理大臣は両手を挙げ、降参のポーズ。

「殿下はどうなさりたいのですか?」

「ぼくとしてはだねー、わがデンメルク王国にもイノベーションを起こしたいでん」

「イノベーション? 空間エネルギー以外にも技術革新のアイディアをおもちなのですか?」

 総理は驚く。

「もちろん。あの程度のアイディアなら、たくさんあるでん」

 そして王子は、「異空間ホール」についてとくとくと語りはじめた。

「デンメルクの首都近郊に長径一〇〇メートルの巨大な『異空間ホール』を建設するでん。この『穴』はダンテ=ベアトリーチェ多重次元理論により、無限の空間的ひろがりをもつ異空間に接続されています。つまり、巨大なゴミ捨て場でん。

 世界はもう半世紀以上もゴミ問題に頭を悩ましています。たとえば原子力発電所から発生する核廃棄物。ガラスでくるんで地下三〇〇メートル以下の貯蔵施設に廃棄することになっているけど、地殻変動で数千年後、数万年後には地上に露出するかもしれないでん。数万年経過しても、放射線を放出する危険物質だから、地下処理施設は絶対に安全ではありません。というわけで、多くの国では核廃棄物の処理に頭を悩ましているんだよ。

 でも、ぼくが考案した『異空間ホール』なら問題なし。もってきて、ただポイと捨てるだけ。どこか別の次元の世界にむかって、どこまでも落ちつづけるでん。フクシマ原発の汚染水もここに棄てられるよ。

 そして核廃棄物だけではないのです。戦争や災害で生じた瓦礫、廃材。老朽化したインフラ――鉄道、電車、バス、タンカー、フェリー、一般船舶、航空機。古くなった家庭電化製品、システムキッチン、家具一式。それに……」

 総理大臣は若いころ、日本のホシシンイチが書いたきわめて短い小説(ショート・ショート)で似たような物語を読んだことがあった。七歳の王子が語る『異空間ホール』の話はその小説に酷似しており、何やらいやな予感におそわれる。

「……なんでもかんでもポイポイ。ポイポイポーイのポイポイ……」

 総理は咳払いする。

「えー、殿下。たいへんすばらしいお考えではございますが……あー……できましたら、もう少し……ローテクな技術革新の方が……よろしいかと……」

 意外なことばに、王子はきょとんとした。

「そうなの? 何が心配なの?」

「……何ごとにも不測の事態ということがございます。殿下のご考案なさったその施設が故障したり、機能不全を起こしたり、計画どおりに起動しなかったり……そういった事態は万が一にもございません! 

……ございませんが……一〇万が一、一〇〇万が一の可能性も考慮にいれるべきかと……」

 王子は天井をにらんで、考えこんだ。

「……ふむふむ……なるほど。『異空間ホール』の管理施設に、上空から突然、隕石が落ちてくるとか……。うーん、その場合、ただ『穴』が消えるだけだけどね。次元崩壊が起こったり、時間の因果律が壊滅したり、島宇宙が蒸発したり……そんなことは起こらないよ。

 でも、無知なひとたちの不安や恐怖に対処するのは、科学者の責務でん。ぼくも科学者のハシクレとして、そういうメンタリティは大切にしたい。それじゃ、こういうのはどうかな?」

 そして王子は、その後「クールテック」と呼ばれることになる「着ると涼しくなる服」について語りはじめた。

 チューブ状の繊維で衣服を縫製する。そのチューブには粘性の低い蓄冷剤が充填されている。この服を家庭用冷蔵庫に収納して冷やすのだ。ひと晩、冷やして外出時、スーツや制服の上に、コートやカーディガンのように着こむのである。途中、あんまり身体が冷え、寒くなったら脱げばいい。防寒着を着脱して体温の調節をするように、防「暑」着を利用しようというわけである。

 クーラーや扇風機のように排熱が出るわけではない。また、ふだんから使用している冷蔵庫を利用するので余計に電気代がかかるわけでもない。むしろ、クーラー、扇風機を使わなくなるので省エネで節電できる。

 もし、オフィスや学校に冷房施設があるのなら、この防「暑」着を脱げばよい。脱いだ服を収納するクーラーボックスに当たる特殊加工ポーチも同時に発売する。このポーチには保冷機能があるため、防「暑」着があたたまることはない。

 ひと晩、冷蔵庫に入れておくと八時間は涼しいままだ。それ以上、暑熱にさらされる予定なら、ポーチのなかに着替えをもう一着、用意しておけばいい。チューブ状繊維は柔軟で、折りたためば日本の風呂敷のように、小さくなるのだ。蓄冷剤は技術開発の結果、従来にないほどの軽量化に成功しており、着用時に重さはほとんどかんじない。

 問題はふたつ。まず、釘や刃物で表面が傷つくと、なかの蓄冷剤がとろりと漏出すること。しかし、ほころびが小さければ、応急処置としてテープやバンソウコウをぺたりと貼ることができた。

 もうひとつは、クリーニングができないこと。「ワンシーズンで使い捨て」が原則である。ただ、植物由来の繊維であり、そのなかの蓄冷剤は「燃えるゴミ」で処理できた。着古したら、通常のゴミ処理方法で処分できるのだ。

「これならどうかな? グローバル企業のアパレルメーカーやファーストファッションの会社にこっそり連絡して、国際的販路を提供してもらうでん」

 喜色満面の総理大臣は首を横に振る。

「とんでもございません。今度のイノベーションはぜひとも、わがデンメルク王国から起こすべきです。わが国にもアパレル企業はたくさんございます」

 王子はにこりと笑った。おそらく、この台詞もいってみたかったのだろう。

「お主もワルよのー」

 当初、デンメルク産業省の新製品企画統括部署が国内大手アパレルメーカーに製品化を打診した。しかし、経営責任者は王子の発明を「素人の発想」と切り捨て、婉曲に拒絶。産業省は知名度にこだわらず、複数の無名メーカーにも打診する。すると、王国のある地方企業が「うちで手がけたい」と名のりをあげた。従業員十数人の零細企業である。産業省は「だめもと」で製品化の許可をあたえる。

 だが、三人の子もちというシングルマザーの女性経営者には先見の明があった。これまた子もちの中年女性であるデザイナーに、この防「暑」着のデザインを一任。なんの受賞歴もなく、世間から見むきもされていなかったこのデザイナーにはしかし、才能があった。独特の色づかいと、斬新だが街着としてじゅうぶんに通用するフォルムをひねり出したのだ。商品名は「クールテック」となり、発売はすぐに決まった。小さな会社は意志決定に時間がかからない。

 最初はネット通販だけだった。値段は、一着がファーストフードの食事二回分程度。すぐに口コミでひろがった。しだいに話題になり、芸能人やタレントが競って着用し、そのファッションをネットにアップした。「ステマでは」という噂は当然、流れたが、好奇心から購入し、着てみたひとびとは着心地のよさに狂喜した。

 冷房装置で密閉した居住空間全体を冷やすという発想に、抵抗感のあるひとびとがいたのだろう。「クーラー嫌い」「クーラー苦手」「冷やしすぎ」という声は二〇世紀末から一部でささやかれていた。室内を冷やす一方で、排熱のせいで街は高温化する。この矛盾、悪循環に、冷静で合理的なひとびとは何やら違和感を抱きつづけていたのだ。膝掛けやカーディガンなどという防寒具を、真夏のオフィスや学校にもっていくのは不自然で異様だった。しかし、クールテックはその点、「暑さ対策」として発想が自然なのだ。「着心地のよさ」にはそういう心理的背景があった。エシカル(倫理的)消費ブームにのったのだ。

 この発明品は結局、世界的にヒットする。

「環境にやさしく、ファッショナブルで、涼しい」のである。「クールテック」を企画、発売した会社の利益は一年で五倍に。ネット販路はグローバルなので、北半球が冬でも南半球で売れ、南半球が冬なら北半球で売れた。製法は比較的かんたんなので、すぐに類似商品が販売された。だが、王子は法的手段を講じて取り締まることに反対する。

「きちんとした製造方法をすぐにネットにアップして、みんなにまねさせるでん」

 国際特許など取らずに、オープンソースでやろうというのだ。利益を独占せずに、貨幣流通を促進することが、デンメルク経済や世界経済のためになると考えていた。

 こうしてデンメルクは国際的に注目され、世界市場で評価をあげていく。先進国ではクールテックが街着として流行、定着し、ライフスタイルやものの考え方にまで影響をあたえた。だが、それはもう少しあとの話である。

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