第19話
沈黙の森を駆け抜け、ハンドライトを消したオールシー・ブライムは山小屋にそっと近づく。彼は、少女の父親の名前までは思い出せない。しかし、彼がなんの容疑で手配されていたのかは記憶していた。
(たしか、語学学習書籍を編集、販売している出版社へのテロ事件だ。スペイン語や中国語、フランス語や日本語といった語学の学習を推奨し、『グローバル社会を生き抜こう!』をスローガンに掲げ、売上げを伸ばしていた会社。国内市場が小さい退屈王国にとって海外市場への進出は宿命だから、語学学習書が売れるのは当たり前だよ。だけど、アンチ・グローバリズムを標榜するスペースモンキーズにとっては格好の標的なんだろう。えーと、何度か脅迫メールを受け取った会社側は警備を強化し、セキュリティレベルがマックスだったのに、予想外の方法で侵入され、社員が数人殺傷されたんだったな。
パパゲーナの父親はその事件への関与が疑われていたんだ……)
丸太を組み合わせた山小屋は沈黙している。窓は暗く、屋内の動きは外から推測できない。オールシーは身をかがめ、足音を殺す。車の駐車スペースを横切り、窓の下まで移動した。六輪駆動車が二台に増えていることに、気づく。
耳を丸太のひとつに近づける。
いきなり銃声がとどろき、仰天する。
ごとり、と何かが床に落ちる振動が伝わった。
「やぁぁぁぁあああぁぁ!」
窓がびりびり震えるような悲鳴だ。パパゲーナが叫んだ。
少年はハンドライトを強く握りしめる。
(く。まいったな。銃があれば……)
サバイバル訓練中、火器の携帯はゆるされない。だが、腰のベルトにはサバイバルナイフが差しこんである。そっと手を伸ばし、柄を握った。ハンドライトはポケットに。
床の振動が伝わる。足音が乱れている。
(三人……いや、四人か……)
おおざっぱに人数の見当をつける。ちらっと屋根を見あげる。曇っているのか、星は見えない。屋根にのぼる手がかり、足がかりを探した。何もない。
オールシーは壁から離れる。駐車している車に近づく。身をかがめ、ナイフを抜き出し、タイヤに深く突き刺した。二台とも、パンクさせる。
新しく現われた六駆の塗装は黒い。運転席を窓ごしに覗いてみたが、よく見えなかった。少なくとも身許を明らかにするものはない。
彼はふたたび、小屋に足を運びかけ、止めた。玄関の扉が開いたのだ。
革のベストを着た三人の男が少女と一緒に、車に近づいてくる。パパゲーナはうつむき、とぼとぼと足を運ぶ。男たちの顔は剥き出しだ。二〇代がひとり。四〇代がふたり。若い男は太っているが、残りのふたりは中肉中背。一見、銃をもっていないように見える。
小石を拾い、森に投げこんだ。
静まり返った周囲に、草の乱れる音がひびく。
男たちの動きが止まった。互いに顔を見合わせているようだ。
「誰かいるのか?」
「こんな山のなかだぜ」
困惑している。
「キツネかイタチじゃねえか?」
オールシーは車の周囲をゆっくり移動し、うしろに回りこむ。
「だめ! こっちに来ないで!」
パパゲーナが森にむかって叫ぶ。
太っちょの若者が腰のベルトからピストルを抜き出す。シグ・ザウエルか、とオールシーは視認する。足もとに注目。三人の男たちは登山靴ではなく、街歩き用の革靴を履いていた。
用心しながら森にむかい、太っちょは敷地を横切る。砂利を踏みしめる音がやけに大きく聞こえる。
「誰かいるのか?」
若者の声は意外に澄んでおり、教会の聖歌隊に参加できそうだった。ただし、声音には緊張がにじむ。少女の横に立つ中年ふたりの背後に、オールシーはこっそり忍び寄る。砂利の音がしないよう、細心の注意を払う。三人とも、森に注目し、周囲の警戒がおろそかだ。
「誰かいるなら、返事をしろ。だいじょうぶだ、殺したりしない」
若者は安心させるように、話しかけた。森は沈黙で応じている。
少年は低い姿勢のままさっと飛び出し、ふたりの中年の片脚の、かかとの上をナイフでざっくり切断した。
「ぐぁ!」
「げ」
男たちは立っていられず、姿勢を崩し、倒れこんだ。パパゲーナはびっくりする。つられて、彼女も地面に転倒した。ひとりの肩が身体に当たったのだ。
「なんだ! どうしたってんだ?」
太っちょは驚愕と困惑で、振りむき、仲間と少女が仲よく倒れているようすに目を見開く。すでにオールシーはふたたび、車の陰だ。
「やられた!」
中年のひとりが叫ぶ。足首に触れた手が血まみれなのを確認している。
「くそ。足の腱を切られた」
もがきながら片脚で立ちあがる。脇の下のホルスターから銃を抜き取り、パパゲーナの頭に銃口をむける。
「誰だか知らねえが、出てこい! この娘の頭をミートソースにするぞ」
車の背後のオールシーは、いぶかしんだ。正体不明のこの三人組、官憲ではありえない。官憲なら、目的は彼女の父親の逮捕だ。娘をつれ出し、誘拐しようとは思わないはずだ。屋内から聞こえた銃声の件もある。おそらく、撃たれたのは父親だろう。警察や国家安全保障局なら、むやみに被疑者に発砲しない。
となればスペースモンキーズか、それに類する犯罪組織ということになる。パパゲーナの父親は組織の秘密に通じており、口封じのために殺され、目撃者である娘も始末されようとしているのか。三人組はスペースモンキーズの実行部隊か、雇われた殺し屋か。
「パパゲーノ! そこにいるの? 出てきちゃだめ! 逃げて」
オールシーは眉をひそめた。女の子にこんなことをいわれ、逃げるバカはいない。
「ここだ!」
両手を挙げ、車の陰から姿を示す。
男たちはとまどいながらも、事態になんとか対処しようと思案しているようだ。太っちょが銃口を少年にむけたまま、近づいてくる。軍服姿なので、かなり驚いている。
「なんで、兵隊がこんなところに……? 右手のナイフを捨てろ。ゆっくりだぞ」
いわれたとおり、手のひらを開き、ナイフを地面に落とした。
「パパゲーノのばか! 逃げてっていったのに」
銃口を頭に突きつけられたまま、少女がいう。驚き、あきれた表情だ。
太っちょが簡単に身体検査する。ハンドライトを取りあげられる。片脚があがり、腹部を蹴る。オールシーはよろめく。
「こんなところで、何をしていた?」
「サバイバル訓練中。きみたちは……スペースモンキーズ?」
三人ともぎょっとした。その反応が答えだ。
「つれてこい。そいつの足の腱も切り裂いてやる!」
太っちょに銃でうながされ、オールシーは片脚立ちしている男たちのもとに移動する。すでに少女も立ちあがっているが、銃はもう、彼女の身体にむけられていない。
しかし、その銃口はしだいにふらふらと揺れはじめ、安定しない。
「……う。どうしたんだ? だんだん暗くなっていきやがる……」
「……指先がしびれる……。身体が冷えてきた……。気分がわるい……」
中年男たちはふたたび姿勢を崩し、よろよろと上体を揺らす。そのまま地面に転倒した。急に脚の力が抜け、上半身を支えられなくなったかのようだ。
今度はあらかじめ用心していたのか、パパゲーナは巻き添えを回避した。脇によけて立ったままだ。
「な、なんだ? なんなんだ」
オールシーを狙う銃口が下をむく。少年は素早く反応し、太っちょの腕を蹴りあげる。シグ・ザウエルが夜空を飛んだ。体当たりし、片腕をもちあげ、一本背負い。地面に倒し、右膝を胸にのせ、体重をかける。
「……む、ぐ。待て、待ってくれ。まいった。降参だ」
「肋骨の一本くらい折りたいけど。腹へのキックのお返しに」
「やめろ!」
パパゲーナはまず、地面に落ちたシグ・ザウエルを探し出し、拾って、オールシーに渡した。少年は銃口を相手の顔にむける。彼女はさらにサバイバルナイフを拾い、自分も武装した。
オールシーはハンドライトを太っちょから回収する。スイッチを入れて、顔に当てた。ジャンクフードばかり食べているのか、にきび面がおびえている。
「何か縛りあげるものは?」
「納屋にロープが」
梱包用のロープを手渡されたオールシーは手際よく、捕虜の両手首を拘束する。
「コミュニケーター(退屈王国における携帯端末の呼び名)、もっているよね」
太っちょから取りあげ、少女に渡す。
「警察に連絡して」
「ここ圏外よ」
そうだった。
さらにオールシーは中年ふたり組みの両手をロープで固定する。だらりと垂れた手から、コルトパイソンが地面に落ちた。その顔色は青ざめ、唇は赤紫色だった。
「や。なにこれ? 血?」
血のプールに、ふたりとも浸かっている。
「足首の腱を切るとき同時に、くるぶしの内側の後脛骨動脈を切断したんだ。脈を取るとき、手首の動脈で拍動を確認するのは知られているけど、くるぶしのこの動脈で触診することもある。おもにスウェーデンで」
「スウェーデンで? ほんと?」
「いや、真っ赤なうそ。でも動脈なのはほんとう。止血しないと失血死する。
それよりきみのお父さんは?」
パパゲーナは、わーんと泣き出す。それが答えだ。
オールシーは太っちょを銃で脅し、パンクしたタイヤを納屋のスペアタイヤと交換させる。失血死寸前で意識不明の中年ふたり(一応、ふくらはぎをロープできつく縛り、止血した)を後部座席に寝かせ、助手席に座った。捕虜に運転させ、山をおりる。
「電波が届く距離に入ったら、警察に連絡するんだ」
瀕死のテロ実行部隊員ふたりと後部座席に同乗しているパパゲーナに指示を出す。「父さん……父さん……」としくしく泣きながらも、少女はうなずいた。
ふもとの町まで数キロという地点で、警察と連絡がつく。救急車と捜査車輌をリクエストし、さらに山道をくだる。
ふもとで救急車と遭遇し、けが人を移し変え、応急手当を見物する。
「AB型かA型のひとは?」
救急隊員にいわれ、O型のオールシーは聞こえない振り。
「あ。おれAです」
にきびの若者が申告する。
「あたしはAB」
被害者のパパゲーナが父親の仇に献血するつもりのようで、周囲は仰天した。いきおい、「ぼくはO型」と少年もいわざるをえない。
三人から輸血され、ふたりの犯罪者は一命をとりとめる。
警察車輌が山小屋に到着し、パパゲーナの父親の死亡を確認する。頭部に銃撃を受け、即死だった。テロ組織がかかわっているという情報が伝わったのか、国家安全保障局(同名の組織が他の国にもあるので、ホメオスタシスという通称で呼ばれる)の車輌も遅れて到着した。
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