第7話

 幹線道路を一本、脇に折れると住宅地になっていた。ラファロ邸は明るいクリーム色の外壁で、光り輝くバニラアイスをちょっと連想させる。屋根も水平で、全体に四角いチーズケーキのようでもある。

 門柱からファサードまでが車回しになっており、その中央に噴水がある。ただ、中空に水を噴きあげるタイプではない。噴水中央が小山になっており、その頂上に石の人魚が腰かけているのだ。人魚は右の肩に長い髪をたらし、左の肩に水がめを抱えている。その水がめの口から彼女の石の胸にむけ、清水が滝のように流れ出しているのだ。

 ふたりは感心して、その彫像をながめ、車回しを徒歩でたどり、ファサードから玄関にむかった。セキュリティカメラでようすをうかがっていたのか、迎えの者がすぐに扉を開けてくれる。

 ふたりが行儀よく、玄関マットで靴の裏の汚れを落としていると、

「これはこれは。ご来駕は光栄のいたりでございます」

と声がする。初老の男が立っていた。

 アルベルト・ラファロ博士である。

 きれいに櫛目のとおった銀髪がまず、目を引く。額に刻まれた三本の皺は、表情ゆたかな眉の動きに合わせ、微妙に上下した。度の強い眼鏡のレンズの奥の、冷静で控え目な印象の瞳。先端のとがった鼻は魔法使いか老賢者のイメージだ。灰色の口髭はよく手入れされている。

 深いブルーのシャツに、グレイの麻のパンツ。黒いクールテックを着こんだ背中は、やや猫背である。

「楽しみにして参りました。何を見せていただけるのでしょう」

 プランタンが瞳をきらきらさせて挨拶する。オールシーは脇で控え目に目礼。

「何をご覧になるか、それともならないか――それはご自分でお確かめください。さ、どうぞこちらへ。みなさん、お待ちかねです」

 博士の案内で、ふたりは廊下を歩いた。途中で二階へむかうことになったが、階段の壁の窓が抽象的なパターンのステンドグラスになっており、目を楽しませる。スズランの花房のようなランプを集めた照明器具が、天井から吊りさげられている。

 二階の廊下は東西方向に伸び、いくつかならんだ扉は上部がまるい。四角いドアの上に半円の飾り窓が装飾されているのだ。そのひとつ――樫の木の扉を、博士は押し開ける。

 室内にいた全員が立ちあがり、王女に敬意を表する。

「お会いできるのを楽しみにしていました」

「ご機嫌うるわしゅうございます、王女さま」

「お会いできて光栄でございます」

「今日のこと、親類友人縁者に自慢します」

 胸に手を当て、頭をさげ、あいさつする。

 部屋の中央には会議のときにでも使うような長机がひとつ。みな、その机の椅子に腰かけていた。扉の反対側の壁に窓があり、七月の青空が見える。クーラーを使っていないので、窓は開け放され、風がとおっていた。

 扉の右側の壁は書棚だ。専門書やファイルでいっぱいである。左側にはホワイトボードとパーテション。パーテションの奥にはデスクがあるようだが、部分的にしか見えない。

 オールシーは出席者の顔ぶれをざっとチェックする。知っているひとには目であいさつし、知らないひとにはあいまいな微笑で応じた。つぎつぎ自己紹介するので、新しいデータを頭のなかにどんどん記銘していく。

 机の右側(書棚側)には、製薬会社研究員、弁護士、ミステリ作家。左側(ホワイトボード側)には元老院議員、博士の助手。

 少年SSはミステリ作家を知っていた。パウロ・アルマビーヴァ。旧知の仲なので、たがいにうなずき合う。彼はクールテックを着ていない。持参のポーチを膝のうえにのせているので、身体が冷えて脱いだのだろう。黒いコットンパンツに、濃いピンクのシャツを着ていた。三〇代のなかばで若白髪の混じった頭のもち主だが、学生のような格好をすることが多い。赤いメタルフレームの奥では落ち着きのないブルーの瞳がまばたきしていた。

 長いこと小説を書いていないといっていたが、最近は書けているのだろうか……とオールシーはちょっと心配する。

 博士の助手が身軽に立ちあがる。

「お茶のご用意をしてまいります」

 部屋を出ていこうとする。一九歳か二〇歳か。頭が小さくまるく、頬はふっくら。長い髪を後頭部で縛り、眼鏡をかけていた。愛くるしい顔つきの、そうとうな美人である。白衣のようなスタイルの純白のクールテックを着用している。

(ん?)

 オールシーは内心、首をかしげる。どこかで見たことがあるように思うのだ。

「わたくし、博士の助手でエリカ・マジャールと申します。よろしく、お見知りおきください」

 あんまりじろじろ見るからだろうか、彼女は立ちどまり、オールシーにあいさつする。栗色の前髪を自然に額にたらし、右に流していた。眼鏡の奥の目はアーモンド形。瞳も栗色で、じっと見つめていると、どこからともなくモーツァルトのピアノソナタの緩徐楽章が聴こえてくるような気がする。すっと線を引いたような鼻筋の先には、こぶりで上品な小さな鼻。桜色の唇は自然にほころび、輝石のような白い前歯が光をこぼしている。

「王女の警護を担当するオールシー・ブライムです。よろしく」

 エリカ・マジャールの顔に意外そうな表情が浮かぶ。(あなたが……)と、名前だけは、あらかじめ知っていたかのような反応である。

(エリカ・マジャール。要注意人物だ……!)

 少年SSは気を引きしめた。警護の関係で事前に参加者の身許を確認していたが、博士の助手はチェックから洩れていたのだ。

 クールテックの裾をひるがえし、エリカが出ていく。元老院議員が王女に近より、久闊を叙している。そのすきにオールシーはミステリ作家に近づく。

「パウロさん、久しぶりです。今日はどうしてここに?」

 パウロは眼鏡の赤いフレームを指先でちょっと動かす。突っ立った頭髪は寝ぐせなのかファッションなのか、見分けがむずかしい。

「ラ、ラファロ博士から招待されたのさ。ととと突然のことで、ぼくも驚いている」

「今日はいったい、どういう催しなんでしょうか」

 ミステリ作家は首を振る。

「わからない……」

 すると、製薬会社の研究員が発言した。

「メザメールの開発段階で発見された化合物のお披露目らしいですよ」

 年配の女性である。

「メザメール? なんですか、それ」

 パウロが質問する。

「博士が開発中の集中力増強剤です」

 そういって、机の上のタケノコのような形のプラスチック容器を手で示した。

「これ。部屋に入ったときから、気になっていたんですよ」

「化合物を空気中に散布する装置だと思います。芳香剤の容器にちょっと似ていますでしょう」

 パウロもオールシーも無言でうなずく。

 高さ一五センチ、底面の長径は七センチほど。マンガで描かれるロケットの弾頭部分のような形状で、表面に微細な穴がたくさん開いている。白っぽいグレーと黒のツートーンで、一見、デザイン小物のように見える。居間や客間に置いても違和感がない。かすかな振動音を立てており、装置の内部で何かが稼動中のようだ。

「充電式ですか?」

 というオールシーの質問に、研究員がうなずく。

「おそらく。充電端子用のソケットが見えますから」

 女性研究者というと一般に、化粧気がない印象だが、彼女はしっかり眉を描き、頬に紅をさし、口紅もきっちり塗っていた。もともとあっさりした顔立ちなのだろう。化粧で印象の変わる典型的な女性のようだ。なんだか派手で迫力があった。ビジネススーツに身を包み、かかとの低いパンプスを履いている姿は、どこかの役所の上級職員を思わせた。事前に参加者の身上書をチェックしたとき、開発部の部長とわかっている。活動的で有能そうな雰囲気には職業的な根拠があるのだな、と少年SSは納得した。

「……つまり、し、し、集中力を増幅する化合物が、いまこの瞬間に、ここここの部屋に漂っているということですか……?」

 パウロは、けげんそうに首をかしげる。

「おそらく……」

 彼女も確信に欠けた口振りだ。オールシーも、自分の集中力がめざましく増強されているかんじが、まったくない。

 突然、明るい笑い声が聞こえ、少年SSは扉の方に目をむける。元老院議員とプランタンが談笑していた。プランタンが何か気の利いたことをいい、議員が笑い出したようだ。

 オールシーはこの元老院議員をテレビの報道で知っていた。議会での攻撃的な質問で有名な与党の議員である。グノス・ラチエンスキーという名前だ。二年前に父親が議員職を引退し、まもなく逝去。爵位を引き継いで、公爵となっていた。

 三五、六歳のはずだが、若々しい。きりっとして男性的な眉。野性的な鳶色の瞳。精悍な印象の頬から顎にかけてのライン。顔の中央でどっしりと安定した鼻。仕事がはやく、効率を優先し、社会的成功に自信を深めている男、という印象を受ける。頭髪を短く刈っているから、スポーティで清潔感があった。ダークスーツを着こみ、落ち着いたブルーのタイをしめている。オールシーが見たところ、オーダーメイドではなく、既製服。カナーリかな……と推測した。

 公爵がたったひとりでふらりと参加したらしいことに少年SSは驚いていた。秘書や警護がたいてい、随行するはずなのだ。

(何か理由があるのだろうか……。身上調査の記録では最近、夜遊びが激しく、複数の女性関係が取り沙汰されていたはず。ただ、家柄もよく、財産もある独身男性だから、あまり羽目をはずさないかぎり、スキャンダルになることはない。もともと、モラルやルールにおとなしく従うタイプの人物ではないのかもしれないけど……。

 そもそもなぜ、この催しに元老院議員が呼ばれているんだ? 保健行政にくわしい議員だったはずだが……)

 心配するほどのことではない、と自分にいい聞かせるが、オールシーは正体不明の胸騒ぎをかんじるのだ。家を出たあとで「戸じまりしたかな」「ガスの元栓、だいじょうぶかな」とわけもなく唐突に、不安におそわれることがある。そんな胸騒ぎが止まらない。博士の助手のエリカと同様、グノス・ラチエンスキー公爵も要注意人物だ、と直観が告げている。


 彼のこの予感は、あとで的中することになる。

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