第6話

 その日、ふたりは神経生理学者であるアルベルト・ラファロ博士の招待を受けていた。博士は退屈王国大学の教官で、研究テーマは「集中力」である。王国国民の「やる気のなさ」「なまけぐせ」「注意散漫ぶり」に対して博士はつねづね危機感を抱き、なんとか改善したいと集中力増強剤の開発をこころみていたのだ。

 母国のぐーたらした国民性には、プランタンも脅威をかんじていた。交通、通信、電気、ガス、水道といったインフラの円滑運営は、高度な管理制御システムのおかげである。このシステムをミスなく、遅延なく管理しなければならない。だが、豊かで快適な生活を送るためのインフラは精密、巨大、複雑になる。それはミスひとつが過酷事故につながることを意味する。チェック態勢は万全のはずだが、平和にんだ、緊張感のない国民性を王女は、完全には信用していない。

 そんなわけで、ラファロ博士の研究を科学雑誌で目にしたプランタンはみずから連絡を取った。実験結果や研究の見とおしについて直接、報告を求めたのだ。科学省に掛け合い予算を回したり、必要な資材や研究者を融通、紹介したり、博士の支援をおこなっている。

 数日前、「中間報告したい」とラファロ博士はプランタンに連絡してきた。

「どうしました? 集中力増強剤は完成したのですか?」

 王女のロイヤルメールに対して、博士は次のように返信した。

「いえ。集中力増強剤メザメールはまだ開発途中です。ただ、実験の副産物で、面白いものができました。ユアハイネスもきっと興味をおもちになるのではないかと愚考いたします。よろしかったら、七月七日一四時に、拙宅にご来駕をたまわりとう存じます」

 当日、お付きのボディーガードで気軽な相談相手でもあるオールシー・ブライムを誘い、王女は公用車でラファロ博士の私邸にむかった。だが途中、天気もよいし、せっかく発売間もないクールテックももっているし、外を歩いていこうとプランタンが提案する。王女の気まぐれにすっかり慣れているオールシーは素直に、予定変更に従ったのだ。


 横断歩道の手前で信号待ちのため、ふたりは立ちどまった。この場合、歩道の縁石ぎりぎりに立つのでなく、なるべく奥の方で待機するのが警備の基本である。音楽を聴きながらオールシーはさりげなく、車道から離れた位置に王女を誘導した。

 そのときに、ちらりと見ると、プランタンも耳にイヤフォンをはめている。やはり音楽鑑賞中なのか、頭をこきざみに振っていた。さっきまでかんかんになって怒っていたとは思えない。きれいな蝶が飛んでいたか、道端にかれんなミヤコワスレが咲いていたか、ベビーカーのかわいい赤ちゃんが手を振ったか。

 オールシーは自分の携帯端末のストリーミング配信を中断し、イヤフォンを耳からはずす。

「何をお聴きでございますか?」

「?」

 プランタンはポケットのコミュニケーター(退屈王国での携帯端末の呼び名)に手を伸ばし、音量を落とす。

「オールシーが歌い手について質問しているなら、わからないと答えるしかない。わたし、パフォーマーはどうでもいいの」

「パフォーマー?」

「アーティストとパフォーマーが一致しているシンガーソングライターの場合はともかく、ソングライターとパフォーマーが別のことがあります。わたくし、お気に入りの作曲者、編曲者がいるけど、残念ながらその御方はルックス、歌唱力の問題から自分の楽曲を自分で歌っていないの」

「なんというお名前ですか、その作曲者は?」

「グレン・キングさん。七〇年代ディスコミュージックとニューヨーク・ハウスをミックスさせた曲作りが特徴だといわれています。こんな曲、聴いたことない?」

 プランタンはサビの部分を軽く、ハミングした。

「あ。知っています。たしか、エンザイ・ガールズ(Enzai‐Girls)のヒット曲ですよ」

「そうなんだー」

 信号が青になり、ふたりは横断歩道を渡りはじめる。

「たしか、四人組のアイドルよねー。最近、ヒットしているんだ」

 オールシーはなぜか、口ごもる。

「え、ええ。すごく人気があるみたいですね……。たしか『再審請求』ていうタイトルです……」

「『再審請求』? ずいぶん妙な題名ね」

 横断歩道を渡りきった。

「アイドルソングの曲名なんて、そんなものですよ。コミックソングみたいなところがありますからね……。『同じ時給で働く友だちの美人ママ』とか『Z女戦争』とか」

 プランタンは疑わしげな表情で追及する。

「ずいぶん、くわしいみたいじゃないの、オールシー?」

「え? ……ええ。ほら……、元アイドルだったリリーが日本のアイドルソングをいろいろ教えてくれるんですよ」

 リリー・クライスキーは王女の私設捜査組織の一員だ。いくつかの事件をとおし、オールシーとも親しくなっている。射撃の名手である。

「や。そそそんなことは……。あ、目的地はあそこです。ラファロ博士の邸宅だ」

 部下の真意をはかるように王女は目を細めたが、(今日はこれくらいにしておいてやるわ)と追及の手を引っこめた。コミュニケーターをスリープする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る