第23話

 ヒネモスのほぼ中央に、町を東西に二分する大きな川が流れている。河川敷ではテニスコート、パークゴルフ場、草野球場があり、市民の憩いの場所になっている。右岸や左岸に沿ってサイクリングやジョギングができ、年にいちど、花火大会も開催される。魚の種類も豊富で、早朝には釣り客が訪れ、釣り竿をあやつる。王国の河川法では一級河川に属する、この川の名前は「ユールリ川」だ。

 六三歳のリカルド・ジャリーニはくしゃみした。携帯したポケットティッシュで洟をかむ。リカルドは個人で不動産業を営んでいるが、最近は跡取りの娘が実務を取り仕切り、楽隠居状態である。趣味は釣りだ。ユールリ川のそばのタワーマンションに住んでいるので、夜明け直前に起き出し、釣り道具を持参して川釣りを楽しんでいる。

 彼は夜明けの空気を胸に深く吸いこんだ。昨夜、若者が花火を楽しんだのか、空気が微妙に火薬くさい。「学生は夏休みか。今年も夏がきたんだな」とリカルドは思う。年中気温が一定の退屈王国では季節の変化がわかりにくい。だが、年中行事や祝日、祭日で一年の節目を実感できる。そのたびに、リカルドは思うのだ。「あと何回、夏の花火大会を観賞できるか」「これが最後の、収穫祭になるかもしれんな」「またニューイヤーズデイを迎えることができた」

 リカルドは空を見あげた。雲はまだ目ざめていないようだ。日の出前の光線をぼんやり反射し、沈黙している。もう少ししたら暁の陽光に輝き、活発に動き出すだろう。あちこちから鳥の鳴き声が聞こえる。

 鳥?

 そういえば、頭上を渡るカモメを見ないな、と気がついた。

 海から川をさかのぼり、カモメたちはこの河川敷上空をよく、ゆうゆうと滑空しているのだ。翼を広げて空気の流れにのり、編隊を組んで移動する鳥を見るのを、リカルドは楽しみにしていた。

(ま、どうせ、もう少し先の草原で朝食に夢中なんだろう……)

 草原にはバッタ、コウロギ、クツワムシといった虫がいる。夜明けの数時間は気温が低下しているので、この虫たちの動きは鈍い。カモメたちはそのことを知っており、河川敷の草原を餌場として、虫を捕食するのだ。

 リカルドは自分も、朝食用の鱒を釣りあげる期待を胸に、意識的に太ももをあげてポイントにむかう。だが草原が近づくにつれ、彼の足取りはしだいにペースダウンする。

(なんだ? あの白い沁みのような模様は……? まさか……)

 緑の草原に白いドット模様が散っているのだ。ただしそのドットは円形ではなく、楕円形のように見える。おびただしい量である。

 無意識に小走りになっていた。近づくにつれ、疑惑は確信に近づく。

(ああ……! やはり……)

 白い楕円形はカモメだった。

 百羽近く倒れているようだ。みな、ぎゅっと目をつぶり、何かをつかまえようとするように肢の指を中途半端に曲げている。見たところ、身体に外傷はない。

 大量のカモメの死骸を目にし、リカルドは動転する。おびただしい数なのだ。

(こんな……こんなにたくさん……。誰かに知らせなければ。……警察か? それとも区役所の鳥獣保護課か……?)

 区役所はまだ職員が出勤していない、と気づいた。彼はコミュニケーターをウェストポーチから取り出し、警察に通報した。


 八月八日、 四時一三分のことである。

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