第28話

 警部のあの態度――というか、態度の豹変――ひょっとして王女さまハーマジェスティの推理はきわめて合理的で客観的、説得力のあるものなのだろうか、とオールシーは考えはじめた。しかし、さきほどの発言を理路整然と解釈することはどうしてもできず、ひょっとして警部はことばたくみに、いいくるめられているのでは、と邪推するオールシーなのである。

「了解しました、ユアハイネス。さっそく、ご指示どおりに捜査をすすめてまいります」

「よろしく頼みましたよ。マスコミにはくれぐれも内密に」

「承知いたしました」

「あ、あの……」

 少年SSが会話に割りこむ。

「どうしたの、オールシー?」

 お茶を飲みながらの、友人どうしの気軽な会話を中断し、吠えてくる飼い犬にお愛想で返事をする飼い主のようである。

「す、推理の内容をお聞かせください」

「なぜ?」

 素朴で無邪気な表情の王女が聞き返す。邪念など、ひとつまみもない。

「わたくしも捜査チームの一員です。情報を共有した方が、活動が円滑にすすむかと愚考いたします」

 プランタンはちょっと考える振りをした。

「残念ながら、この事件に関してはなるべく情報を秘匿すべきだという結論に、さきほど捜査主任のスメル警部と達しました。密室の謎はわたくしと警部のみが真相を知っているだけで、ほかの捜査関係者には洩らしません。

 というのは、室内を密室にした理由を考えたからです。オールシーはなぜ、密室が演出されたと考えていますか」

 少年は応接セットをちらりと見た。

「あれでしょう」

 オールシーが示したのは、タケノコに似た装置である。

「集中力増強剤メザメールの開発途中で生成された副産物の化合物――故ラファロ博士のたとえ話で呼ぶなら『ポストイット』のせいではないですか。

 先月から、ヒネモスでは誘拐失踪事件が頻発しています。その現場には、例のあの『ポストイット』が置かれている。故ラファロ博士の研究の関係者か、あのときの、新型化合物お披露目会の出席者の誰かが、『ポストイット』を盗み出し、大量生成し、事件の背景に利用しているのです。ネット上では誘拐失踪事件はテレポーター――つまり、テレポーテーション能力者のせいだ、という書きこみで盛りあがっていますよ。『ポストイット』が置いてある地点なら、テレポーターはどこでも移動可能なんだと。街中に『ポストイット』をばらまき、神出鬼没に犯罪をおこなう。何者かが、そういう言説と状況をつくりたがっているのです」

 王女はうなずき、コメントする。

「テレポーターなら、密室の出入りなど自由自在。犯人はこの殺人事件を、『ポストイット』を利用したテレポーターのせいにしたいのでしょう」

「そうですよ。だからこそ、早急に密室の謎を解き明かし、マスコミに公表すべきです。すでに解明しているのなら、なおさらです。超能力なんて必要ない、ふつうの人間に実行可能なトリックなんだと説得し、ネット上の根も葉もない噂を粉砕すべきです。

 実際、コンビニエンスストアの青年失踪事件、レストランの女性失踪事件、ドラッグストアの化粧品売り場での少女失踪事件……どれも店内の監視カメラが犯人をはっきり写していたじゃないですか。犯人は、コンビニ店員、レストラン従業員、ドラッグストアの店員だった。彼らは被害者の口もとに、薬品を染みこませたガーゼを押し当て、意識を奪って誘拐したまま、行方をくらませている。事件の実行犯には共通点があり、みなスペースモンキーズのメンバーだった」

 王女はうなずいた。

「公式発表も事実も、そのとおりでした」

「きっと、背後でとんでもない陰謀が動いているんですよ。モンキーズはただの実行部隊だ。長大な犯罪計画、莫大な資金、そして底知れない悪意が存在しているはずです。敵は強敵です。やつらの手の内をさらしてやるべきです! 国民に、陰謀と犯罪計画の存在を示すべきだ」

 プランタンは、はじめて靴紐を結べた子どもを見るようにオールシーを見つめる。

「ラファロ博士殺害事件はまだ解決していないのよ、オールシー。その点はどう考えるの?」

「犯人は明らかです。現場には助手のエリカ・マジャールしか残っていなかった。彼女が犯人でしょう。実際いま、公判手続きの最中です」

「表むきはね」

「表むき?」

「エリカ・マジャールは釈放されました。これはマスコミに公表していませんけど」

「なんですって! 犯人はあの娘でしかありえないのに。

 ぼくは見たんですよ。イヌサフランの花瓶を振り回し、犯行のリハーサルに余念がない彼女を」

 王女はちょっと驚き、「それは初耳ね」という。

「ですが、エリカ・マジャールの容疑が濃ければ濃いほど、彼女を釈放し、泳がせる必要があるのです。ラファロ博士殺害事件は彼女の単独犯ではありえない。『ポストイット』を利用した誘拐失踪事件と関連があるはずですし、この、シニザ教授密室殺人事件ともつながっているはずです。

 オールシーが指摘したとおり、大きな陰謀が張りめぐらされています。エリカ・マジャールはその、ほんの糸口。容疑の末端でしかないでしょう。ですから一時的に解放し、監視をつけて動向を探らせているのです」

「ふうむ。そうでしたか……」

 根が素直な少年SSは納得した。王女はつづける。

「真犯人はどうやら、『ポストイット』にはテレポーテーション能力を解発する機能がそなわっているのだと、どうあっても主張したいようです。

 この密室殺人の演出にはそういう意図が見て取れます。そこで、捜査側が取るべきスマートな対応は、こうです。

 バカの振りをする」

「バカの振り?」

「テレポーターの犯罪など、公式見解で否定します。『ポストイット』にはそんな機能はない、といいつづけます。しかし、密室の謎については『解けた』『ちょろい』『かんたん』と得意げに吹聴しません。そもそも現場が密室だったこと自体、秘匿します。

 犯人――犯人たちは、密室を演出することで何かを隠そうとしているはずなのです。わたくしたちは、それが何か明らかになるまで、こちらの捜査状況を敵に知らせるわけにいきません。これは推理合戦でなく、情報戦なのです」

 オールシーは首をひねる。

「敵はいったい、何を隠そうとしているんですか? そもそもわれわれの目をそらさせるための密室演出だというのは、ほんとうですか?」

「まちがいないわ」

 王女は瞳をきらりと輝かせ、断言した。

 その輝く瞳に、スパイとして動体視力をきたえているオールシーは、王女のこころの副音声を読み取ったような気がした。電光掲示板の文字列が一瞬、すごいスピードで流れていくようだった。彼が把握した文字列は次のとおり。

(なーんてね。もっともらしいこといっちゃったけど、そんなわけないじゃん。

 いまだに謎を解けず、頭を悩ましている愚か者どもを見くだすために決まっているわ。それが、ミステリで探偵役が謎を解いても、もったいぶってなかなか真相を明かさない、ほんとうの理由よ! 捜査のため、迷惑をこうむる関係者がいるから、犯人を逃す可能性があるため……そんなをいうけれど、みんなうそうそ、真っ赤なうそ。

 優越感に浸れる時間を長引かせるためよ! これがほんとうの理由なの。

 一方に謎をすでに解き終えた優秀な頭脳のもち主がいて、もう一方に解けずに悩みもだえている愚鈍な頭脳のもち主がいる。もったいぶるのは、前者の特権よ。悔しかったら謎を解いてごらんなさい。そうしたら、犯人の創意工夫についてネタバレなしで、お茶とお菓子で楽しく語り合いましょう。わたくしはいつでもお相手いたしますわよ。おほほほほほほほほほほ……)

 オールシーは、あぜんとした。

(うう……王女さま。まことに畏れ多いことでございますが……むかつきます!)

 なんとしても、シニザ教授密室殺人事件の謎を解いてやる、と決意を深めるオールシー・ブライムであった。彼は玄関にむかって歩き出す。

「どこへいくの? オールシー」

「は。屋上にのぼって天窓周辺の状況を確認してまいります」

 王女とスメル警部は、たがいに顔を見合わせた。

「あー、さきほどのハーマジェスティのご指摘どおり、ヒネモスでは明け方に激しい雨が降った。たぶん、証拠や犯跡は残っていないと思うが……」

「ええ。それでも念のために。逃走経路と思しき場所を実際に目で見ておくのはむだではないでしょうから」

 プランタンはうなずいた。

「警部、ここは彼の好きにさせてください。おそらく、オールシーも自分なりに捜査の役に立とうと知恵を絞っているのです。まちがいなくとんちんかんで、無駄な努力ですが」

 少年SSは内心、顔をしかめつつ「では」と玄関から陽光あふれる戸外へ出た。

 残った王女と警部は応接セットに対面して腰をおろし、状況を確認し合う。

「ユアハイネスのおっしゃるとおり、この事件がラファロ博士殺害事件や一連のヒネモス誘拐失踪事件と関連があるのなら、われわれ警察ではなく、国家安全保障局――ホメオスタシスが担当することになるかもしれませんね」

 テーブルの上の「ポストイット」を見ながら、王女はうなずく。

「そうですね。警部の推測はもっともです。誘拐失踪事件について、警察はどの程度の情報をつかんでいるのですか」

「スペースモンキーズの関与はまちがいない。しかし、その黒幕がわかりません……」

 プランタンは人さし指を顎の先に当てた。

「スメル警部は、ラファロ博士殺害事件直前の、博士が消失してみせた経緯、ご存知ですか」

「はい。報告書には目を通しています」

「あのとき、この『ポストイット』にはテレポーテーションを解発する機能がある、と強弁した人物がいました。『黒づくめの謎の男が突然、室内にあらわれ、博士を撲殺し、姿を消した』というエリカ・マジャールのいかがわしい証言も、その人物の主張をふまえたものでしょう。このふたりのあいだには、何か隠れた関係があるのではないですか」

「ううむ。元老院の」

 周辺にまだ鑑識スタッフがいることに気づき、警部はことばをにごす。

「ごほんげほん。その点は鋭意、調査中です。それと――ネットの反応では、鳥や動物の大量死事件とも関連づける書きこみが増えています」

「新聞で読みましたわ」

「退屈毎日をはじめ、マスコミも〈連続失踪事件―『ポストイット』―動物大量死事件〉をつなげて報道しはじめています。まるで民心の不安をあおるようです」

 警部は「ポストイット」といったが、マスコミでは「タケノコ」ということばが使われていた。

「しかし、鳥や動物の大量死事件では必ずしも『ポストイット』が存在しているわけではないでしょう?」

 目の前の、ロケットの先端部分のような装置を王女は示す。

「はい。ユールリ川河川敷のカモメ大量死事件、イネムリ動物園のサファリセクション大量死事件、ヒルネ海岸に打ちあげられたイルカ大量死事件……これら現場の周辺に『ポストイット』はございませんでした」

「そもそもこの装置は室内用なのです。密閉空間でなければ、化合物が拡散してしまいますから」

「それに誘拐失踪と魚や鳥の大量死では、事件の性質がちがいます」

「誘拐実行犯のモンキーズメンバーの行方は」

「捜査中です。実行犯はみな、コンビニ店員、警備員などアルバイトや派遣社員ですが、犯行後、仕事をほったらかし、そのまま行方をくらましていまして。たぶん、潜伏場所が用意されていたのでしょう」

「誘拐の被害にあった方々の行方はわかりましたか」

 警部は無念そうに首を振る。

「いえ。……しかしこれはまだ、確定した情報ではないのですが、人身売買市場に送られているという話を聞きおよんでいます」

「人身売買? スレイブマーケット?」

「人身売買組織に、誘拐した被害者を商品として出品する。それがモンキーズの資金源になっているようです」

「悪辣ね」

 プランタンは嫌悪感に眉をひそめる。

 ガタガタと天井から何か叩く音が降ってきて、ふたりは顔をあげた。

 天窓のむこうで、オールシー・ブライムが窓枠の状態を熱心に確認しているのだった。


 戸外に出た少年SSはまず、プレハブの物置小屋におもむく。引き戸を開くと、すぐそばにハシゴが立てかけられていた。目で確認した限りでは、不審な手形や泥の付着がない。よく手入れされており、使いこまれた印象を受ける一方、清潔であった。

 オールシーは、片手でひょいとハシゴを扱い、物置小屋から外に運び出す。砂利を踏みしめ、書斎の建物外周をひとめぐりした。地面には砂利が敷き詰めてあり、足跡は残っていない。視認できる限り、壁の外周にも不審な点がない。  

ハシゴを壁に立てかける。壁の高さは四メートル。ハシゴの長さは三メートルだ。オールシーは軽々とステップを踏んで、ハシゴをのぼる。最上段までのぼると、上半身は屋上をこえた。壁のへりに両手をのせ、はいあがる。

屋上に立ってみると、屋根がゆるやかに傾斜していることに気づく。雨水を一方向に流し集めるためだ。傾斜の先には、屋根の縁に沿って長い溝がある。その溝にまた、ゆるやかに深浅をつけ、排水口に水を誘導する仕掛けになっていた。

 屋上に立ったオールシーは空を見あげる。

 青い空に白い雲。東の方では宣伝用の葉巻型気球が浮かんでいた。横腹には「Enzai‐girls/トリプルA面シングル『推定無罪』『恋の執行猶予』『死刑判決』絶賛発売中」とある。

 ざっと見た印象だと、不審な点は屋上にない。ところどころ雨の沁みが残っているが、ほとんど乾燥している。

 オールシーは天窓に近づく。

 ガラスごしに、指紋を採取している鑑識スタッフや、応接セットで熱心に話しこんでいる王女と警部が見えた。

 膝をついて、窓枠周辺に目を近づける。

(なるほど、たしかに外側から鍵をかける仕掛けはないようだ)

 室内側に装備されていたワンタッチのスイッチは見当たらない。ガラス表面も雨水に洗われ、きれいなものだ。土ぼこりや枯葉など、残っていない。定期的にきちんと清掃されているのだろう。

(窓枠全体が、がばっと外れたりしないだろうか)

 四角い縁に沿って、右手でばんばん叩いてみた。音に驚いたのか、室内の数人が天窓を見あげる。おかしな仕掛けはどうやらないようである。

 オールシーはもういちど、屋上をぐるりと見回す。

(犯人の遺留品があったとしても、みな雨水で流されてしまったんだろう。排水口のなかを調べることになるが……。室内と同じ赤い毛髪が見つかれば、ここから出入りした可能性は高くなる……それにしても)

 疑問を抱く。

(犯人はあらかじめ、特定の時間にここで雨が降ることを計画の一部にしていたのだろうか?)

 精密な気象予報アプリのおかげで、最近は天候を予測することが容易になっているのだった。

(もしそうなら、またスコールが予想される直前に、同じような犯行がくり返されるのか?)

 オールシーは窓に映った自分の姿に問いかけたが、答えを得られないままである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る