6【明】奴隷商人のセミ密室殺人

第31話

 愛は変える

 現実を幻想に

 幻想を現実に

                        (Enzai‐girls「再審請求」)



 九月三〇日、ヒネモス警視庁捜査一課のスメル警部は興奮していた。行方のわからなくなっていた誘拐事件の容疑者である、元コンビニ店員が潜伏場所のネットカフェで逮捕されたのだ。映像系専門学校の学生、デキシトン・トットルマイヤーが市内のコンビニエンス・ストアで拉致、誘拐された八月五日の事件である。

 ネット上の噂では、元店員はトットルマイヤーくんを拘束し、店内に置かれた「タケノコ」を利用してテレポートし、行方をくらましたことになっている。しかし、店の防犯カメラは犯行の一部始終を撮影、録画していた。アルバイトのコンビニ従業員が薬品を染みこませたガーゼらしきもので被害者の口を覆い、意識を失わせ、バックヤードにつれ去ったのだ。そのようすはくり返し、報道番組で放映された。

 犯人の顔は大きなマスクで、鼻と口が覆われていた。だが、元店員の顔写真は履歴書にしっかり残っており、店側が提供したその写真映像は連日、ワイドショーやニュースショーで公共の電波にのっていた。全国指名手配となり、国内のホテル、ネットカフェ、銀行、飲食店、鉄道駅、バスターミナル、タクシー乗り場といった立ち寄りそうな場所に、顔写真のポスターが貼り出された。にもかかわらず、その行方は杳として知れず、二ヶ月近く経過していたのである。捜査関係者のあいだでは、「すでに国外に逃亡している」説と「やつはゲームの駒にすぎない。すでに黒幕に消されたのだ」説が半々で、不謹慎なやからの賭けの対象になっていた。

 スメル警部はうれしさを隠しきれない。だが同時に、いぶかしがっていた。完全に痕跡を残さず、消えていたのだ。どこかで誰かにかくまわれていたとしか思えない。それなのに、なぜ隠れ家から出てきた? このタイミングに何か意味があるのか?

「警部、取り調べに同席しますか」

 部下の刑事が質問した。白髪のベテラン老刑事である。顔じゅう皺だらけだが、背筋はいまだにぴんと伸びており、声に力があり、身動きも俊敏だった。

 鬚の剃りあともあざやかな、つるつるした顎をさすりながらスメル警部は考える。今日もダークスーツを着こみ、シルバーグレイのクールテックを着用していた。

「そうしよう」

 取調室にふたりで出むく。ドアの前に立っていた制服警官は、彼らが近づくと敬礼した。

「やつはどうしている」

「は。自分の手のひらをじっと見つめております」

 ドアを開け、入室する。

 なるほど、机に着席した若者は自分の手のひらをじっと見ている。アジアの占い師のように、手の皺から自分の運命を読み取ろうとしているのだろうか。

 スメル警部はこの容疑者を観察した。第一印象は「誠実な若者」である。カットする機会がなかったのか、濃い亜麻色の頭髪は肩まで伸びていた。平たい額、太く長い眉、切れ長な瞳、こぶりな鼻、意志的な口元。鼻の下と顎に鬚を生やしている。首筋は太く、しっかりしており、体格も立派だった。イタリア語のロゴの入ったティーシャツの上から赤、黒、白のチェック柄の半袖シャツを着こんでいる。千鳥格子のチノパンに合成皮革の革靴を履いていた。

(この若者は何かを真剣に悩み、考えつづけている……)

 青年の苦悩は一見、ほんもののようだ。目には暗い光が宿り、唇は何かに耐えるように引き締まっていた。だが同時に、非常にあやうい、狂信的な雰囲気が全身から立ちのぼっている。

「そのイタリア語、なんて書いてあるんだ」

 老刑事がきさくに訊ねた。

「『お前には黙秘権がある』さ」

 自分のティーシャツを見おろし、元店員はにやりと笑って答える。老人は顔をしかめた。

「名前と年齢を教えてくれ」

 対面する椅子に腰をおろしながら、尋問をはじめた。警部は立ったまま、壁に背中をつけて容疑者の観察をつづける。

「フランシス・ハルゼン。二五歳」

「生まれたのは……」

 老刑事はヒネモス近郊のベッドタウンの名前を挙げた。本籍、現住所、家族構成……型どおりの質問がつづく。ハルゼン容疑者は簡潔に、だが丁寧に答えていた。身もとは履歴書どおり。前科なし。嘘つきではない。自分の信念に自信をもっているのだろう。

「仕事はなんだ」

「王に仕えている」

 質問と応答がテンポよく、順調につづいていたので、老人は急な展開につまずいた。

「なんだと」

「王に、王妃に、王女に、王子に仕えている。それがおれの仕事だ」

「いいかげんなことをいうな。王室侮辱罪だぞ」

「ふん! 誰が退屈王朝ファミリーのことだといった? この国のほんものの王族に仕えているんだ」

「……ほんものの王? なんの話? 誰のことだ?」

「弱者だ!!」

「なに」

「年寄り、子ども、女、障害者、精神異常者、外国人労働者、失業者、生活手当の受給者だ!」

「……どういうことだ。なにをいっている?」

 老刑事はとまどい、視線を泳がせた。スメル警部は興味深そうにハルゼン容疑者を観察しつづける。

「いったとおりさ。この国は弱者が支配しているんだ。水族館にいったことあるかい? クラゲの水槽は見た? そこには一日中、水のなかでふわふわしているクラゲを見つめてる連中がいただろう。そう、『クラゲ廃人』だ。あいつらこそ、この国の真の王族さ。おれたち、低所得労働者はあいつらに仕える使用人、下僕だ。やつらは働かずに、おれたちより高額の収入を得ている――生活手当という名目でな。弱者には必ず、福祉的な優遇措置が取られているんだ。そいつらのために、おれたちは汗水たらして働いて、サービスを提供しているのさ。

 だから、この国の支配者を皆殺しにするんだ。おれたちがやろうとしているのは、革命だ!」

 黙って話を聞いていたスメル警部は、壁から身体を離して介入した。

「いまの意見は、きみの考えか? それともスペースモンキーズ全員が共有している思想なのか?」

 元店員は、あらためてスーツの男に注目する。

「あんた、誰だ?」

「捜査一課の警部、スメルだ」

「ふん。この事件の指揮官らしいな」

 警部は無表情に容疑者の顔を見返す。

「あんたら捜査陣は、この事件で必ず、敗北する。悪いことはいわない、スメルさん、手を引きな」

「おまえ、なにを偉そうな……勘ちがいするなよ!」

 老刑事が声をあらげた。容疑者のハルゼンは薄笑いでいなす。

「いうべきことは、いった。あとは黙秘するぜ」

 そして、唇をぴったり閉ざした。

「逮捕されたら黙秘すべし」はモンキーズの鉄則である。

 取調室のドアが開き、部下の刑事が警部に目で合図する。スメルは部屋を出た。

「どうした」

「やつの所持品を調べていたら、バッグのなかに住所のメモがありました。おそらく、隠れ家だと思うのですが」

「よし。ガサ入れしてみよう。わたしもいく」

 取り調べのつづきを老刑事にゆだね、警部は部下と、捜査本部から脱け出した。

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