第30話

「閣下、あたしを浅ましい女だなんて、思わないでね」

 目に媚びをただよわせ、ミコはいいわけする。彼は苦笑した。

「まさか。きみは金で苦労してきたんだ。『お金のにおいが大好き』なのは、当然さ」

 ミコの両親はレンタルビデオ店を経営していたが、大手レンタルチェーンの国内普及にともない淘汰され、廃業した。残ったのは大量の在庫と借金である。

 借金さえなければ、会社が倒産し廃業しても退屈王国では生活に困らない。福祉政策や生活保障が万全だからだ。しかし、国民の借金を肩代わりするほど、王国財政には余裕がない。両親は高利の民間金融業者に手を出し、借財は雪だるまのようにふくらんだ。

 結局、自己破産を申請。両親は心労から体調を崩し、父親は急性肺炎、母親は胃ガンで亡くなった。ミコの姉は誘拐されるように拘束され、金融業者が人身売買のブラックマーケットに「出品」した。ミコは親族を頼った。事情を知った叔父夫婦は、行方不明になった姉の捜査を司法機関や弁護士にようやく訴えたが、捜索は遅々として進まない。

 その悪徳金融業者は裏で芸能プロダクションと取引があり、小学六年生だったミコに事務所の社長が興味を示した。ためしに歌って踊らせてみたら、歌唱力、ダンスのセンス、身体の切れ、ともに売りものになる水準と判断された。姉のように人身売買市場に「出品」するより、レッスンして芸能界デビューさせた方が利益になると判断されたのだ。

 ミコはいまだに借金を返しつづけている。あわせて、人気の上昇とともに増えてきた収入を割いて、興信所に姉の行方を追わせた。そして、すでに報告を受けていた。

「これは成功報酬の一部だ。次のターゲット、もう準備はできているな?」

「まかせてちょうだい。何回かリハーサルして、もう脱出のコツはつかんだから」

「腰の周辺に内出血のあざがあったが、あれはリハーサルの結果か。あんまり無理するな」

「あれ? やさしいことばだなんて、らしくないよ」

「おれだって、人間らしいこころをもっているんだ。ひと聞きのわるい」

「ふーん、そうだったんだ」

 グノス・ラチエンスキーの生い立ちのアウトラインを、ミコは知っていた。

 彼は大貴族の末裔で、彼女のように経済的に追いつめられた体験はない。だが、父親の放蕩で傷ついた母親が、過剰な愛情と夫への憎悪を彼に植えつけた。その結果、彼の人間性はどこかゆがみ、精神的に成熟しきれていない部分があるのだった。

 夫の浮気のせいで精神的に病んだ母親は、アルコールやクスリにおぼれ、ベッドで寝たきりになった。もともと体質的に心臓が弱く、病人として過ごすうちに体調はみるみる悪化。そして、臨終のまぎわに「あたしは殺されたも同然だ。あの男に復讐してちょうだい」と息子に呪いのことばを残したのだ。

 溺愛してくれた母親を突然なくした彼は悲嘆にくれる一方、父親への憎悪をたぎらせた。もともと精力的で攻撃的な人間である。学生時代はボクシングに熱中していたが、スポーツというより、殴り合いという行為自体が性格にアピールしたのだ。

 父親はたしかに、ろくでなしだった。かつてはハンサムだった外見は、長年の暴飲暴食、放蕩無頼のツケが回り、うつろな瞳、しまりのない頬肉、たるんだ下腹部という変わりよう。ワインやシャンパンはこの男の理性を少しずつ削り取り、言動はしだいにとりとめなく、支離滅裂になっていった。正確で客観的な状況判断など、望むべくもない。

 そんな理由から、前公爵は元老院議員を引退することになった。本人は承諾しなかったが、ときにやんわりと、ときに強硬に周囲がレールを敷いてゴールに導いた。

 公職をしりぞき、この男はいっとき意気消沈したが、むしろ行動の自由が広がったと解釈した。議員としての制約に縛れる必要なく、歓楽街で毎晩、遊興にふけり、夜明け近くに帰宅した。

 グノスは使用人を最小限のこし、一週間ほど海外旅行にいかせた。「長年の勤務に感謝する」といい、慰安のためという名目で、費用は全額、彼が負担する。三〇人ほどの使用人たちはみな、よろこんだ。

 ひと気のない、がらんとした館に帰宅した当主は、酔いつぶれて玄関に倒れたが、待ちかまえていた息子がすぐに引き取り、タクシーの運転手に料金を払い、帰した。彼は父親を背負い、三階まで階段をのぼり、バルコニーの窓を開け放つ。手すりにもたせかけた父親は夜明けの風で少し覚醒した。何度か、女の名前をつぶやいたが、それはグノスの母親の名前ではない。

 父親の身体をもちあげ、手すりのむこうに放り投げる。

 しばらくして、下の方から何かがつぶれる音が聞こえた。

「酔った公爵がバルコニーに出て、手すりから身をのり出して落下した事故」というのが警察の見立てだった。名のり出る目撃者はおらず、状況証拠もその線でまったく矛盾しない。「その晩はぐっすり寝ていた。朝食後に、庭師が死体を発見するまで父の死に気づかなかった」とグノスは証言し、特に疑惑をかけられなかった。

 父親を殺したとき、彼のなかの何かも死んだ。グノスはそれを「子ども時代」だと思っていた。自分は「子ども時代」を葬り、一人前のおとなになったのだと。だが、彼が喪ったのは「子ども時代」などではなかった。そして、その喪失は精神のバランスにいちじるしい影響をあたえた。戦争犯罪に対し説明責任を免罪された国のようだった。


 失ったのは当事者意識だ。彼と世界をつなげていたものである。


 こうして、グノス・ラチエンスキーは公爵位を継いだ。しばらくすると、周囲から「元老院議員に推薦する」という声が出て、抵抗せずに話を聞いていたら、いつの間にか議員職が実現していた。だが、政治は彼の予想以上に面白く、しだいに身を入れて仕事をするようになった。

 彼自身にも意外だったのは、自分が父親と同じように女遊びをするようになったことだ。グノスはもてた。家柄がよく、財産もあり、独身である。父親ゆずりのハンサムでもあった。精力的に仕事をこなし、会話もそつがなく、やろうと思えば敵でも笑わせることができた。女たちは彼に夢中になり、グノスは遊興を楽しんだ。

 しかし、自覚していた。(おれは母親の影を追っているだけだ。女たちの姿のむこうに、いつも母親の姿を見ようとしている)と。だから、グノスの女遊びには際限がない。ただの光学現象にすぎない「逃げ水」を追いかけるだけだからだ。

 ぼんやりしている男の右膝を人さし指で突き、ぐいと動かした。

「なに考えてるの。またほかの女のこと?」

 ねたむようにミコが唇をとがらせる。公爵は苦笑した。

「まさか。昔のことを思い出していたのさ」

「昔の女のこと、でしょ。もう、そんなに浮気ばかりして、あたしもマネして男あさりしちゃうわよ」

「『裏切りは女のアクセサリーみたいなもんだ。いちいち気にしてたら、愛せやしないぜ』バイ・ルパン三世」

 すらりと引用する。

「あれ。閣下もルパン三世マニア?」

「オーノユージの音楽は最高だ。CDを何枚ももっているぞ」

 音楽雑誌のライターがそういう記事を書いていたのだ。公爵には音楽のよしあしがまったくわからない。世間で評判の楽曲を「教養」として聞くだけだ。

「ひょっとして、ミコっていう名前はミネフジコの最初と最後の文字を取った?」

「あははは。ちがうけど、それ、いいわね。今度、メディア関係者にきかれたら、そう答えよっと」

「そうだった。朝の情報番組、出演が決まったぞ」

「わ。やった」

「火曜日の七時から放送される、TV5の番組だ。事件の報道もするから、コメントを求められるはず」

「それそれ。犯罪者になったら、やっぱいちどはやってみたいわよねー。自分が起こした事件について、テレビに出て、なにくわぬ顔で得意げにコメントするのよ。『この犯人はきっと高学歴のマザコンです』とか『動機は子どものときのトラウマです』とか『きっとこれが初犯じゃない。明るみに出ていない殺人事件が犯人の周辺で起こっているはず』とか」

 うれしそうに、にこにこしゃべるミコを見て、(この女、いったいなんのあてこすりだ)と公爵はいぶかしむ。しかし、あらためてよく考え、遠回しの皮肉を弄する知的能力はミコにないはず、と判断する。(こいつはおれの過去を知っているが、いまの台詞は偶然の一致だ。いや、いつもおれのことばかり考えているから、台詞のはしばしにおれに関する記憶や情報が混入するのだ……)

 そこまで考え、ちょっと慄然とした。

(おれが考えている以上に危険な存在かもしれない。計画が終了したら、やはり生かしてはおけない……。さいわい、冷たい男が好きだという話だしな……)

 うぬぼれが徹底的に強く、自己中心的にしかものごとを判断できない閣下である。

「それと、次の次のターゲットの写真をもってきた」

 アタッシェケースの蓋の裏側に手を伸ばす。一枚の写真を取り出し、テーブルの上に置く。マグカップを手にしたまま、ミコは身をのり出し、じっくりと写真の男を見つめた。

 男――というより、少年といった方がいいかもしれない。緑色の瞳、長い睫毛、花びらのような肉厚の唇。体型にフィットしたスーツを上品に着こなしている。

「ふふふ。かわいい顔しているね」

「王女お気に入りのボディガードだ。ルックスで選抜されたんだろう」

「あたしねー、こういう美少年を見ていると、むらむらといじめたくなるの。ネコがネズミをいたぶるように……キツネがニワトリを追いつめるように……オコジョがウサギを……」

 アイドルは飢えた表情を浮かべ、いまにもよだれを垂らしそうである。

「名前はオールシー・ブライム。王宮省所属のシークレット・サービスだ」

「オールシー……オールシー・ブライム……」

 その名をこころに刻みつけるようにミコは何度か、くり返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る